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サウジの皇太子が死去―後継はナエフ王子が確実視
2011年 10月 23日 12:21 JST
サウジアラビア王室は22日、同国のスルタン皇太子が死去したと発表した。86歳だったとみられる。
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Reuters
サウジのスルタン皇太子
スルタン皇太子は今年6月、検査のため米国に渡り、病気の治療を受けていたニューヨークで22日に死去した。25日に埋葬される予定。
長年、次期国王と目されてきた皇太子が死去したことで、今後は後継皇太子選びに注目が集まるものとみられる。
スルタン皇太子はアブドラ国王の異母兄弟で、50年近く国防航空相を務めてきた。近年、健康状態が急激に悪化し、病気の治療のため長期にわたってサウジアラビアを離れることが多かった。病名は明らかにされていないが、がんとみられている。
サウジ王室が22日、首都リヤドで発表した声明によると、スルタン皇太子は同日早朝に病気によりサウジ国外で死去した。声明は「アブドラ国王は弟のスルタン皇太子の死を悼んでいる」と述べた。
アブドラ国王自身も健康問題を抱えており、この1年で3度目となる腰の手術を先週受けたばかりだ。国王はリヤド市内の病院を出て、宮殿内の診療所で治療を続けているが、回復までにどれくらいの時間がかかるかはっきりしていない。
国王の病気に関する情報が限られていることから、過去には、国王が深刻な健康問題を抱えているのではないかとの憶測が広がったこともある。
後継皇太子として最有力候補とみられているのはスルタン皇太子の弟で77歳のナエフ王子だ。
内相を務めるナエフ王子は2009年に、皇太子に次ぐポストである第2副首相に任命された。
皇太子の選出には5年前に王室によって設置された忠誠委員会の合意が必要だ。
忠誠委員会は初代アブドルアジズ国王直系の子孫で構成され、後継者を選出するのは今回が初めてとなる。忠誠委員会は会合を開いてアブドラ国王が推薦した新皇太子を承認する。これによって、アラブ最大の経済大国の方向性が決まる。
ナエフ王子が皇太子に就任するとの見通しにサウジの改革派は懸念を強めている。改革派によると、ナエフ王子が1975年から内相として一部の改革を阻止したり、反体制派への取り締まりを指揮したという。
しかし、ナエフ王子は内相という職務の性質上、権力主義的な姿勢を取っていたと指摘する識者もいる。将来、国王になれば違った顔を見せる可能性もあるという。
サウジは世界の多くの王国とは異なり、王位が父親から息子へと継承される直系継承を採用しておらず、1934年にサウジアラビアを建国したアブドルアジズ初代国王の息子の間で王位が継承される。初代国王には45人の息子がいたが、現在存命中なのは19人のみで、ナエフ王子は政治に関わっている息子の中で最年長だ。
忠誠委員会がナエフ王子を承認することはほぼ確実とみられている。一方で、いずれは初代国王の孫の世代から皇太子を選出する時期がやってくるため、近く行われるとみられる皇太子の選出は将来の議論に向けた準備とも言える。
サウジ政府の高官は匿名で、今週中にもナエフ王子の皇太子就任が発表されると述べた。
スルタン皇太子の死去に伴い、武器購入を指揮する国防航空相という重要ポストも空席となった。スルタン皇太子は武器の購入を利用して米国や英国、フランスとの関係を強化するなど、サウジアラビアと西側諸国をつなぐ同盟関係において極めて重要な存在だった。
識者の多くはスルタン皇太子の息子であるハリド王子が国防航空相に就任するとみている。ハリド王子は2001年から副国防相を務めており、1991年の湾岸戦争ではサウジ軍を指揮した。
オバマ米大統領はスルタン皇太子の死を悼む声明を発表、サウジに哀悼の意を表した。皇太子は米国とサウジアラビアの関係構築に貢献した「大切な友人」であると述べた。
記者: Summer Said
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