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金正日は日本人だった! 今こそ求められる日本の覚醒 佐藤守・山浦嘉久
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『月刊日本』2009年12月号
戦後日本は男娼に落ちぶれた
―― 佐藤さんが書かれた『金正日は日本人だった』(講談社)が大変な反響を呼んでいる。まず、この本をお書きになられた動機からお尋ねしたい。
佐藤 2002年9月4日、日本海に北朝鮮の不審船「金策」号が現れた。P─3Cが追尾したが、蛇行を繰り返し、船尾の「金策」という文字を見せ付けるかのようだった。ここには何かメッセージがあると思われたが、各報道で「金策」の意味に踏み込んだものは見当たらなかった。せいぜい「北朝鮮の地名」という解説程度だった。確かに「金策」という地名はある。だがこの地名は、もともと旧帝国海軍の研究機関があった「城津」だったのを1953年に「金策」という人物にちなんで名付けられたものだ。
この不審船事件の直後、9月17日には小泉訪朝があった。一連の事件には関連性があるはずなのに、そこに着目した論考はなかった。だから、自分でこの言葉の意味するものを追ってみようと思ったのだ。
―― そして、金策こそが帝国陸軍の残置諜者であり、金正日の本当の父親である、と突き止められた。
佐藤 旧軍、とくに満鉄情報部などが行っていた活動は謎に包まれている。ある勉強会で旧陸軍士官学校(四十期代)の大先輩から、「金策は、帝国陸軍が半島に残した残置諜者です」と教えられ、その後、金策が日本人であるという情報を得た。実際、金策が日本人であり、金正日が金策の子供であるとすると、今までの北朝鮮についての不可解な部分が次々に説明が付くようになった。改めて『月刊日本』誌をはじめ収集したこれまでの北朝鮮関連の記事を読み直してみると、大いに啓発された。
山浦 私が「金策」という名に出会ったのは昭和五十年ごろのことで、当時はNK会という業界横断的な北朝鮮勉強会があり、そこに出席していた。旧軍関係者も多く、彼らは半島に独特の情報ルートを持っており、たとえば「よど号事件」の犯人たちの動きも正確に掴んでいた。だから、帝国陸軍が残置諜者を置いているという考え方は納得のいくものだった。
そこで得た情報だが、「よど号」の田宮高麿が事件の翌年、昭和四十五年、金日成に宴会に招かれた。詩吟の得意な田宮は感謝の意を込めて、一節吟詠した。「山川草木転た荒涼、十里風腥し新戦場、征馬前まず人語らず、金州城外斜陽に立つ」という、乃木希典将軍の「金州城外の作」だ。これを詠った瞬間に、金日成の顔色が変わった。田宮は知らなかったのだが、この歌は金策が好んで歌っていたものだったのだ。金日成は田宮たちは金策と何らかのつながりがあるのではないかと考え、それ以来、田宮はじめ「よど号」グループにはかなりの自由が与えられ、金日成からは「共産主義よりも自分の国のことを大切にしなさい」とまで言われたという。
このときに、金日成にそこまで強い影響を与えた金策とは何者か、という追求を始めた。金正日への権力継承のころ、ロシアのイタル・タス通信が、金策こそが金正日の真の父親であることを匂わせる記事を出したが、これで、金策とその息子である金正日の支配する、大日本帝国の残置国家・北朝鮮というビジョンがはっきりした。
イタル・タス通信というのは大事なときに、何気ない様子で核心をつく情報をポロっと書くものだ。もともと北朝鮮の情報というものは、断片的なものしか入ってこない。しかし、その断片をつなぎ合わせると、大きな絵が見えてくる。
佐藤 それが、大日本帝国を継承したとも言うべき国家としての北朝鮮であり、今も大東亜戦争を戦っているという見立てですね。
