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「反プーチン」仕掛人の正体
裏でメドベージェフ大統領に囁いて離間を図った。そのオバマの補佐官が大使に赴任。
http://facta.co.jp/article/201203028.html
2012年3月号
by 畔蒜泰助(東京財団研究員)
英紙フィナンシャル・タイムズに「プーチンの足元で氷割れる」の見出しが躍るように、ロシアでは12月4日の下院選挙を機にモスクワなどの大都市を中心に大規模デモが立て続けに起きている。しかも回を重ねるごとに、次期大統領選の最有力候補ウラジーミル・プーチン首相のクレムリン復帰に反対するキャンペーンの色彩を強めている。
大都市などで中間層や知識層が増加し、インターネットの急速な普及と相まって、「アラブの春」のような大規模な反政府デモ発生につながった――そんな解説が一般的だし、それはそれで間違いではない。
だが、1月末にモスクワを訪れて浮かび上がってきた重要な政治上の対立軸はこれとは異なるものだった。ずばり、プーチン首相とドミトリー・メドベージェフ大統領の対立である。
次期政権の首相は微妙
昨年9月24日、与党「統一ロシア」の大会で、メドベージェフ大統領がプーチン首相を党の大統領候補にすることを提案。プーチンもこれを受諾するとともに、当選の暁にはメドベージェフを首相に任命すると明言した。ところが、プーチンはその後「メドベージェフの首相ポストは下院選挙で統一ロシアが国民から十分な支持を獲得することが条件」と前言を微妙に修正している。これには若干の説明が必要であろう。
統一ロシアはよく「プーチン与党」と称される。確かに同党の党首はプーチンなのだが、今回の下院選挙では同首相ではなく、メドベージェフが同党の比例名簿の第1位に名を連ねたことからみても、大統領が陣頭指揮をとった選挙だったのだ。
今回、筆者がモスクワで接触した情報筋によれば、プーチンは今回の下院選挙において統一ロシアを積極的には支援しなかったという。これが事実だとすると、プーチンとメドベージェフの間には、少なくとも昨年9月24日の時点でかなりの亀裂が走っていた可能性が高い。
筆者は、メドベージェフが2期目も大統領を継続する野心を明らかにしたのは、2010年9月あたりと見ている。この時、筆者はプーチン主導のヴァルダイ会議に参加したが、メドベージェフは参加せず、自身の主導で直後に行われたヤロスラブリ会議で「ロシアの近代化」政策を高らかに唱えたからである。
その約1カ月後の同年10月22日付有力日刊紙コメルサントでは、大統領のブレーンであり、ヤロスラブリ会議を主催した現代発展研究所のイーゴリ・ユルゲンス所長のインタビュー記事が掲載された。
「プーチン体制の継続はロシアの停滞に繋がる。今ロシアに必要なのは近代化だ。近代化といえばメドベージェフの仕事だ」
明らかに「プーチン退場」を要求する発言である。
実は当時からこれと別に「プーチン退場」を画策していた勢力がもう一つあった。米国のオバマ政権である。
オバマ政権の対ロシア政策は米ロ関係の「リセット政策」として知られる。イラン核開発問題でロシアの協力を得るため、グルジア紛争で悪化した対ロ関係の改善をめざして推進した政策であり、推進役はスタンフォード大学教授から、オバマ政権下でロシア・ユーラシア担当の大統領補佐官に就任したマイケル・マクフォールが担った。
だが、マクフォールは「本当の米ロのリセットはプーチンが政権にいる限りは不可能」とメドベージェフと会談するたびに囁いたという。マクフォールは「プーチン嫌い」のネオコン派と緊密な関係をもつことで知られている。彼こそが「プーチン退場」を仕掛けたもう一人の張本人だった。
「ロシアの近代化と米ロのリセットは、あなたにしかできない」と周囲から囁かれたメドベージェフがその気になったのもやむを得なかったかもしれない。
一昨年秋以降、メドベージェフは、憲法上は大統領が権限を有する外交分野で主体性を出し始める。その端緒は同年11月の国後島訪問だった。ロシア大統領として史上初の北方領土訪問であり、その後の日ロ関係悪化の引き金を引いた。
これだけではない。メドベージェフは昨年3月、ロシアの外交・安全保障政策上、より一層大きなダメージとなるミスを犯している。リビアへの軍事介入に直結する飛行禁止区域の設定をめぐる国連決議案に対して、メドベージェフは拒否権を発動せず棄権した。これで結果的には、西側諸国や一部アラブ諸国によるリビアへの軍事介入を容認してしまったのである。
プーチンはこの軍事介入を「中世の十字軍の要請を想起させる」と公然と批判した。すると、メドベージェフは「いかなる状況下でも十字軍といった表現は容認できない」と暗にプーチンを批判した。これはプーチンとメドベージェフの意見対立が公になった最初の出来事。この時こそ、両者の対立が決定的になった瞬間ではないか、と筆者は見ている。
デモ主導者たちと会談
鍵となるヒントは、ロシアの著名な国際政治学者でヴァルダイ会議の常連でもあるアンドラニク・ミグラニアンが、米シンクタンク(Center for The National Interest)のウェブサイトに掲載したエッセイ「反プーチン・キャンペーン」の中にあった。彼は一連の反プーチン・キャンペーン激化の背景にはメドベージェフ陣営との対立があると指摘しているのだ。
今年1月、反プーチンの「仕掛人」マクフォールは、大統領補佐官から転じて駐ロシア大使に赴任。モスクワに乗り込むやいなや、さっそく反プーチン・デモの主導者たちと会談したが、プーチン陣営はこれまた「プーチン退場」工作の一環と受け止めて警戒している。
さて、3月の大統領選ではほかに有力候補がなく、プーチン当選は確実。同陣営としては、一連の反プーチン・キャンペーンをはねのけるためにも、第1回投票での勝利確定をめざす。
いずれにせよ、メドベージェフが次期プーチン政権の首相に指名される可能性は低く、万が一首相に就任したとしても、短期間で終わるとの見方が有力になってきた。(敬称略)
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