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ひょう吉の疑問 より
http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/2c003bcb0a52c48071fa9fbc0ebf4354
誰も自ら頼んで生まれてきた人はいない。
通常、自分の行動は自分が責任を取らなければならないが、
唯一の例外が、この『生まれる』ということである。
親が生んだから親が責任を取らなければならないかというと、これも違う。
子どもの養育は親の責任だが、子どもが成人したあとは子ども本人が責任を取らなければならない。
自分の意志で生まれたものではなくても、自分が責任を取らなければならないのが人生のルールだ。
『どうして俺を生んだんだ』と親を責めて一番不幸になるのはそういった本人自身であるのは、そういった人生のルールを無視しているからである。
一頃流行った『自己責任論』が完璧なものでないことに今では多くの人が気づいているが、それは人生の根本問題にかかるその一点が論破できないからである。
それは人生という摩訶不思議なものの根底にある疑問である。
それと同様に天災も誰の責任でもない。(ただし原発のような人災は違う)
そういう誰の責任でもないものによって、人は人は自分の人生を一変させられてしまう。
ところが誰の責任でもないから、自分の力だけで何とかしろ、となるのかというと決してそうはならない。
これも自己責任論では解決できない問題である。
人が助け合うというのは決して自己責任論からは出てこない。
今回の大震災で不幸にして亡くなった人は自分の責任でなくなったわけではない。
それでも亡くなった人の命は戻ってこない。
人は自分の責任で生まれるわけではないし、死ぬときも自分の責任で死ぬとは限らない。
『自己責任論』というのはそういう人生の根底に横たわるものから目を背けている。
人は自分の責任で生まれてくるわけではないし、自分の責任で死ぬとも限らないほど不条理なものである。
しかし人の命はその不条理さを超えて尊いものである。
バブル崩壊から平成不況を経て、小泉竹中時代に一世を風靡した『自己責任論』だが、
今回の大震災は、そういう単純化された人生観の大きな転換点になるのではなかろうか。
教育も個性・個性と声高に言い続けて『自己責任論』の上であぐらをかいているように見える。
学校教育の価値が低下しているのはそこに嘘が含まれているからである。
嘘は長くは続かない。
今回の大震災はここ10年とくにひどかった日本人の嘘を衝撃的なまでに自覚させたように思える。
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