確かに、朝鮮半島は米国とソ連によって38度線で分断され、南は米国の傀儡になったが、北にはまだ戦前日本が持っていた精神が残っているように見える。その精神から見た日本という国家は、とても情けなく、だらしない国家に見えているはずだ。
山浦 金正日から見た日本というのは、沖縄から見た本土と似ているかもしれない。
日本はかつて、大東亜共栄圏の理想を掲げ、欧米列強に敢然と戦いを挑み、朝鮮半島の人々も共に戦ってくれた。ところが戦後になると、アメリカにべったりで、アメリカの尻拭きまで自ら買って出るありさまだ。頼りになるたくましい父親だと思っていたのが、男娼に落ちぶれたようなものだ。
佐藤 沖縄にしても同じだ。アメリカの占領を脱して日本に復帰することこそ沖縄の人々の悲願だった。瀬長亀次郎や屋良朝苗などは、熱烈な日本主義者と言ってもいいぐらいだ。だからこそ、アメリカからアカ呼ばわりされた。当時の米国ではマッカーシー旋風が吹き荒れており、何でもかんでも悪いものはアカと決めつけ風潮があったから。ところが、昭和47年に日本が沖縄の施政権を回復したあと、日本はアメリカが色分けしたままで、瀬長ら民族主義者をアカ呼ばわりした。沖縄県民の多くは裏切られた思いをしたはずだ。さぞかし本土がぶざまに見えただろう。こんな情けない連中とは付き合いきれない、金だけむしりとってやれという発想が生まれたとしても責めることはできない。独立も自尊も忘れた我々に責任があるのだ。
北は日本の独立を求めている
―― 戦前の日本が持っていた独立自尊の精神は、北朝鮮に残された。
山浦 明治の初期、樽井藤吉は『大東合邦論』において、「朝鮮人は事大主義、血族主義に流されやすく、国家という単位への忠誠心が希薄だ。これを乗り越えるためには、檀君神話、白頭山信仰をベースにした疑似天皇国家を作らなければ、外国の容喙を招き、分断されてしまうだろう」という主旨の論考を発表している。
そして、金王朝というのはまさに檀君廟と白頭山を神話的根拠とする、疑似天皇国家であり、主体思想とはこの神話の理論的裏づけに他ならない。まさに、戦前の日本をお手本に作られた国家なのであり、戦前の日本が目指した「独立自尊」の精神が神話を通して生きているのだ。
佐藤 その精神が生き残っているのは、北朝鮮だけでなく、アジア全域と考えたほうが良い。帝国陸軍は、現地に実に深く浸潤していた。そして、現地の人々に日本精神を伝えていた。たとえば、ベトナムのホー・チ・ミンの愛読書は吉田松陰の『講孟箚記』だ。陸軍中野学校による工作の成果だろう。だから、旧陸軍軍人は戦争に負けたと思っていない。
負けたのは太平洋で戦った海軍であり、中国大陸や東南アジアを占領していた陸軍は戦争らしい戦争もしていないうちに、いつの間にか負けたことになっていた、という思いなのだ。だから、陸軍軍人の中には、海軍が始めた太平洋戦争は負けたが、陸軍による大東亜戦争では勝ったという思いが残っている。その勝利とは日本精神を引き継いでアメリカを駆逐したベトナムの勝利に行きつく。1975年4月30日、サイゴン陥落こそが大東亜戦争の終結だ。
山浦 ベトナム戦争には北朝鮮の兵士も多く従軍してアメリカと戦った。玄洋社、黒龍会の思想的流れを汲む大東亜共栄圏の理想は、アジアを欧米列強の植民地というくびきから解き放ち、「万邦をしてそのところを得せしむ」ことにあった。その意味で、確かに大東亜戦争は勝っている。ただし、アジアの諸国が独立を達成した代わりに、日本が植民地になってしまったのだが。
―― 司馬遼太郎によって「海軍は賢いが、陸軍はバカ」という見方が多くなっている。
佐藤 とんでもない話で、海軍は米豪間を遮断すべきとして、補給を無視し、ガダルカナル、ニューギニアにまで進出し、その上、兵法の外道である兵力の逐次投入などやってしまい、多くの人命を失った。そしてそのツケを払わされたのは陸軍なのだ。シベリアに抑留されたのは大部分が陸軍軍人ですよ。
