http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/512.html
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アメリカ東部で起こった地震と日本での地震予測 8月23日、アメリカ東部でM5.8の地震が発生した。引用記事1によると、1944年や1897年にもほぼ同様な地域で同規模の地震が発生していると言う。では、1944年や1897年の前後に、日本ではどのような地震が起こっていたか、簡単に調べてみよう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) に日本の地震年表がある。そこから前後10年程度の期間を見て、おおまかな地震の傾向を見てみよう。なお、その期間の地震のデータを引用記事2としてと引用記事3として載せておく。 まず見るべきはマグニチュード8を超えた地震だろう。1891年10月の濃尾地震。これは岐阜県本巣市のあたりを震源とした、ほぼ岐阜県全体を縦に横断するほどの断層が動いた地震だ。日本で起こった過去最大級の内陸型地震と言われる。 次は、1896年 6月15日の明治三陸地震地震だ。これは、今年3月に起きた東北地方太平洋沖地震にも匹敵するマグニチュード 8.2〜8.5にもなる地震で2万人を超える犠牲者が出た地震だ。 その次は、 1946年12月21日の昭和南海地震だ。マグニチュード8で、この前年の1945年にはマグニチュード7.9の昭和東南海地震が起こっている。 311の地震を思い起こさせる明治三陸地震地震が起こっていることは注目に値するし、東南海、南海地震が起こっていることも特に注意が必要だ。 引用記事2と3に共通している地震が幾つかある。茨城県や宮崎県、または、三重や和歌山、そして青森や房総半島沖だ。これらの地域では、ほぼ確実にここ数年から長くても10年以内にはマグニチュード7を超えた地震が起こるはずだ。 東海地震が引用した期間では起こっていないが、既に150年以上起こっていないことを考えたら、近いうちに起こると仮定して準備をしたほうが良い。 引用記事1 http://www.cnn.co.jp/usa/30003770.html より一部引用: 震源地は首都ワシントンから約141キロ南西のバージニア州ミネラル付近で、震源の深さは約5.9キロ。米地質調査所(USGS)によると、東海岸で起きた地震としては1944年のM5.8の地震、1897年のM5.9の地震と並び過去最大級だという。続いてマグニチュード2.8と2.2の余震も発生した。 引用記事2 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC) より、1897年の前後10年間の地震を引用: 1889年7月28日 熊本地震 - M 6.3、死者20人。 引用記事3 上にある引用記事2と同じURLから1944年の前後10年間の地震を引用: *6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<650>>
ワシントン(CNN) 米東海岸で現地時間の23日午後1時50分ごろ、首都ワシントンに近いバージニア州を震源とするマグニチュード(M)5.8の地震が発生した。この影響で同州の原子力発電所が運転を停止したほか、ワシントンやニューヨークでは建物から人々が避難したり観光地への立ち入りが一時禁止されたりするなどの影響が出た。死者や重傷者、建物の大きな損壊などは確認されていない。
以上引用記事1終わり。
1891年10月28日 濃尾地震 - M 8.0、死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
1892年12月9日・11日 石川県・富山県で地震 - M 6.4(9日)、弱い津波。死者計2人。
1893年6月4日 色丹島・択捉島で地震 - M 7.0、色丹島で2.5mの津波。
1894年 3月22日 根室半島沖地震 - M 7.9、死者1人。北海道・東北に津波。
6月20日 明治東京地震 - M 7.0、死者31人。
10月22日 庄内地震 - M 7.0、死者726人。
1895年1月18日 茨城県南部で地震 - M 7.2、死者6人。
1896年 6月15日 明治三陸地震 - M 8.2〜8.5、死者・行方不明者2万1,959人。
8月31日 陸羽地震 - M 7.2、死者209人
