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地震の科学の未来ー限界を踏まえた情報発信とは 世界別冊no.826 「破局の後を生きる」の記事「地震の科学の未来ー限界を踏まえた情報発信とは」からの抜粋とそれに関する自分の感想です。多分、地震対策を考える際に役立ちます。抜粋は自分が勝手に判断した結果ですから、重要な情報が抜け落ちていることもあるはずです。できれば、ぜひ、元の記事をご自分でお読みください。なるべく元の文章をそのまま引用しますが、要点をまとめた形で述べることもあります。 1.2009年4月にイタリアで起きたラクイラ地震(マグニチュード6.3)の発生リスクについて事前に言及しなかったことで、地震学者や政府防災担当者を司法当局が刑事事件として捜査対象とすると言うニュースが2010年6月にあった。かなりの前兆現象があり、官僚と学者から成る委員会で「大地震発生のリスクは否定できない」としたが、その議論をそのまま公表せずに、安心情報に偏って発表したからだという。被災者は「あんな委員会はない方が良かった」、「安全情報しか出すつもりのない委員会ならば、開催されない方が自分で対策を取れた」と言っている。 (感想:福島第一原発事故に関して、イタリア同様日本でも少なくとも刑事事件として捜査はしてもいいはずだと思う。少なくとも福知山線脱線事故では刑事事件として立件された。そもそも大きな地震に対する原発の耐震性は一切実証されていない。) 2.「貞観地震がマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震の一回前の超巨大地震である」という考え方には、重大な科学の限界が含まれている。つまり、もっとも最近の研究でも貞観地震に与えられたマグニチュードは8.4にすぎない。地震のエネルギーで言えば東北地方太平洋沖地震のわずか八分の一。だから、311前の段階での貞観地震の影響評価で、東電が「地震動を見積もり、安全基準を下回ると論じた」としても大きな誤りはなかった。津波に関しても同様の可能性がある。 (感想:このことを知らなかった。しかし、津波被害については10mを超えるものがありうると言う指摘も311の前にされていた様子だ。真実がどうなのか、依然として不明と言ったところか。ともかく、原発という巨大技術と巨大地震という1000年に一度災害の組み合わせは、人知を超えた事故を招いてしまう。少なくともこのことは確かなのだから原発廃止と判断するべきだと思う。) 3.地震と言う現象は複雑系で決定論的な理解が困難な上に、実験で再現することができず、さらに発生頻度が著しく低いためにデータに乏しいと言う三重苦にある。地震予知が困難であることは地震科学に携わるほとんどのものが認めている。しかし、そのことを一般市民へほとんど伝えず、地震予知こそが防災や減災への極めて重大な要素だとしてきた。2,011年5月のNHK日曜討論で当時の仙石官房副長官が「現時点では30年以内に大きな地震が起きる確率が低いところがほとんどだ。特に、日本海側などの原発はまず心配ないという結論が科学的にも出ており」と発言したが、科学はその限界から、「まず心配ない」などという決定論的な結論を出すことが出来ない。なぜ、政治的判断で他の原発は停止しないと政治家は言えないのか疑問だ。政治家が科学の世界に逃げ道を探すのはよくない。 (感想:その通りと思う。地震評価だけではなくて原発そのものの耐震性自体がほとんど検証されたものではない。更に、直下型地震の強い縦波については一般的な住宅に関しても耐震性は検証されていない。) 4.地震予知研究の現世での存在意義を強調してきたのは、先人たちや予算獲得に加担してきた官僚たちの大きな過ちだ。結果として、例えば東海地震が予知されることを前提として地震防災マニュアルが用意され、却ってそのことが混乱を引き起こしている。地震科学の限界をきちんと伝えることが大事。「想定にとらわれるな」、「ハザードマップを信じるな。最善を尽くせ」と生徒に教えて全員が無事に避難できた釜石市内の小中学校の例がある。筆者は板橋区立高島第一小学校で地震防災教育に取り組んできたが、特別教室や休み時間などの状況下で避難訓練を実施してきた。何らかの合図を契機として、その場その場の状況に応じて自らの安全を確保すると言う訓練を重ねたが、その結果、地震警報が鳴らなくても自然に避難行動がとれるようになってきた。 (感想:とても大切な指摘だと思う。少なくとも学校での避難訓練で休み時間などの状況設定は必要だ。また自分自身の頭で世界の危険性というか世界の構造を理解しようとしていくことはとても大切だと思う。しかし、反面、故意にそういったことをやらせない力が今の世界には満ち満ちている面もある。そのことに触れていないのは残念。) *6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<641>>
同様なことは1914年1月の鹿児島県桜島の噴火でも起こり、地震の前兆現象が観察されていたのにもかかわらず当時の鹿児島測候所が「噴火なし」と回答したため避難が遅れた。
地震の科学に関して言えば、一部の地震学者や官僚たちが、国民が認識違いを起こすように陥れてきた。
今回の原発事故の最大の教訓は、どんなに一生懸命、科学的な耐震性の評価を行ったとしても、それを上回るような現象が起こる国だとわかったことだろう。それを考えれば、これから起こるすべての現象に備えられるような原発は造れない。
例えば「木琴の下は安全なのか」という正解のない議論も生徒としてきたが、国民一人一人が現実のリスクを自らの頭で考える力が必要だ。民主主義社会における個人のよりよい意思決定は、世界における国家の位置づけにも寄与する。
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