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株式日記と経済展望
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大槌町の加藤宏暉町長もその死が“美談”として報じられた。職員の
死者・行方不明者は25人になっている。「美談」として扱うのは避けたい。
2011年6月30日 木曜日
◆メディアは報じる、「震災で亡くなった人=美談」と 5月13日 吉田典史
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1105/13/news005.html
90年代前半から後半にかけて東北、北関東、中部地方の60ほどの市町村役場を取材で訪れた。テーマは「町おこし」だったが、災害課、危機管理課などの職員に防災対策なども聞いた。そのときの記憶で言えば、「災害のときは住民のために死を覚悟して職務を遂行せよ」と教え込んでいる役場は1つもない。ほとんどが危機管理マニュアルに沿って粛々と進めることを方針としていた。
私はこのような経験があった。だから、遠藤さんはきっと強い責任感を持ち、公務員として市民を守るためにギリギリのところまで仕事をしようとしたのだろう。そして、忠実に上司の指示を守ったのではないだろうか。
それならば、上司や町長らは少なくとも次のことは明確にしていくべきではないか。それが、死んだ人へのせめてもの弔いだろう。
町役場の職員を守るための危機管理マニュアルや避難訓練はどのようなものであったのか
遠藤さんの上司は、当日の津波をどのくらいのものと認識していたのか
いつ、どこで、部下である遠藤さんたちに「避難しよう」と指示をしたのか
その指示をもっと早くすることはできなかったのか
屋上に逃げるときに、上司らは遠藤さんらをどのようにして守ったのか
町役場として職員が亡くなったり、行方不明になったことへの説明はどうなっているのか
町長も津波が来たときに庁舎にいた。屋上に上がり、手すりにしがみつき難を逃れたという。ギリギリのところまで職務を遂行したのだから、それは称えられていい。だが、地震が発生し、津波が押し寄せてくるまでの30分間の対応や、その瞬間の状況が分からない。遠藤さんの父親は『週刊新潮』の取材にこう答えているが、意味の深い言葉に思えた。「津波が来るまで30分はあった。だから、逃げる時間はあったはずなんだ。放送を切り上げて、せめて10分でもあれば…」
町長らには当日のそれぞれの職員の対応や役割分担、権限と責任、さらに役場としての危機管理マニュアルや避難訓練のあり方などを含め、明らかにしてほしい。それが遠藤さんの死を無駄にしないことだと思う。
最悪の事態を想定
大槌町の加藤宏暉町長もその死が“美談”として報じられた。町長らは、地震発生後、役場前の駐車場で災害対策会議を開いた。そこでは20〜30人の職員が机などを持ち出し、準備を始めていた。そのときに波にさらわれ、役場から500メートルほど離れた国道沿いで、遺体として見つかった。課長級の7人も亡くなり、4月21日現在、職員の死者・行方不明者は25人になっている。
加藤町長は、行政の長として職務を完遂したと言える。しかし、部下である町役場の職員が多数亡くなっている以上、「美談」として扱うのは避けたい。当日の実態はきちんとおさえたほうがいい。
朝日新聞(4月21日)によると、役場の周辺で「津波だ」という叫び声がしたとき、町長は東梅副町長らと一緒に庁舎の階段を駆け上がり、屋上に上がろうとした。だが、押し寄せる波に飲み込まれたという。
この様子から察するに、「死を覚悟して職務を遂行していた」のではなかったのだろう。きっと生きたかったに違いない。部下である職員らも津波から逃げている以上、死ぬことを前提に会議を開いていたとは思えない。
災害対策会議を開いた場所が庁舎の前であったことが、この町役場の防災意識を物語っている。大槌町では、震度5以上の地震が発生したり、津波警報が発令されたときは、町長を本部長とする災害対策本部を設けることを定めていた。そして地震などで役場の庁舎が使えない場合は、高台にある公民館に対策本部を設けることを決めていた。ところが、職員たちは高台に避難することなく、役場の前で会議を開いた。
高台へ避難する住民が、町長や職員らが庁舎の前で会議を開いている様子を見たという。朝日新聞の取材に「こんな時に何をしてるんだと思った」と答えている。生き残った副町長は、「これまでの避難訓練では役場に本部を置いてきた。当日も訓練と同じことをした。高台への避難は思いつかなかった。庁舎に本部を設置することで頭がいっぱいだった」としている。
私は、地震後に総務課長になった平野公三総務課長の言葉がすべてを言い表していると思う。
「防災計画や訓練そのものが最悪の事態を想定してこなかった。想定を超える災害でも命が助かる防災計画でなくてはいけない。『未曾有』という言葉で覆い隠すのではなく、きちんと検証し、実効性のある計画をつくることが必要だ」(4月21日 朝日新聞の記事の一部を抜粋)
遠藤さんや加藤町長らの死に至るまでの状況を知ろうとしない人が、“美談”として取り上げているようにしか、私には見えない。この2人に限らない。震災で多くの人が亡くなっているが、彼らの死を「かわいそう」「よくやった」「仕方がない」といった表現でまとめていいのだろうか。
◆東日本大震災における死者・行方不明者数及びその率 5月29日 警察庁・総務省
http://www.isobesatoshi.com/data/sisya-eastjapan.html
(私のコメント)
日本のテレビや新聞の報道は横並びであり、個性と言うものがほとんどない。記事だけを読んで新聞を特定することは難しいし、テレビをつけていてもチャンネルを特定することは内容で区別することは難しい。日本のマスコミは記者クラブで統制されているからそうなるのですが、それだけ政府の見えない統制の縛りがきついと言うことだ。
おまけに一つの広告代理店が各局の番組を仕切っているから横並びになるのが当然だ。日本では個性と言うものはネガティブに捉えられて、独自の見解を表明すると変人奇人呼ばわりされることがある。日本では全会一致が原則であり、異論を挟むことは許されない。そうすると「水をさす」と言われる。
「株式日記」はそのような横並び報道を批判してきましたが、できるだけ異なる視点の記事を書くように心がけてきた。東日本大震災の報道もマスコミは横並び報道であり、ネットでは各新聞記事を読み比べることが出来るから余計に目立つようになった。新聞記事の多くが通信社の記事そのままであり、独自取材の記事は1割程度だ。
「株式日記」はニュースと言うよりもニュースの分析が主体になるから、同じ事を書いていたら読む価値がない。だから記事などを資料として掲載して、それに対する感想や分析コメントになる。マスコミの東日本大震災に関する報道で明らかに誤報と分かるようなものもそのまま報道されてしまうことだ。記者たちが現場の雰囲気の飲まれてしまって誇大に報道する事があるだろう。
町が一面瓦礫の原になってしまって、町で1万人が行方不明と報道されるとびっくりしますが、最近のデーターで調べると、死者行方不明者の割合は一番多い大槌町で11%台であり、多くの町や村は1%以下の割合だ。だから大槌町の11%や女川町の10%や陸前高田の9%や南三陸町の7%は突出して多いことが分かる。なぜ特定の町に被害が集中しているのだろうか?
