★阿修羅♪ > 自然災害17 > 315.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
美しい日本語 『子どもをさずかる』
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/315.html
投稿者 ひょう吉 日時 2011 年 5 月 11 日 09:45:46: RdGoS4S9FGB2w
 

ひょう吉の疑問 より
http://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/d9878bf96ef76a1e229a3b04ac76197e

『子どもをさずかる』

産む権利、産まない権利、が取りざたされる中で、
この『さずかる』という言葉には人間の権利を超えたものが想定されている。

普通は喜びの表現だが、さずかった子どもが様々な障害を持って生まれてきても、さずかったことに変わりはなく、親の子どもに対する愛情はいささかも変わらない。

子どもは親が思うようには育たない。
それは自分が産んだのではなく『さずかった』からだ。
そう思えば、子どもが親の思うとおりに育たないことはいささかも不思議なことではない。

『さずかる』という言葉に権利の意識はない。
権利の意識がないから子どもに無条件の愛情を注げる。
権利の意識が強すぎると本物の愛情は育めないのかも知れない。


東日本大震災で、
『夫と次男は亡くしましたが、長男と孫は残していただきました』
と語った被災者がいたという。
私はこの言葉を聞いて『ハッ』とした。
何と美しい言葉だろう。宗教的な響きさえ感じる。
日本人はこんな短い言葉の中に、命の本質を端的に表現しうるのだ。
そこには『自分の人生は自分のもの』と考えがちな現代人が見失ったものがある。


どんな命も尊い。
それは自分の意識とか権利とは別のところで、『さずかった』ものだからだ。

未曾有の大震災の中で、被災された人たちの心の傷はすぐに癒されるものではない。
しかし『命』に対してどのような考え方をすることができるか、そのことを今回の大震災は我々日本人のすべてに突きつけているような気がする。
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2011年5月11日 12:30:03: z0ERuZCaho
命は、天の与えという本質的な考え方ですね。

生も、死も、自分の意志ではなく与えられたもの。

身体も、性別も、親も、家族も、人のご縁も、天の与え。

そんな謙虚なあり方が、日本人らしいです。


02. 2011年5月12日 00:13:14: GaerX0jM5g
そうでしょうかね?
甘すぎませんか!?

生を受けたものは人間のみならず動物も植物さえも必死に知恵を働かせ生きようとしているのではないでしょうか?
「さずかる」という言葉自体はまあ良しとしましても、どこか”ごまかし”があるようにも思えます。”ごまかし”では決して生きて行けないのが実はこの厳しい世の中・自然・地球なのではないでしょうか?

その”ごまかしの甘さ”を権力者や既得権者が突いてくるのでしょう。
本質を真剣に探し、見つけ、闘う、そして後継に伝える。それが本物の生を全うするものであろうし、それでこそ他者を生かせる術もあるのであり、生を受けたものの務めなのではないでしょうか。
と私は思います。



03. 2011年5月12日 00:48:47: z0ERuZCaho
宇宙があり、地球が存在する。
地球があり、自然が存在する。
自然があり、動植物が存在する。
動植物があり、人間社会が存在する。
人間がどれほど偉いと言っても、
天然自然の理には、かなわない。

04. 2011年5月12日 03:45:26: lc8Q6aFOT2
そうかあ〜〜?悪いが生む権利生まない権利は当然ながらあるだろう。これをもし侵害したら物凄い人権侵害だと思うがな。子供を生みたくない女性に無理に生ませる気か?これは完全に基本的人権だと思うが。

「子供を授かる」という言葉の良さはまあ分かるが、ただしセックスしなきゃ「授からない」よな?セックスしても避妊していたら当然「授からない」(避妊に失敗する事もあるが)
つまりそれはやはり人間の意志が関わってるんだよ。
これが何もしなくても「授かる」ものなら、天から降ってくるものなら、投稿者の言う「授かる」もその通りかもしれないけどね。

