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陸前高田の本音をリポート 2カ月経っても大いなるミスマッチ
http://gendai.net/articles/view/syakai/130491
2011年5月17日 掲載 日刊ゲンダイ
見ると聞くとじゃ大違い
●「仕事がしたい」と有償のガレキ撤去作業を望む避難住民。
「地元業者がなぜ復旧作業からツマはじきなんだ」と嘆く建設業
「腐った魚と汚泥が放つ悪臭がすごい」――と思っていたが、意外と臭いはなかった。日刊ゲンダイ本紙記者が「壊滅状態」になった岩手・陸前高田市の2カ月後を訪ねた。
現地を訪れたのは14日。「日本百景」で知られる高田の松原海岸はすっかり消え、内陸部に広がる街は廃虚と化していた。
海岸から数百メートルに位置する建物は土台部分だけをわずかに残し、2、3キロ離れた場所は、汚泥に埋まった冷蔵庫、テレビ、机、コンクリート片、木材などが散在。横倒しや裏返し、ペチャンコになったサビだらけの車や漁船も放置されたまま。壁と骨組みを残して傾く家屋には「捜索終了」の張り紙。人影はなく、昔の映画ニュースで見た原爆投下直後の広島や長崎市内のような景色だった。
陸前高田市は人口約2万3000人。うち、岩手県全体の被害者の約3割に上る2200人の死者・行方不明者を出している。東北でも被害が大きい市なのに、2カ月経っても震災直後と変わらない。道路上は片付けられているが、膨大なガレキの山は手付かず状態だった。
市内でガレキ運びやドブさらい掃除に当たっているのは学生や県外からのボランティアたち。だが、作業環境は劣悪だ。
「ガラスの破片がそこら中に散らばっていて、ちょっと足をケガをしただけでも汚泥の影響で抗生物質が必要になるケースがあるのです。だから長靴の底に鉄板を敷いて作業しています。ホコリもすごいから、マスクとゴーグルも欠かせません」(ボランティアのひとり)
「千年に一度」の津波の直撃を受けた被災地の頼みがボランティアだけとは呆れた。国や自治体、自衛隊はどこにも見えなかった。社員旅行でボランティアに参加していた都内の松田洋一さん(61)は「2カ月過ぎても何ら手付かずの状態に驚いています。これではガレキを片付けるだけで何年もかかりますよ」とビックリしていた。
住民の避難所生活も過酷だ。今も約500人が避難している市立一中の体育館。高さ50センチほどの段ボールに囲まれた約10平方メートルが1家族あたりの居住スペース。プライバシーはゼロだ。
●「義援金はまだもらっていない」
避難所生活を送る左官業の男性(61)がこう説明した。
「震災直後は1000人ぐらいが避難所にいた。はじめは体育館のカーテンを掛け布団代わりにして寒さをしのいだよ。食べ物も2日目ぐらいまでコップ1杯の水。今は物資は足りている。テレビが1台置いてあるだけだから、情報を得るのはもっぱら新聞。配られるのは50部で、読みたい人は朝4時30分から並んで待っているよ。ひとりで3部も4部も持っていく人がいるからすぐになくなるけれど……。義援金?まだ1円ももらっていない。仕事をなくした被災者が多いから、有償でガレキの撤去作業をやらせてくれればいいと思うが、そうならないんだ」
隣の大船渡市では4月にガレキの撤去などに被災者を雇用する支援事業を始めた。日当7200円。第1次募集で110人が雇用された。宮城県石巻市でも、被災者242人が避難所管理や支援物資の仕分けなどを行う臨時職員に採用されている。しかし、陸前高田では、こうした被災者向けの雇用支援の話がなぜか進んでいない。
避難所生活を送る建設業の男性(61)も「ここには船大工も多いし、体もなまるから復旧作業に携わりたいが、大阪の建設業者が現場を押さえていて入れないんだよ」とボヤいていた。
本腰を入れて就職活動するには生活基盤となる仮設住宅が必要だ。しかし、5月の連休明けに全員入居できる計画が遅れに遅れ、一部が校庭に完成しただけ。2〜3カ月も先延ばしされている。
進まないガレキの撤去、整備されない仮設住宅、配られない義援金――。三重苦、四重苦の生活を送る“忘れ去られた”陸前高田の被災者はもっと怒っていい。
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