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前回までのこのシリーズでは、「今回の中東民主化を仕掛けたのは誰か?」という視点で、欧州主導説、米国主導説、民族意識主導説に分けて、調査・分析を進めてきました。
今回は、いよいよその全体像をまとめてみたいと思います。
シリーズの過去記事は、以下を参照。
【1】プロローグ
【2】ニュースの整理:チュニジア編
【3】ニュースの整理:エジプト編
【4】ニュースの整理:イスラエル隣国諸国編〜孤立するイスラエル〜
【5】ニュースの整理:リビア編
【6】欧州主導説
【7】米国主導説
【8】民族意識主導説
【9】ソーシャルメディアって何?
●第2次世界大戦で欧州による中東植民地支配が終演→米国傀儡政権による中東支配・抑圧
・歴史的には中東・北アフリカは元々欧州の縄張りでした。
(例えば、チュニジアはローマ帝国に征服され、近代はフランスに支配された国でしたし、エジプトもローマ帝国の属州で、近代はイギリスに支配された国でした。またリビアもローマ帝国に支配された国で、近代はイタリアの植民地でした。)
・しかし、第二次大戦後、米国が石油利権を支配し、欧州の縄張りを荒らしてきました。
(例えば、エジプトのサダト〜ムバラクの傀儡政権がその代表。)
・中東地域では、元々の支配者であった欧州(欧州貴族・ロスチャ)VS新興勢力の米国(ロックフェラー)のし烈な覇権争いが繰り広げられてきたと見るべきでしょう。欧州主導説より。
この米国による中東への覇権が、中東各国の長期独裁政権を作り、大衆への抑圧が始まります。
●オイルショックによる欧州の反撃で米国覇権が衰弱→米国のでっち上げ戦争→反米感情の蓄積
中東の石油利権を奪われた欧州勢は、その後、73年からオイルショックで反撃に出て、米国に対して揺さぶりを掛けます。
以下、るいネット「’10年夏なんで屋劇場ノート1〜世界経済を「金貸し支配」という視点から読み直す(ドルショック→オイルショック)」より。
オイルショックはロックフェラーに対するロスチャイルド=欧州貴族の反撃の一手。
素人発想では、石油利権を握るロックフェラーの仕掛けと考えるところである。しかしその後の、ロックフェラー系の石油会社の凋落からみても、オイル上昇が、石油利権を握るロックフェラーに有利な政策であったとは短絡的にいえない。(かつて主要石油会社はセブンシスターズと呼ばれた米英系企業が主流であったが、現在、米英勢の影響力は大きく低下しているし、オイルショックをきっかけに石油利権派に対抗する原子力利権勢力が伸長していっている。)
またオイルショックの火付け役となった「ピークオイル説」の発信源はローマクラブという欧州系のシンクタンクであった。
従って、ロックフェラーによる仕掛けというよりも、ロスチャイルド=欧州貴族連合がOPEC等産油国を巻き込んでロックフェラー勢に仕掛けた反撃の第1弾、とみた方がいいだろう。
中東での石油・天然ガス利権の損失と、ドル基軸通貨による国内産業の空洞化、3つ子の赤字等により米国覇権は衰弱していきます。一方、欧州勢力は、EUの統合、ユーロ圏の樹立により、ドル覇権に対抗する地固めを進めていきます。
この状況の中で、当時のブッシュ政権は、9.11・イラク戦争の「でっち上げ戦争」にて中東地域への攻撃と脅しを繰り返し、傀儡政権への影響力を維持する反面、中東各国の民族意識の中では、反米感情が蓄積されていきます。
●リーマンショック・ドル危機→中東各国の貧富の差拡大・若年層の失業増
サブプライム問題以降、世界の資金は石油等の資源に流れ、石油価格は一時的に過去最高値を記録します。参照:るいネット・経済指数指標グラフ
そして、08年9月のリーマンショック以降、石油価格は急激に下落していきます。
(その後、米・金融緩和等により、資金が流れ込み再び上昇)
中東地域では、極端な貧富の差が生まれます。また、どの国も平均年齢が低く若年層が多いため、若年層を中心とした経済悪化に対する不満が蓄積されていきます。今回の各国の民主化運動も、この若年層の事件が発端となっています。
今までの長期独裁政権(傀儡政権)の抑圧に対する反発に加え、反米感情の蓄積、経済悪化と失業増への不満が蓄積され、それらがイスラムの民族意識を上昇させ(イスラム教では本来独裁などありえない。)、アラブの春・民主化運動へと繋がっていきました。
今回の民主化運動は、上記の不満の中心が若年層だったことに加え、この地域での高いFacebook等のソーシャルメディアの普及がありました。
Facebook普及率(対人口比)チュニジア:26%、エジプト11.1%(日本:4.13%)
しかし、ここまで大きくなった民主化の動きを先導したのは?誰か?
