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メルマガ日本一新第45号の後半部分に当たる達増岩手県知事による
「東日本大震災津波・岩手からの報告」です。前半部分の平野貞夫氏に
よる論文は同じく「自然災害板」に既に投稿済みです。併せて御高覧下さい。
*** メルマガ日本一新第45号より 引用開始
東日本大震災津波・岩手からの報告
日本一新の会 達増拓也
(岩手県知事)
「日本一新メルマガ」への投稿は、大震災津波後、初めてにな
ります。岩手県や県内被災地に対し、全国から、世界から、多く
の支援、お見舞い、激励をいただいています。この場を借りて、
感謝申し上げます。
また、大震災で犠牲になられた方々、その関係者の方々に、心
からの哀悼の意を捧げます。
発災翌日の3月12日、岩手県選出参議院議員である平野達男
内閣府副大臣が、23人の事務方と共に岩手入りし、岩手県庁内
に政府の現地連絡対策室を立ち上げました。事務方は、内閣府の
防災担当参事官の下に各省庁の若手で構成。県庁内には、11日
のうちに自衛隊の連絡窓口もでき、その後、北東北3県を管轄す
る第9師団の司令部が青森市から岩手県庁に移されました。
これにより、発災当初から、被災地が直面する課題について国
と地方自治体の職員が共同で解決する体制ができました。同じこ
ろ、県は、停電と通信途絶の中で、12の沿岸市町村全てに本庁
職員を派遣して、状況を把握し、初動を支援しました。市町村と、
県と、国の各省庁がつながって、人命救助、避難、応急復旧、被
災者支援を展開しました。避難所のケアは、自衛隊に負うところ
大です。
工場で研修をしていた中国人が多数被災したので、外務省の中
国語ができる職員にすぐ来てもらいました。被災市町村の行政機
能が大きく損なわれており、県や他市町村からの大規模な支援が
必要だということで、市町村行政に詳しい総務省職員に来てもら
い、支援体制作りを手伝ってもらいました。その他にも、いろい
ろと、現場の要請で各省庁に動いてもらいました。後に政府が決
めた被災地支援策のかなりの部分は、市町村、県、各省庁の事務
方の「現場力」で作り上げたといえます。
ガソリンなどの燃料不足が長く続いた件は「現場力」では対応し
きれず政府による全国的な調整力と指導力の不足がたたりました。
なお、宮城県の政府現地連絡対策室担当の東祥三内閣府副大臣が
岩手の被災地入りした時に、仮設ガソリンスタンドの設置を現地
で決めてくれ、すぐ実行されたのは助かりました。
「政治主導」を感じたのは、がれきの処理です。樋高剛環境政
務官が政府のがれき処理プロジェクトチームの座長となり、関係
省庁の事務方を糾合し、平時であれば1年かかるような省庁間調
整を2、3日で終わらせました。阪神淡路大震災時を上回る財政
措置も決まりました。
がれき問題は被災市町村長が抱える最大の悩みの一つであり、
大いに助かりました。樋高政務官は、中選挙区時代に小沢一郎秘
書として陸前高田市などの今回の被災地を担当しており、かつて
一軒一軒歩いた家ががれきとなってしまった、そのがれきの問題
は何としても解決しなければならない、と言っていました。
発災直後、私が被災地の市町村長さん達にお願いしたのは、住
宅地図で一軒一軒確認するように被害状況を把握すること、名簿
をしっかり作って住民の安否状況を把握すること、でした。住宅
地図と名簿は、小沢一郎さんに習った選挙手法でもあり、災害対
策本部長の仕事は選挙対策本部長の仕事と共通点がある、と思い
ました。
また、私は津波の被害を受けなかった内陸の市町村長さん達に
集まってもらって沿岸支援への協力をお願いし、さらに、県内の
諸団体に被災地支援をお願いする文書を作って協力を依頼しまし
た。目的を達成するために、より多くの団体、企業、個人の支援
を取り付けていく、というのも選挙の手法に似ています。選挙に
おいて有権者の力を結集して為すべきことを実現する手法は、災
害においてあらゆる力を結集して被災者を救う手法と共通するの
です。
ちなみに、団体対策に強い自民党本部は今回の災害でも動きが
よく、経団連と被災県を直接結ぶホットラインは、経団連の機関
紙で喧伝されていますが、自民党災害対策本部が仲介してくれた
ものです。
がれき処理で財務省が前例のない財政措置を認めたのには、小
沢一郎さんのはからいがあったと思います。小沢一郎さんが岩手
入りした時、私との会談では「県は補正予算でいくら確保したか」
とか「国の本予算には○兆円の予備費があるから、まずそれを使
えばよい」とか、財政的な話が中心になりました。財務省筋から、
かなり情報を得ており、また財務省に対してかなり影響を及ぼし
ているな、という印象を受けました。がれき処理以外でも、財務
省が前例のない財政措置を認めた分野がいくつかあります。
私は、平安時代の中央政府による東北平定の歴史を踏まえ「東
祥三さんは宮城駐在の征夷大将軍、平野達男さんは岩手駐在の鎮
守府将軍。今回は地方勢力と力を合わせて東北の平安のために働
いていますが、小沢先生こそ2人の将軍の上にいる大将軍だと思
っていますからね」と言いました。小沢一郎さんは、「はっはっ
は」と笑うだけでしたが、本人も大将軍的な立場を自覚していろ
いろ手を打っているのだな、と私は感じました。
それから、仙台空港を在沖縄米軍が片付けたのは、新進党から
自由党のころに小沢側近と呼ばれていた元衆議院議員の米津等史
さんの働きかけによるものだったようです。米津さんは普天間問
題の関係で在沖縄米軍と一緒に仕事をしており、大震災津波後、
仙台空港が放置されているのをテレビで見て、在沖縄米軍に片付
けられないかと持ちかけたところ、じゃあやろう、ということに
なった由。ここでも小沢一郎の弟子が奔走していました。
大震災津波そのものによる被害への対策については、「小沢力」
がかなり有効に働いていると思います。しかし、今のままでは、
「小沢力」が全く生かされないのが、原発対策です。本人も、そ
こが一番もどかしいと感じているのではないでしょうか。
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*** 引用終了
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