しかし、障害を持って子供が生まれてきた時の親の苦しみを分かってないな。
それは「権利」の意識を持ってるから苦しむ訳じゃない。
このひょう吉っていう投稿者は、頭の中だけで考えてるだけだな。何でこんな投稿したのかは知らんけど。実際自分が様々な障害を持って生まれた子供の親になってみな。その時に同じ事が言えたら褒めてやるが、あまりに概念的で無神経すぎる。


05. ひょう吉 2011年5月12日 09:04:04: RdGoS4S9FGB2w : YYThmYHgRU
私の子どもは障害者です。

06. 2011年5月12日 14:45:10: 1bI51T5To6
すばらしい言葉ですね。『子どもをさずかる』

07. 2011年5月12日 14:49:52: EGaQ73B5yp
バカの集まりだな。(笑)

な〜にが「さずかる」だ!

諸君は文部省国語審議会の日本語破壊工作員なのか?

「授かる」は、ひらがなで書くと「さずかる」になるのかい?
ちゃんちゃら可笑しいや!

君らはバカの集まりか?

ひらがなで正しくはどう書くか?
そして、なぜそう書くのか?

それをちゃんと認識せぬかぎり、ここは痴呆症病棟と変わらんぞ。(笑)


08. 2011年5月12日 19:28:43: 1bI51T5To6
大辞林 第二版 (三省堂)

さずかる さづかる 【授かる】

(動ラ五[四])

(1)神仏や上位の人から、大切なものを与えられる。授けられる。
「女の子を―・る」「爵位を―・る」

(2)学問や技術を師から与えられる。
「秘伝を―・る」


09. 2011年5月12日 23:08:58: z0ERuZCaho
07さんの投稿は、人を蔑んでいるようです。

投稿者のひょう吉さんは、ご自分のお子さんが障がいがあることを語っておられる。

07さんのように人を蔑視する投稿は、阿修羅の趣旨に反しますので、管理人さんに削除を求めます。

また、もしも同様な投稿を続ける場合は、この方の書き込みの拒否設定をお願い致します。


10. 2011年5月13日 07:37:16: EGaQ73B5yp
>>09

いい加減にしなさい!

「さす(濁点゙)かる」という言葉を、吟味もせずに礼賛しているから
それを注意したのですよ。

大辞林をコピペで貼ってもダメですよ。自分でちゃんと考えないと。

「さずかる」というのは戦後、日本語の本来の表記を歪曲して
簡素化しようと企てた国語審議会による公害なのですよ。

「こどもをさずかる」と書いて、読んでごらんなさい。
「さずかる」は濁点がついているが、ならばこの言葉のもともとの、
濁らぬ音で発声されていた時代には「さすかる」と言ったのか?

ちがいますよ。

「授かる」は、元々は「さつかる」と言ったのです。
神仏とか上位の人とか、とにかく目上のものから
何かを「つけ」与えられた(付与された)ことを言った言葉なのですよ。

つまり、「こどもを授かる」とは本来「こどもをさづかる」と書くべきだし
そうとしか書きようがない。「さずかる」と書いたら、このことばの真髄、
真義、ありがたみや感謝の念は消えてしまうのです。

日本語を賛美するなら、歪曲で意味不明になった残骸をむやみに賛美するな、
といっているのですよ。 

自分でちゃんと考えもせずに、センチメンタリズムに溺れて自己満足のまま
間違ったことを礼賛して他人にまで押し付けるのは、破廉恥ですよ。

感傷的な作文をしたいなら、阿修羅でなく2ちゃんねるにでもお行きなさい。

それから、ちょっと気にくわない相手を「拒否設定」だの「削除」だのと
騒いでいる貴方のような馬鹿ものが、障害児やマイノリティを安直に差別し、
ナチスのように殺してきたのだ。あなたは無自覚だけど、あなたの心根には
恐るべき頽廃と排外主義がこびりついている。恐るべし! 反省せよ!


