http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/546.html
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(Six months on: Japan tsunami survivor's story: BBC NEWS ASIA-PACIFIC)
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-14853511
2011年9月12日最終更新21:47GMT
6カ月後:日本の津波を生き延びた人の物語
記者:ダミアン・グラマティカス
BBCニュース、陸前高田、日本
津波を生き延びた人は、水を怖がるかもしれないと、皆さんは思うだろう。しかし、カンノ・チヒロさんは、意を決してプールに飛び込む。
この16歳の少女は高校の水泳部で練習している。6カ月前、彼女は津波に襲われ、波に飲み込まれた。
「私が津波を生き延びたというのは本当だ。私は確かに津波に遭ったが、水泳部を辞めようとはちっとも思わなかった。私は水が怖くない」と、チヒロさんは語った。
3月11日、マグニチュード9.0地震が襲ったとき、チヒロさんの水泳部は、本拠地・陸前高田の海岸に近いプールで練習を始めるところだった。
通常の避難訓練のとおりに、水泳部は市民会館に向かった。しかし、その建物は波に浸かった。
チヒロさんは小さな倉庫に流し込まれた。彼女は友達を安全な方に引っ張ろうと、手を握りしめた。しかし、彼女は水の強さに持ちこたえることができず、2人の少女は離ればなれになった。
チヒロさんは建物のわずかな隙間に浮かび上がり、なんとか生き延びた。彼女が手を握りしめていた友達は、流された7人の部員の1人となった。
「一人になると、私は亡くなった友達のことを考えずにはいられない」チヒロさんの声が弱くなる。「またみんなに会いたいと強く思う。でも、友達といるとき、私は元気でいられる。」
信じがたいことだが、彼女の水泳部はすでに新たな部員を得ている。それでも、陸前高田ではほとんど全てが破壊されたので、水泳部は現在、海岸沿いを2時間かけて移動し、別のプールで練習しなければならない。
「私は力一杯泳ぎたい。命を落とした部員たちのために」と、チヒロさんは語る。「2年生で生き延びたのは、私ともう1人だけ。だから、いまは、新しい部員を引っ張るのは私たちの役目だ。」
ゴーストタウン
陸前高田は、津波による被害を最も大きく受けた町の1つだ。今日も巨大なトラックが低いエンジン音を響かせて、街の中心だったがらんとした通りを走り、瓦礫のかけらを運んでいる。
この場所はゴーストタウンとなっており、雑草や低木が乱雑に伸びている。わずかに残った建物は、大きなデパート、市役所、市民会館などだが、どこも中はがらんどうだ。
津波の後は、見渡す限りの瓦礫や、押しつぶされた自動車や、ねじ曲がった鋼材が散らばっていたが、それらはほとんど全て取り除かれた。今、それらは海岸の近くで巨大な山となっている。
パワーショベルや掘削機を使って、男たちが懸命に働いている。瓦礫をより分けて大きなかたまりを作り、リサイクルに出す準備をしているのだ。自動車のタイヤ、材木、金属、その他の廃棄物が、小さな山にまとめられている。しかし、再建の兆候となるものは、どこにも何ひとつない。
「政府の話では、再建資金の供与があるのだが、まだ1円も受け取っていない」と、戸羽太・陸前高田市長は語る。
「市役所がそこに建っているのはご覧になったでしょうが、私たちはあれを解体して更地にする必要がある。その資金をいただける約束だが、実際は何も来ていない。そのため、私たちは何一つ手を付けられない。」
お金がないということは、市長は建物の残骸を片づける事さえできない。ましてや、新たな建物の着工など。そのため、戸羽氏のいらだちは大きい。
「当然だ。そして、それは私だけじゃない。この地域の人々は、皆が被災し、いらだっている」と彼は語る。「東京の政治家は内輪で争っていて、私たちを無視している。私は彼らに尋ねる。東京で座って何をやっているんだってね。」
陸前高田の海岸では、波はうねるように入り込む。このあたりは白砂青松で有名な場所だった。今ここにあるのは、ただ、なぎ倒された木の根元と、壊れた防潮堤の巨大なコンクリート片が広がる原っぱだ。
戸羽氏の考えでは、ここの津波の高さは18m(60フィート)だった。彼の話では、防潮堤は15mの高さが必要で、防潮堤の背後では、盛り土をして街の一部をさらに3mかさ上げする。しかし、彼は、この計画に政府が資金を提供してくれなければ、前に進めないと語る。
再建がすぐに始まらなければ、沿岸の各自治体は少しずつ消滅していくことが、怖れられている。
期待値は低い
津波が起こる前でさえ、陸前高田などの漁師町は徐々に衰退しつつあった。若者たちは、高齢化する人口や苦闘する産業を後に、都市へと出て行った。
津波が起きてから、陸前高田の人口は約2万5000人から2万人未満に減少した。1550人ほどの市民が死亡し、200人がいまだ行方不明、さらに2000人が職や生計を失い、去っていった。
「東京の政治家たちが、自分や家族が被災したと想像さえしてくれたなら、決断するのは難しくないだろう」と、戸羽氏は語る。
「もし、あなたの子どもに職がなく、住む場所がなければ、子どもには何が必要だろう?そう。職であり、家だ。まもなく冬が来る。そうすれば、私たちは別の問題を抱えることになる。」
人々に強い印象を与えるのは、家を失った住民に住処を与えるための取り組みだ。鉄骨の仮設住宅の団地が、陸前高田のあちこちに点在している。
