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遺体を拭った警察学校生 「仕事の重さ知った」 使命感胸に捜索続ける
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110501/dst11050100120000-n1.htm
2011.5.1 00:09 産経新聞
警察官の卵として初めての仕事は、収容された遺体をきれいに拭くことだった。東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県。人手が足りない県警は警察学校生を現場に駆り出した。髪の泥を拭った女の子の遺体、母親から差し出された小さな男の子…。「警察官の仕事の重さを知った」。厳しい現場を経た“卵”は今、使命感を胸に、警察官として現場で不明者の捜索やパトロールを続けている。 震災から3日後の3月14日夕方、竹谷信宏さん(25)=現巡査=を含む41人の宮城県警察学校生に教官から思いもよらぬ命令が下された。「明日から検視の仕事を手伝ってもらう」。学校生たちはそれまで、宮城県名取市の高台にある警察学校に避難してきた人の世話などに当たっていた。
■覚悟していたが
竹谷さんは「警察官になった以上、遺体と接することは覚悟していたが、まさかこんなに早くとは…。『遺体はどんな状態なんだろうか』『苦しそうな表情をしているのだろうか』。前日の夜は恐怖心で眠れなかった」と話す。
翌日、収容所でいきなり言葉を失った。最初に対峙(たいじ)した遺体はまだ5〜6歳の女の子。悲しみを通り越してしまうほどの衝撃を受けた。厳しい寒さの中、黙々と水でぬらしたタオルで体と髪に付いた泥を拭った。竹谷さんとペアを組んだ警察学校生の女性は涙をこぼしていた。
検視の手伝いは約半月続き、70〜80人の遺体をきれいにした。
中でも竹谷さんのまぶたに焼き付いている光景がある。仕事中に声をかけられ振り向くと、放心状態の女性がたたずんでいた。両腕に3〜4歳くらいの男の子の遺体を抱えていた。「息子なんです。きれいにしていただけませんか」
やり場のない悔しさを感じながら、少しでもきれいにしてあげようと丁寧に体を拭き、納棺師に引き渡した。このとき、警察官の仕事の重さと奥深さを感じたという。
■「地元の治安守る」
子供のころに警察車両の展示会で「かっこいい」と思って以来、ずっと警察官に憧れ続けた竹谷さん。地元の大学を出て、一度は神奈川県警の試験に合格したものの、「どうしても地元の治安を守りたい」と宮城県警の試験を受け続けたという。
3月末、警察学校を卒業。岩沼署地域課増田交番に配属された。岩沼署は今回の震災で計6人が殉職するほど被害が大きい地域だ。朝7時に出勤し、明るいうちは不明者の捜索、夜はパトロール、翌日昼過ぎに寮に帰って寝て、また翌朝7時に出勤という過酷な毎日が続く。
休日はこれまで1日もなく、体力は限界を超えている。それでも、「住民の方から『ごくろうさま』『ありがとう』といわれると力がわいてくる」。いつ街が元の姿に戻るのか、想像もつかないが、「とにかくやるしかない。一人でも多くの不明者を見つけたい」とがれきに立ち向かっている。(楠秀司、中村昌史)
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