司馬はノモンハン事件のトラウマで、いたずらに陸軍憎しに駆られているように思う。だから、海軍を持ち上げることによって陸軍を不当に貶めてしまっているのではないか。
こうした司馬の呪縛を解き放ち、陸軍が実現しようとした大東亜共栄圏の理想とは何だったかを今一度見直す必要がある。北朝鮮、ベトナムといった国を通じて、日本は日本へ帰ることができる。それこそが、「金策」という言葉に秘められたメッセージではなかったのか。
―― 不審船「金策」号の直後、小泉・金正日会談が行われた。小泉政権は「金策」メッセージをきちんと受け止めたのか。
佐藤 まったく受け止めていないだろう。その最たる証拠は、会談に臨んで、小泉首相が襟にブルーバッジをつけていたことだ。ブルーバッジというのは日本国内向けのアピール、要するに票稼ぎには有効だろうが、これから微妙極まる交渉をしようという相手に見せるべきものではない。
この席上、金正日は「一部の部下が英雄主義、妄動主義に走った」と、自分のあずかり知らぬところで部下が暴走したとして、謝罪した。日本国内では、最高指導者である金正日が知らないはずはない、という意見が多いが、実際に知らなかった可能性があると私は見ている。
第一に、不特定多数の日本人を拉致してこいと指示を出す意味がない。日本語教師として拉致したというが、朝鮮総連はじめ、日本語にも日本文化に習熟した人間は多く行き来している。韓国の女優・崔銀姫を拉致したように、特定の技術者であるとか、「引田天巧は気に入ったから連れて来い」、という指示は確かにあったかもしれない。しかし、「誰でもいいから拉致して来い」というのは、命令として理解に苦しむ。
仮に、私が工作部隊に指令を出した場合を考えてみると、中間指揮官は日本に潜入して何らかの工作をする目標を指示するが、それを受けた現場の指揮官は、工作員が本当にきちんと上陸して任務を行ったのか、確証を得たいものだ。とくに猜疑心が強い指揮官であればなおさらだ。工作員が日本の紙幣を持ってこようが、大久保駅辺りの看板を外して持ってこようが、そんなものは韓国経由でも金でも手に入れられるから、本当に日本に上陸して任務を遂行したのか疑わしい。すると、究極の証拠は、泣き叫んでいる日本人を連れてくる、ということになる。なるほど、確かに日本に潜入し、任務を遂行してきたのだな、という、酷い話だが、「証明書代わり」に手当たり次第に拉致したということは、十分考えられる。
つまり、金正日を頂点とする指揮系統と、現場の判断で行われる指揮系統、複数の指揮系統があった可能性がある。
ここにこそ、本来小泉首相が金正日の懐に食い込むチャンスがあったはずだ。「“謝罪”をオフレコにしてやるから、全て調査した上で、拉致した人間は全て返せ」、という交渉が可能だった。ところが、どういうわけか小泉首相は、中途半端なところで手を打ってしまった。これで拉致問題の解決は勿論、日朝国交正常化も逆に遠のいてしまった。
山浦 「金策」メッセージ、すなわち、「日本よ、独立自尊の気概をもって戦ったことを思い出せ」というメッセージは日本には結局伝わらなかった。日朝国交正常化とその先にある経済利権に目が眩んで、中途半端なことをやってしまった。
私は、日本には「旧宗主国としての責任がある」という言い方をするが、これは北朝鮮との賠償問題という金の話だけを意味しているのではない。日本が対米自立の気構えを見せないかぎり、北朝鮮は日本を信用しないということだ。日本は戦争について大いに反省すべきだ。日本が負けたがゆえに、北朝鮮は米中ロの思惑に翻弄され、大変不幸な目にあわせてしまった、という意味において。
―― 南北問わず、日本にはいわゆる「嫌韓」、そして「嫌中」感情が根強くある。
