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大震災「比較にならない大きさ」=チリ地震津波から51年−双方経験の被災者
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011052400032
1960年に三陸沿岸を襲い、142人の死者・行方不明者を出したチリ地震津波から24日で51年となった。東日本大震災と両方の津波を経験した被災者は「今回は比較にならないほど大きかった」と口をそろえた。
岩手県釜石市の避難所に身を寄せる山崎勝好さん(75)はチリ津波の時、釜石港で夜勤中だった。未明に潮が何回も満ち引きするのを見た。津波は海から約300メートル離れた自宅まで到達したが「玄関先がぬれた程度」だった。1896年の明治三陸地震と1933年の昭和三陸地震の両方の津波を経験した祖父母からは、「近くの神社の鳥居まで逃げれば大丈夫」と聞かされていた。
しかし、大震災の津波では自宅を失った。「全然規模が違う。チリの30倍くらいだ」。鳥居まで逃げても津波が押し寄せ、高台へと逃げた。
51年前、宮城県気仙沼市の病院に勤務していた釜石市の佐藤ソノエさん(73)は早朝、外で「津波だ」と騒ぐ声を聞いた。玄関や裏口から水が入り、待合室や診察室が腰の高さまで漬かった。大震災の津波は「比較にならない」と話す。自宅は高台にあるが、2階まで水が押し寄せた。何も持たず、さらに約200メートル先の高台に走ったという。
宮城県石巻市の小学校に避難している高橋美弥子さん(81)はチリ津波で自宅の被害はなかった。大震災は揺れが大きかったが、当時の記憶から「大津波は来ない」と思い、逃げ遅れた。自宅1階に2方向から海水が浸入し首まで漬かったが、2階に上がり助かった。「チリ津波は津波のうちに入らない。こんなに大きいとは予想しなかった」と話した。
(2011/05/24-05:42)
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