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ひょう吉の疑問 より
http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/d9878bf96ef76a1e229a3b04ac76197e
『子どもをさずかる』
産む権利、産まない権利、が取りざたされる中で、
この『さずかる』という言葉には人間の権利を超えたものが想定されている。
普通は喜びの表現だが、さずかった子どもが様々な障害を持って生まれてきても、さずかったことに変わりはなく、親の子どもに対する愛情はいささかも変わらない。
子どもは親が思うようには育たない。
それは自分が産んだのではなく『さずかった』からだ。
そう思えば、子どもが親の思うとおりに育たないことはいささかも不思議なことではない。
『さずかる』という言葉に権利の意識はない。
権利の意識がないから子どもに無条件の愛情を注げる。
権利の意識が強すぎると本物の愛情は育めないのかも知れない。
東日本大震災で、
『夫と次男は亡くしましたが、長男と孫は残していただきました』
と語った被災者がいたという。
私はこの言葉を聞いて『ハッ』とした。
何と美しい言葉だろう。宗教的な響きさえ感じる。
日本人はこんな短い言葉の中に、命の本質を端的に表現しうるのだ。
そこには『自分の人生は自分のもの』と考えがちな現代人が見失ったものがある。
どんな命も尊い。
それは自分の意識とか権利とは別のところで、『さずかった』ものだからだ。
未曾有の大震災の中で、被災された人たちの心の傷はすぐに癒されるものではない。
しかし『命』に対してどのような考え方をすることができるか、そのことを今回の大震災は我々日本人のすべてに突きつけているような気がする。
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