佐藤 そういう安直なナショナリズムは外交に弊害あるのみだ。生産性も未来性もない。日本の置かれた地政学的条件において、朝鮮半島と中国大陸というのは、好むと好まざるに関わらず、付き合わなければならない相手だ。お前は嫌いだからどこかアルゼンチンの近くあたりにでも引っ越してくれと願ったところで、どうにもならない。それが地理的制約というものだ。与えられた制約下で、どれだけ自国の利益を最大化するかを考えなければならない。かつて日本政府は汪兆銘を中国の正統政権として国民党の二分化を謀ったが、現・胡錦濤政権にも日本精神を植えつけるぐらいのことを考えなければならない。
中朝と口喧嘩≠ケよ
―― 対中感情について言えば、98年の江沢民来日以来、悪化の一途を辿っているようだ。
佐藤 私は自衛隊OBとして、中国の軍人とも国際会議で議論してきたが、確かに彼らの主張は激しいものだ。しかし、それらに対してはきちんと、こちらも“大声で”言い返せば、彼らはきちんと聞く。「君らは官製の中国史しか知らない、日本の本屋に来て歴史の本を買って勉強しろ、日本の本屋には学術書からマンガまで、君らの欲しいものは何でもそろっているから、大いに勉強しろ。大東亜戦争で日本は米国には負けたが、中国には負けていない。そこまで悪態をつくなら決着をつけるか!」と言ったことがあるが、それ以来八年、極めて“友好的”に本音のトークが続いている。
大事なのは、きちんと“口喧嘩”することだ。戦争が嫌ならば、戦争になる前に口喧嘩をしなければならない。チャーチルが「外交というのは相手に無理な要求をつきつけ、そこから妥協点を探っていくものだ。日本にそれをやってみると、驚いたことに要求を丸呑みしてしまう。それではこれは無理だろうとさらに突きつけると、それも呑み込んでしまう。さすがにこれは無理だろう、と要求を突きつけると、突然宣戦布告してくる。日本人は外交を知らない」という主旨の談話を残している。日米交渉とハル・ノートを思い出す。戦後の今も日本人は中国と喧嘩することを我慢して、国民の鬱憤だけがたまっていくという悪い構造になっている。言うべきことは言うべきだ。
ただでさえ、現在わが国には公式発表だけでも60万人以上の中国人が滞在している。日本各地の国際関係学部があるような大学に送り込んでいるし、メディア界にも進出している。だから、メディアを通じて中国人が日本の選挙を批判したりする光景がテレビなどで見られるようになって来たのだが、一度も「国政選挙の投票」をしたことがない中国人教授たちが民主主義国日本の選挙を批判するのは、マンガ以外の何物でもない。
さらに、池袋から渋谷をつなぐ副都心線が開通したが、この開通前に池袋中華街構想が持ち上がった。池袋から横浜まで、二つの中華街をつなぐ中国ネットワークの大動脈として副都心線を活用しようという構想だ。さすがにこれは池袋では地元の反対にあって実現しなかったが、今は渋谷に中華街構想を立てているという。
このように着々と中国が日本進出を進めているときに、「だから中国は嫌いだ」とか、「友愛」だとか両極端で短絡的に反応しても意味はない。彼らときちんと喧嘩できる体力をつけなければならない。
ただでさえ、中国軍幹部クラスはどんどん若返って、アメリカ帰りの俊才たちが枢要ポストにつき始めている。江沢民の頃は、文化大革命時代に出世した人間、つまり、インテリを「農村に学べ」と言って迫害し、「下放」した時代の人間が巨大な国家の指導者や軍の幹部を構成していたから、それはそれで危険だったのだが、今やそれとは別の危険が生まれつつある。胡錦濤は精華大学工学部卒業だし、温家宝は真面目一本槍、こうした江沢民よりはるかに緻密な頭脳の持ち主である首脳部の脇を、アメリカ留学組の先進的な発想を持つ軍の幹部が固めつつある。これはつまり、アメリカを通じて日本の軍事はもちろん、様々な情報が中国に筒抜けになってしまうということだ。中国が本気で「日本はたいしたことない、いつでも思うようにできる」と思ってしまったら、それこそ日本の危機だ。