三陸の多くの町はリアス式の海岸であり、入り江の一番奥に町がある。つまり地形的に似たような地形であり津波の規模も同じくらいのはずなのに、四つの町が死者行方不明が突出して多いのは何か原因があるのだろう。大川小学校のことについては二度にわたり書きましたが、やはり最高責任者の判断に過失があったのではないだろうか。
三陸海岸はほとんど山ばかりで平地はごく限られている。限られた平地部分に多くの町や村が点在していますが、歴史的に津波の被害に何度も見舞われてきた地方であり、津波に対する防災訓練が行なわれていた。特に大槌町では25名もの役場の職員が亡くなり、その後の災害復旧もままならないほどの被害を受けてしまった。
南三陸町も7%の死者行方不明者を出しましたが、鉄骨だけになった防災庁舎は防災対策が不十分だった事を示しています。津波が5分10分で来たのなら逃げ遅れることも考えられますが、30分の間に高台に避難する事ができたはずだ。しかし停電で通信が断たれて情報が入らなくなり市町村は孤立してしまったのだろう。
限られたネットやワンセグ放送は受信できたようですが、電話や無線やテレビが使えず気象庁などの情報も入らない。そのような状況で大槌町長は役場の駐車場で対策会議をしていたようですが、津波に呑まれて亡くなった。状況判断としてあれだけ大きな地震があったのだから津波も大規模なものを想定できなかったのだろうか?
避難を呼びかけるべき役場が津波に襲われたこと自体が油断していた証拠であり、死を覚悟して役場に踏みとどまったとは考えにくい。大槌町役場は二階建てであり、南三陸町の防災庁舎も三階建てで、10メートル超えた津波には役に立たない。だから町役場も真っ先に高台に逃げるべきであった。問題なのは危機管理マニュアルや避難訓練はどのようなものであったのかであり、記事ではそれが分からない。
大川小学校でも防災訓練そのものが行なわれていなかったことが避難場所をどこにするかも決めていなかった事で被害を大きくしてしまった。福島原発にしても全停電状態を想定しないとしていたように、対策マニュアルに不備があったことが被害を大きくしてしまった一番大きな要因だ。実際に起きるかどうかは抜きにして、もし来たらどうするかぐらいは考えておくべきだったのだろう。
「災害は忘れた頃にやって来る」という諺は昔からの戒めなのですが、中には「そのような状況は当分ないから考えなくていい」といった油断があったのだろう。死亡行方不明者の絶対数では石巻市がダントツに多くて6000人近い被害者を出している。人口16万人の小都市ですが率にして3,6%の被害だ。石巻は大川小学校があるところであり防災計画が不備なのも市の行政に原因があるような気がする。
石巻市ぐらいの都市になると、まとまって防災訓練も出来ないのでしょうが、阪神大震災並みの死者行方不明者を出した。ほとんどが地震ではなく津波による被害だろう。市のホームページを見ても津波の被害は具体的には何も書いてない。住民は高台に避難しようにも近くにはない場合は高層ビルに避難するしかありませんが、避難場所になりそうなビルが写真を見ても少ない。
マスコミの取材も三陸のほうの町が多くて、石巻市の取材は少ないのですが、ネットなどで見る事が出来る。石巻市の住民にしてみれば津波といってもピンと来ないのかもしれませんが、それが6000人もの被害を出した原因でもあるのだろう。人口16万人の都市が高台に引っ越すなんて無理であり10メートルの防波堤を作ることも無理だろう。
このように被害の大きなところを分析してみましたが、対策は金のかかることばかりで打つ手がない。役所を責めても金がないから対策も立てられなかったのだろう。金がかからなくて打てる対策は逃げることだけであり、日ごろからの防災訓練しかない。しかし中規模な都市以上ともなると防災訓練もままならない。東京などは逃げたくても交通渋滞で逃げることも出来ずどうにもならない。
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