1897年 2月20日 宮城県沖地震 - M 7.4、地割れや液状化、家屋に被害。
8月5日 三陸沖で地震 - M 7.7、宮城県や岩手県で津波により浸水被害。
1898年4月23日 宮城県沖で地震 - M 7.2、北海道から近畿にかけて有感、岩手県と宮城県の県境付近で被害。
1899年 3月7日 紀和地震 - M 7.0、死者7名、三重県を中心に近畿地方南部で被害。
11月25日 宮崎県沖で地震 3時34分 - M 7.1 / 3時55分 - M 6.9。
1900年5月12日 宮城県北部で地震 - M 7.0、死傷者17人、家屋などに被害。
1900年代 1901年8月9日、8月10日 青森県東方沖で地震 - M 7.2・7.4、死者18人。
1902年1月30日 青森県東部で地震 - M 7.0、死者1人。
1905年6月2日 芸予地震 - M 7.2、死者11人。
(なお、多少期間が伸びるが1909年には、房総半島沖地震を含め、次の地震が起こっている。)
1909年 3月13日 千葉県房総半島沖で地震 8時19分 - M 6.5 / 23時29分 - M 7.5。
8月14日 姉川地震(江濃地震) - M 6.8、死者41人。
8月29日 沖縄本島付近で地震 - M 6.2、死者2人。
11月10日 宮崎県西部で地震 - M 7.6。
以上、引用記事2終わり。
1935年 7月11日 静岡地震 - M 6.4、死者9人。
10月18日 三陸沖で地震 - M 7.1。
1936年 2月21日 河内大和地震 - M 6.4、死者9人。
11月3日 宮城県沖地震 - M 7.4、小被害(ほぼ同規模の1978年宮城県沖地震と比較すると、死者皆無など遥かに小規模の被害)、小津波あり。
12月27日 新島近海で地震 - M6.3、死者3人。
1937年7月27日 宮城県沖で地震 - M 7.1。
1938年 5月23日 茨城県沖で地震 - M 7.0
5月29日 北海道・屈斜路湖付近で地震 - M 6.1、死者1人。
6月10日 東シナ海で地震 - M 7.2、宮古島で2m前後の津波。
11月5・6日 福島県東方沖地震 - M 7.5、 M 7.3 / 7.4、福島県や宮城県で震度5、福島県で死者1人、東北〜関東に津波。
1939年 3月20日 日向灘で地震 - M 6.5、死者1人。
5月1日 男鹿地震 - M 6.8、秋田市で震度5、死者27人。
1940年8月2日 積丹半島沖地震(神威岬沖地震) - M 7.5、死者10人。
1941年 7月15日 長野地震 - M 6.1、死者5人。
11月19日 日向灘で地震 - M 7.2、九州東岸、四国沿岸で津波1m。死者2人。
1943年 6月13日 青森県東方沖で地震 - M 7.1。
9月10日 鳥取地震 - M 7.2、死者1,083人。
10月13日 長野県北部で地震 - M 5.9、死者1人。
1944年12月7日 昭和東南海地震 - 三重県沖、M 7.9、死者・行方不明者1,223人、伊豆から紀伊にかけて津波。
1945年 1月13日 三河地震 - M 6.8、死者・行方不明者2,306人、津波あり。
2月10日 青森県東方沖で地震 - M 7.1、死者2人。
1946年12月21日 昭和南海地震 - 和歌山県沖〜四国沖、M 8.0、死者・行方不明者1,443人、房総から九州にかけて津波。
1947年9月27日 与那国島近海で地震 - M 7.4、死者5人。
1948年 4月18日 和歌山県南方沖で地震 - M 7.0。
6月15日 紀伊水道で地震 - M 6.7、死者2人。
6月28日 福井地震 - M 7.1、死者・行方不明者3,769人。※この地震を機に気象庁が震度7を制定。
1949年 7月12日 安芸灘で地震 - M 6.2、死者2人。
12月26日 今市地震 - M 6.4、死者・行方不明者10人。
1950年2月28日 宗谷東方沖で地震 - M 7.5。
1951年7月12日 小笠原諸島西方沖で地震 - M 7.2。
1952年 3月4日 十勝沖地震 - M 8.2、死者・行方不明者33人。北海道から東北に津波。
3月7日 大聖寺沖地震 - M 6.5、死者7人。
7月18日 吉野地震 - M 6.7(旧M 6.8)、死者9人。
1953年11月26日 房総沖地震 - M 7.4。
以上、引用記事3終わり。
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