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大川小 地震の40分後に避難
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110605/t10013321651000.html
6月5日 4時14分 NHK
東日本大震災の津波によって全校児童のおよそ7割が亡くなったり、行方不明になったりしている、宮城県石巻市の大川小学校で、保護者を対象にした説明会が4日夜に開かれ、学校から避難を始めたのは、地震発生からおよそ40分たって「津波が近づいている」という広報車の呼びかけが聞こえてからで、高台へ向かった直後に子どもたちの列が津波に巻き込まれたことが明らかにされました。
石巻市の大川小学校は、津波で全校児童108人のうち68人が死亡し、今も6人が行方不明になっています。学校側は、当時の状況について、4月上旬に保護者を対象にした説明会を開きましたが、学校の対応や避難の方法などについて、より詳しい説明を求める声が相次いだことから、4日夜、2回目の説明会が開かれました。説明会では、助かった児童や教員など、合わせて26人から聞き取った調査の結果が報告され、避難を始めたのは、地震発生からおよそ40分たって「学校に津波が近づいている」という市の広報車の呼びかけが聞こえてからで、高台に向かった直後に子どもたちの列が津波に巻き込まれたことが明らかにされました。また、学校側が避難先をあらかじめ決めていなかったことについては、マニュアルに不備があったことは認めたものの、学校側の対応に問題があったかどうかについては明確にしませんでした。学校側では、今後、聞き取り調査や保護者への説明を行う予定はないとしています。説明会のあと、保護者からは、学校側の説明があいまいだといった不満の声や調査の継続を求める要望が相次ぎました。このうち、亡くなった当時3年生の今野誠くんの母親の真由美さんは「学校側に防災に関する危機管理意識がなかったことは、説明会でよく分かりました。説明にはあやふやな部分が多く、不満です」と話していました。また、同じく当時3年生の男の子を亡くしたという父親は「一方的に説明会が打ち切られ、今後、このような機会は設けないと言われました。多くの犠牲者を出したのに、このような説明会で、みんな納得していませんでした」と話していました。
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東日本大震災:児童68人死亡、不備認める 大川小説明会
http://mainichi.jp/select/today/news/20110605k0000m040083000c.html
2011年6月4日 21時47分 更新:6月4日 23時34分 毎日新聞
東日本大震災の津波で全校児童108人中68人が死亡、6人が行方不明となっている宮城県石巻市立大川小学校の保護者説明会が4日夜、同市内で開かれた。市教委側は、過去に津波が同小に到達したことはなく想定外だったとし、同小の避難場所が決まっていないなど避難のマニュアルに不備があったことを認めた。だが明確な謝罪はなく、出席した約70人の保護者からは「がっかりした」との声も出た。
市教委は児童24人と教員らから聞き取り、経緯を調査。児童や教員が避難を始めたのは地震発生から約40分後の3月11日午後3時25分ごろで、津波到達はその約10分後だったことを明らかにした。
市教委は、避難が遅れた理由を▽迎えに来た保護者への児童の引き渡し▽小学校に避難してきた地域住民への対応▽避難場所の選定−−などに手間取ったためと説明。また、裏山へ避難しなかったのは「地震による倒木の恐れがある」との意見が出たためとした。お盆までをめどに、被災現場近くに慰霊碑を建立することも明らかにした。
一方、市教委や保護者によると、多数の犠牲者が出たことに対して、出席した亀山紘市長や市教委側から「重く受け止める」などの言葉はあったものの、明確な謝罪はなかったという。
保護者の思いはさまざまだ。長女の小晴さん(当時6年)が行方不明のままの平塚なおみさん(37)は「親身に受け止めてくれた感じがしなかった。保護者側の思いとかみ合わず、がっかりした」と残念がった。次女愛香さん(同6年)と長男悠登君(同2年)を亡くした加納美雄さん(36)は「これ以上やっても子供たちは帰ってこない。児童全員を助けようとした先生まで責めることにならないか」と複雑な胸中を語った。【須藤唯哉、津久井達、百武信幸】
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