山浦 今のお話は中国が主だが、北朝鮮情勢もあまり時間がない。金策―金正日という日本精神の継承はたしかにあるが、それも金正日後の三代目指導者になったらもはや通用しない話となる。金正日在位のうちに、北朝鮮の問題は日本の問題であるという意識をもって、日朝問題を解決しなければならない。
―― 六カ国協議という枠組みでは無理ということか。
山浦 六カ国協議は無意味だ。そもそも、米朝協議が行き詰ったから、アメリカがシナに尻拭いを押し付けたのが六カ国協議の意味だ。北朝鮮の核ミサイルの照準は、実は北京に向いている。地続きで国境を接している国は、常に侵略の恐怖を抱えているし、実際に朝鮮戦争の折には大量の人民解放軍が半島に入り込んできたのだ。だからこそ、北朝鮮は核で北京を牽制している。「北の核で一番困るのはお前なんだから、なんとかしろ」というのがアメリカから北京へのメッセージだ。
佐藤 朝鮮戦争後の「中朝の血の盟約」は、今では完全に消え去っていると思う。平壌が北京を脅し、北京は怒り狂っているのが実態だ。逆に、日本が台頭する中国を牽制するには、日朝国交正常化を急ぐ必要がある。そのためには水面下で交渉し、ニクソン・キッシンジャーの米中国交回復のように、突然日朝国交正常化を打ち出すべきだ。北の核については、これは日本のために使うという密約を結んでも良い。密約というのはこういうときにこそ行うべきなのだ。
日朝国交正常化で日本は覚醒せよ
―― 日朝国交正常化で、アジアの政治状況は一変する。
佐藤 軍事面を中心に、大地殻変動が起こる。中国、ロシアはもちろん、アメリカもあわてふためくだろう。半島がこれらの“緩衝地帯”ではなくなるからだ。韓国は日朝に挟み込まれれば、その圧力に屈して竹島だって返さざるをえなくなる。ロシアもウラジオストックに程近い北朝鮮と日本が結べば、外交戦略を再考せざるを得ない。北方領土を含めた日ロ交渉も始めなければならなくなる。アメリカは逆に、煩わしい北東アジアに忙殺されず、落ち着いて安心してアフガンに集中できるだろう。
―― 9月下旬に小沢一郎民主党幹事長がロンドンに一週間あまり滞在したが、そこでスケジュールも一切不明の謎の二日間があった。情報筋によると、ここで北朝鮮の外交筋と接触したともされている。
山浦 そういう可能性は大いにあるのではないか。日朝交渉に関して言えば、これは政治家同士の、政治決断で行わなければ、決して成功しない。つまり、官僚を介在させてはならない。だから、小沢幹事長が外務省を外してなんらかの動きをしているとすれば、それは大いなるチャンスだ。
北朝鮮は150日戦闘にひきつづき、100日戦闘に入ったが、この「戦闘」とは国内政治体制を引き締め、次世代王朝への権力移譲期間と見られている。「戦闘」を延長したのは、権力移譲期間を引き延ばすことによって、すなわち金正日在位中に日本は日朝国交正常化への最後のチャンスをつかめという、北からのラブコールと受け止めることもできる。
―― 鳩山首相の掲げる「友愛」は、日朝国交正常化、そして日本の旧宗主国としての覚醒につながりうるか。
佐藤 その点については、私は懐疑的だ。「友愛」というのは意味のない口癖のようなもので、戦略や哲学的裏づけの為されたものではない。もちろん、非常に高度な「戦略的曖昧さ」、つまり本当にやろうとしていることへの目くらまし、煙幕として「友愛」を掲げておいて、実際には老獪なダブルスタンダード外交を行うというのなら良いが、そこまでの胆力が鳩山首相にあるとは思えない。
10月末、バンコクから戻ってきた鳩山夫妻が政府専用機内で仲良く指相撲をしている姿が満天下に報道されたが、こういう緊張感のない人が自衛隊の最高責任者であり、軍事に無知な防衛大臣を戴いている現役諸君には同情を禁じえない。日本全体が覚醒する前に、まず首相自らに、自分の立場がどういうものであるのか、覚醒してもらう必要がある。
*本稿は編集部の許可を得て投稿しています。
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