●追い詰められるデビット勢による悪あがき:民主化の仕掛け(東欧カラー革命を手本にアラブの春)
リーマンショック以降、米国(デビット)は追い詰められ孤立化していきます。
米国の傀儡政権を拡げるためのイラク支配も資金が底をつき、オバマ政権は2011年までにイラクからの撤退を決めました。
またエジプトは、サウジアラビア、イスラエルと同様に、米国が中東を支配するための要の国でした。米国はイスラエル・サウジと同様に、エジプトへも毎年23億ドルを支援してきましたが、米国のデフォルト危機で、それどころではありません。
また、今回の民主化運動の手法は、10年前、ネオコン・CIA主導で仕組まれた東欧カラー革命と手法が全く同じです。そして、当時ジーン・シャープが「独裁から民主主義」の中で書いた「非暴力で政権を打倒するための198の手法」が、そのままエジプト民主化運動でも使われています。
加えて以下のような記事もあります。
以下、「中東民主化ドミノはCIA革命学校の卒業生が起こした」
CIAの革命学校
東欧セルビア(ユーゴスラビア)の「オトポール!」は、ベオグラード大学の活動家が始めた革命。オトポール! は反ミロシェヴィッチ闘争とその後のミロシェヴィッチ退陣を象徴する存在のひとつとなった。この革命に資金提供したのが米国民主主義基金(NED)。NEDは、今回のエジプト革命でも暗躍した「民主化推進のためのNPO」。セルビア「「オトポール!」革命の成功モデルを、そっくりそのまま展開したのがエシプト革命であると言うことです。
セルビア革命の成功以後、「オトポール!」は、西側から資金提供を受け続け、「CANVAS」(=Center for Applied Non-Violent Action and Strategies 非暴力行動と戦略の中心)と呼称を変えて、ある種の「CIA革命学校」になったのです。エジプト革命の中心的存在となった「4月6日若者運動」のメンバーは、2008年にニューヨークで米国務省が設定した会議に出席した後、翌年2009年に、CANVASを訪問したと伝え聞いています。
今回の中東民主化運動「アラブの春」は、デビット勢力が、資金の枯渇により傀儡政権による中東支配が限界を迎え、金が掛からない民主化運動「カラー革命→アラブの春」へと転換したと考えられます。市場化・民主化の新自由主義で支配するために、仕掛けたのではないでしょうか。
●中東の民主化路線と資源を欧州勢力に奪われ、更なる悪あがき(イスラエル・イランの対立激化)
アラブの春を仕掛けたのは米国デビット側だとして、どこまで上手く行ったのか?
○EU寄りのトルコが、チュニジア、エジプトへ、民主化の営業運動へ動く。
トルコの宗教はイスラム教ですが、政治体制は民主主義体制であり、イスラム諸国が民主化する場合のモデルと言われています。参考:ニュースの整理:イスラエル隣国諸国編〜孤立するイスラエル〜
○チュニジアの総選挙では、イスラム政党が第一党へ。
独裁政権の崩壊により、イスラム原理主義やムスリム同胞団の力が増してきて民族意識が高まっています。参考:民族意識主導説
○国際原子力機関(IAEA)がイランの核兵器開発疑惑をめぐる報告書を発表。
イスラエルとイランの対立が激化。孤立していたイスラエルは、このイランの核兵器開発疑惑により、イランに対して圧力を加えています。参考:リンク
米国デビット勢力が仕掛けたアラブの春・民主化運動は、中東各国の根底にあるイスラム民族意識や反米感情を今まで以上に高め、今後も新政権の中で、各国イスラム政党が続伸していくことが予測されます。
この状況の中で、大人である欧州勢は、中東の資源は一定確保しつつもイスラム勢力の動きを尊重し多極化の戦略でいくと思われます。その中で中東民主化への転換を、トルコ等も使いながら、進めていくのではないでしょうか。彼らは、世界が力の原理から共認原理へ転換していることを分かっていると思います。
更に追い詰められた米国デビット勢力は、核兵器開発疑惑でイスラエルとイラン(イスラム諸国の民族統合の手本とされている)の対立を煽る「力の原理による悪あがき」に出ていると考えられます。
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