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http://sankei.jp.msn.com/world/news/111126/erp11112620490005-n1.htm
リトビネンコ氏毒殺事件から5年 妻、死因審問で事件の真相解明求める
2011.11.26 20:48 (1/2ページ)
【ロンドン=木村正人】ロシア連邦保安局(FSB)元幹部リトビネンコ氏の放射性物質ポロニウム210毒殺事件から5年。ロシアでは元FSB長官のプーチン首相が来年の大統領選への出馬を表明、容疑者引き渡しが膠着(こうちゃく)する中、リトビネンコ氏の妻マリーナさん(49)が起こした死因審問が開始された。マリーナさんは本紙と単独会見、「誰が事件の背景にいるのかはっきりさせたい」と語った。
マリーナさんは1993年、31歳の誕生パーティーでリトビネンコ氏と出会った。氏はFSBで組織犯罪と戦う捜査員。4カ月後に2人はアナトリー君(17)を授かった。
しかし、リトビネンコ氏が大物を追い詰めるたび上司の命令で捜査が中止された。氏は局長からロシア人政商ベレゾフスキー氏の暗殺を命じられたのを機にFSBが組織犯罪に深く関わっていることを内部告発。FSB長官に就任したばかりのプーチン氏にも98年秋に面会し、疑惑の全容を説明した。
マリーナさんは「サーシャ(リトビネンコ氏の愛称)は“プーチン氏はまったく関心を示さなかった”と残念そうだった。プーチン氏はサーシャを知らないと話しているが、人は大きな不正を隠そうとするとき小さなウソをつくものだ」と指摘する。
権限を逸脱したとして逮捕、釈放されたリトビネンコ氏とマリーナさんらは2000年英国に亡命。事件は06年11月1日に起きた。英国の市民権を得たばかりの2人はマリーナさんの手料理で「自由記念日」を祝ったが、その夜、リトビネンコ氏の体調が急変する。
リトビネンコ氏毒殺事件から5年 妻、死因審問で事件の真相解明求める
2011.11.26 20:48 (2/2ページ)
同月23日、氏は病院で息を引き取り、家に戻ったマリーナさんはロンドン警視庁から「ご主人の血液からポロニウム210が検出された。一刻も早く自宅を離れなさい」と告げられた。
ポロニウム210は雪の上に残った足跡のように事件の容疑者を指さした。旧ソ連国家保安委員会(KGB)元職員、ルゴボイ容疑者の宿泊先から足跡は始まり、リトビネンコ氏と会ったロンドンの事務所やホテル、同席した元ソ連軍将校で企業コンサルタントのコフツン氏へと続いていた。
英政府はルゴボイ容疑者の犯行と断定し、身柄引き渡しを求めたが、露政府は拒否。容疑者は後に露下院議員に当選した。今年9月、英国首脳として6年ぶりに訪露したキャメロン首相はメドベージェフ大統領に改めて引き渡しを求めたが、事態は動かなかった。
その直後プーチン首相が大統領選への出馬を表明したため、マリーナさんは“切り札”として残しておいた死因審問を求めた。検視官は先月、「英情報機関やロンドン警視庁に資料提出を求め、関係者から聴取する。リトビネンコ氏の死因だけでなく、ポロニウム210がどこからもたらされたのか徹底的に調べる」と宣言した。
マリーナさんは「ロシアでは格闘技会場に姿を現したプーチン首相に観客がブーイングを浴びせるなど、権力者に対しても好き嫌いがはっきり言えるようになってきた。ルゴボイ容疑者がサーシャにポロニウム210を盛ったのは論理的に間違いない。問題は誰がポロニウム210を同容疑者に渡したかだ」と毅然(きぜん)としたまなざしで語った。
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