11. ひょう吉 2011年5月13日 09:28:54: RdGoS4S9FGB2w : YYThmYHgRU
「さずかる」と書こうが「さづかる」と書こうが、障害を持つ子どもの親にとっては何も変わりません。
多くは「さずかる」と書きます。それだけです。

12. 2011年5月13日 10:37:31: 1bI51T5To6
10さんは日本語の本来の表記をしてほしいという主張かなと思いました。

10さんは、もしも、このご投稿が、さつかるとして、日本語の本来の表記で記述されていたとしたら、このご投稿の感想はどのようなものになりますか?
よろしければ、おしえてください。


13. 2011年5月13日 15:19:42: twMl40G0jI
投稿主の論旨と無縁の瑣末な処に執着、いかにも尚古ぶったアホが独り紛れ込んでいるようだ。万葉仮名、平安かな使い、或いは旧かな使いをすれば良かったのか?

では聞くが、御当人はこのコメント欄に「授かる」と書き込むのに「さづかる」と入力したのか?或いは「さつかる」と入力するのか?「さづかる」を変換してみろ。「佐塚ル」何だこれは? 「さつかる」は「殺カル」と出る。どうなっているのだ?(注:小生はタイプライター時代からローマ字入力である)

「授かる」と表記するには「さずかる」と入力する他ないではないか。よう文句たれ御当人、この自己矛盾どう自分で落とし前つけているのだ?意に沿わないパソコンをぶん投げるか?言葉が時代によって変遷するのは世の習いだろうが。

現在使っている日本語にしても、明治維新後、それまで全く乖離していた文語と口語を一致させるべく、英語を基に「言文一致運動」を展開してきた結果だ。日本語から夷狄の影響を排除したいのなら、日本語は「本来もへったくれもなく」根底から崩壊する他ない。

尚古ぶってはいるが、コメント内容から窺えるのは、たいして歳もいっていない若造風情が、投稿論旨と無縁の屁理屈をこねているだけだ。おそらく普段関心もなかろう国語審議会の問題に風呂敷を広げているが、そういうのを「屁理屈」というのだ。


14. 2011年5月13日 18:53:11: z0ERuZCaho
顔が見えなくても、社会人としての礼節は大切ですね。

15. 2011年5月14日 00:23:32: 4nItljNFzU
何気ない言葉を、美しいと感じるのは素晴らしい感性だと思いますよ。
言われるまで気がつかない私のような人間が多い世の中、日本という国でしょう。
地震がなくても潰れる運命だと言われていた日本経済が、もはや立ち直れない現実です。

被災者の言葉と同様に、失ったものはとても大きいのですが、残されたカードで精一杯頑張るしかないのです。
 もちろん政治家、官僚、財界、アメリカという人為的なものはありますので、徹底的に戦いながらということではあります。
 
 この阿修羅でこのような投稿を読むのは珍しいので、少し心が洗われました。
 


16. 2011年5月14日 00:27:28: FxcZmbkJ0
ひょう吉の子供は障害者なのか。私自身の子供はそうではないが、兄弟の子供がそうだ。知り合いにもいる。あんたがどう思うかはあんたの自由だが、彼らを見ていると、とてもこういう事は言えない。彼らがそう思うとも思えない。

「親の子供に対する愛情はいささかも変わらない」かどうかは人それぞれだ。あんたはそうかもしれないが(それも正直怪しい気がするけど)公共の掲示板で偉そうに書く事じゃない。中には、障害を持って生まれた子に対してどうしても愛情を持てない、持ちたくても持てない親だっている、という想像は出来ないのだろうか?
こんな文章を読んだら、そういう親は罪悪感を持つだろう。私の兄弟や知り合いも、そういう事は口には殆ど出さないが、悩んでいるのは分かる。

それと、はっきり言って「生む権利・生まない権利」は「授かる」と言った事とは全然別の事だろう。投稿者の文章だとあたかもそれが悪い事のように受け取れる。
前のコメントでも書いたが、それは非常に重要な個人の権利だ。それを疎かにしているようなひょう吉という投稿者はどうも胡散臭い。
悪い意味で「悟り済ました」感じがするんだよな。よくいるタイプだが・・。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 自然災害17掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 自然災害17掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