住宅はどれもシミ一つない清潔さで、品が良く、整然としている。すでに一部の家の外には、鉢植えの花がある。職人たちは家々の玄関まわりの作業で忙しい。どの家にも水道とガスが敷かれ、電気メーターや郵便受けまである。約2000世帯が、このようにして生活している。
家族の仮設住宅では、チヒロさんの両親は、夕食の支度で忙しい。家にあるのは、2つの狭い部屋、台所、テレビ、コンロ、テーブル、そして、壁に掛かった写真だ。
チヒロさんの父親は、カキ漁の仕事を失った。祖父は行方不明者の一人で、おそらく、亡くなっている。母親の話では、祖父の遺体を見つけ出して、きちんと葬ってあげることが家族の強い願いだ。
家を建て直せるかどうかも、家族は知りたがっている。そのため、彼らもまた、東京の決断を待っている。
「私が政府をどう思っているかって?」母親は問い、懐疑的に笑う。「それほどね。政治家たちは、誰を首相にすべきかで争っている。今はそんな時じゃない。私たちは、彼らに何も期待しなくなった。」
毎朝、チヒロさんは海岸沿いを1時間かけて、仮設の学校に通う。そこでは、彼女は友達と一緒だ。しかし、彼女が本当に望むのは、陸前高田に新しい学校と新しい家ができることだと語る。
ところで、泳いでいるときは、彼女は津波の記憶に浸らないでいられる。
「泳いでいるとき、友達は私と一緒で、私たちは一緒に懸命に練習する。私は何も考えなくていい。私の心は空っぽになる。だから、私は水泳が大好きだ。」
3月11日の津波前後の、陸前高田の画像
震災前:2010年7月23日
震災後:2011年3月13日
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(投稿者より)
BBCサイトに掲載された記事です。誤訳があるかもしれません。ご容赦下さい。
この記者は、ふだんは中国・北京で活動している方のようです。震災後の現地を取材し、1カ月後の4月中旬、陸前高田のある高校の水泳部を襲った運命の明暗をレポートしています。
(Tsunami: Death and survival at school swimming club: BBC NEWS ASIA-PACIFIC)
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-13083528
この記事は私も読んでいますが、中身が重すぎると思い、翻訳作業はしませんでした。興味がありましたら、お読みになってみて下さい。
今回投稿させて頂いた記事は、その5カ月後、津波を生き延びて半年経った水泳部員に再びスポットを当てています。シンプルな描写ですが、彼女がさまざまな思いを乗り越えてきたことが、記者の筆致から読みとれます。
そして、それは彼女だけではなく、陸前高田の街や住民に共通のテーマであることが分かります。誰もが重い物語を内に抱え、それを乗り越えて、この半年を生きてきました。
記事には陸前高田の市長にもスポットを当てていますが、BBCの記者が政府の震災対応について、現地の声をここまで詳しく拾い上げることは、今までなかったように思います。
これらの記事のメッセージについては、動画の方がわかりやすいかもしれません。上が4月のもの、下が9月のものです。それぞれのリンク先からご覧になって下さい。言葉が分からなくとも、伝わるものはあると思います。
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(One month on, Japan continues to mourn disaster victims: BBC NEWS ASIA-PACIFIC)
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-13102257
1カ月が経ち、日本は大災害の犠牲者を悼む
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-13102257
(このリンクをクリックすれば、BBCのサイトに移動し、FlashPlayerの動画が自動的に起動します)
2011年4月15日最終更新21:43GMT
日本では地震と津波の大惨事から1カ月が経つが、生活が動き出す兆候はほとんど見られない。
死者数は2万8千人に達すると予想されるが、さらに、15万人が避難所での生活を続け、あまりにも大きな損失に対処すべく苦闘している。
BBCのダミアン・グラマティカス記者が、日本・東海岸の最も大きな被害を受けた町の一つである陸前高田に入り、愛する人の死を悼む人々をレポートする。
(衛星画像はGeoEyeの好意によるものです。)
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(Japan continues to rebuild six months after tsunami: BBC NEWS ASIA-PACIFIC)
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-14891018
津波から6カ月、日本の復興は続く
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-14891018
(このリンクをクリックすれば、BBCのサイトに移動し、FlashPlayerの動画が自動的に起動します)
2011年9月12日最終更新20:44GMT
日本の一部に大きな被害を与え、多数の死者をもたらす結果となった津波から6カ月が経ち、復興の過程は続いている。
約1万6000人の死亡が確認され、5000人近くがいまだに行方不明だ。
ダミアン・グラマティカスは、大災害後の日々を最初に取材した都市の一つである、陸前高田に再び入った。
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