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日頃の情報収集や、意思決定の経験の蓄積がやはり重要ということだが
いずれにせよ、最後は不確定なリスクに対する賭けになってしまうのは投資と同じだ
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日経ビジネス オンライントップ>IT・技術>横田尚哉のFAで考える日本再生
危機状況、6割の情報量で判断する方法 「8割」集まった段階では手遅れ。情報錯そうしている中でも動くには?
2011年4月20日 水曜日
横田 尚哉
情報 ファンクショナル・アプローチ テレビ ツイッター 報道 東日本大震災 ファンクション
2011年3月11日の東日本大震災は、日本と日本人にとって大きなダメージを受けた。とりわけ、被災された地域の住民や企業は、深刻である。地 域や経済はこれからどうなるのか、生活やビジネスはどれだけ影響をうけるのか、予測もつかないだろう。今、とてつもない不安に苛まれているのではないだろ うか。
私たちは、これまで幾度となく自然災害を経験し、なんとか乗り越えてきている。その度に技術力、結束力を発揮し、経験と知識を活かしてきた。今回の大震災も、きっと乗り越えることが出来るに違いない。私たちは、今なおそのための努力を日夜しているのだ。
しかし、そんな程度でいいのだろうか。乗り越えることで、私たちの不安は解消されるのだろうか。乗り越えた後の地域は、日本は、それでいいのだろうか。何かが足りなくはないか、どこかを変えなければならないのではないか。
筆者は20年以上にわたり、社会づくりのためのコンサルタントをしてきた。公共事業や民間事業、政府や企業や個人に対して、ファンクショナル・アプローチをつかって障害を乗り越えるお手伝いをしてきた。先入観や固定観念にとらわれない未来を創造してきた。
いまこそ、そのスキルを日本のために使いたい。国・地方自治体、企業、個人にいたるまで、日本再生に向けて、戮力協心のときが来た。この連載を通して、様々な角度から、論じてみたい。
情報とは、なんだろうか。日本VE協会では「目的達成に役立つ知識である」と教えている。広辞苑には、「判断を下したリ行動したりするために必要 な知識」と書いてある。私たちの活動は、ほとんどの場合、情報なくして成り立たない。KKD(経験と感と度胸)だけでは、ビジネスはおろか、歩くことだっ てままならない。
ただ、注意しなければならないことは、その質と量をコントロールすることだ。情報を捌けるかどうかで、行動力が変わってくる。東日本大震災の時、私たちはそれを実感したのではないだろうか。
災害時の情報にある3つの違い
災害が起こった直後は、とにかく情報が必要になる。状況がわからなければ、どのように行動していいかわからないからだ。前の記事では、トップの見 極めと勇気が求められるということを書いた。そのために必要なことは、ファンクションで考えることであり、そうすることによって、少ない情報でも次の行動 を決定できるからだ。
とくに、応急対応では、時間を最優先にしなければならない。タイミングを間違えることは、事業継続はもちろんのこと、2次災害、人体や生態への影響など、取り返しのつかない事態に発展してしまうことを意味するからだ。それだけは避けなければならない。
では、災害時の情報とは、どのようなものなのだろうか。日常扱っている情報とは、明らかに違う。だから考え方も変えなければならない。その違いは3つある。「情報の量」、「情報の質」、「情報の場」である。
不測の事態が発生しているため、あらゆるところから新しい情報が発生している。そのため、情報は一気に増えるのだ。規模が大きければ大きいほど、「情報の量」は多量となり、混乱の原因となる。
発生した情報は、その発信者、根拠、前提、範囲などが不明なまま発信される。そこには検証もされず、信頼性も確認されない。必要な情報も不必要な 情報も玉石混交の状態である。公式に発表されている情報すら信頼性に欠けることも念頭において置かなければならない。こういう時、流言飛語に惑わされてし まうのである。
もう一つ大きな違いは、情報の場である。情報が発生し、流れる場が違うということだ。入手するための手段が大きく異なる。普段の情報の流通ルートは役に立たないことがある。新しく「情報の場」を探し、情報の流れを作らなければ、必要な情報が手に入らない。
8割あつめた頃には手遅れだ
情報は、時間をかけて集めてはいけない。質も、量も、場も普段と異なるのだ。情報のすべてを検証し、全部揃ってから判断するような時間は、私たちにはない。時間を掛けて良いのは、応急対応が終わり、復旧から復興に変わっていく段階になってからである。
なぜなら、必要な情報は時間を掛けただけ、集まるわけではないからだ。情報が入り始めた頃は、勢い良く集まる。しかし、徐々に鈍化してくる。ある 程度の情報が集まった後は、残された不足する情報を集めるために、これまで以上の時間がかかってしまう。まして、すべての情報を集めようとすると、貴重な 時間があっという間になくなってしまう。
まず、6割の情報が得られれば、充分と考えることである。もちろん、時間が許されるなら、入手しておきたいところだが、そのような余裕はなかなかない。むしろ、6割の情報で判断できるようになるべきである。
では、6割の情報をどのように集めれば良いのだろうか。必要な情報と不必要な情報をどのように区別していけばいいのだろうか。必要な情報とは、どのようなものなのだろうか。そのために、ファンクションが役に立つのだろうか。
効率よく情報を収集する7つのポイント
情報を収集するためには、7つのポイントを考えることである。それは、(1)何のために集めるか、(2)誰が集めるか、(3)何を集めるか、(4)何処から集めるか、(5)どんな方法で集めるか、(6)どの程度集めるか、(7)いつ集めるか、の7つである。
まず、「(1)何のために集めるか」だ。これこそ、ファンクショナル・アプローチで最も大切にしているところである。ファンクショナル・アプロー チでは、活動の全てにファンクションがあると考える。役割、目的、狙いといったものである。ファンクションの達成に役立たない活動は、ムダな活動なのであ る。
情報を収集するときにも、ファンクションを明確にしておかなければならない。さもなければ、集めることが目的化してしまい、ムダな時間を費やすこ とになりかねないからだ。重要なことは、「集めてから区別するのではなく、区別してから集めること」なのだ。そのために、「この情報は何のためか」という 問いかけを繰り返すことだ。
ファンクションが明確になれば、次は「(2)誰が集めるか」だ。多くの人を割くわけにもいかない。集める情報は他にもあるからだ。集める人が決まれば、必ず、ファンクションも同時に伝えることだ。これを忘れてはいけない。
ファンクションを伝える理由は、他にもある。時々刻々と変わる状況の中で、担当者の判断で、臨機応変に対応してもらいたいからである。「(3)何を集めるか」から「(7)いつ集めるか」も変化するからである。
前回の記事でも触れたが、災害時の対応には3つの段階がある。それぞれの段階でファンクションが異なることを伝えておきたい。ファンクションが異なるということは、集める情報も異なるということだ。段階が変われば、集める情報も変わるということだ。
実際、東北地方太平洋沖地震が発生した後、必要な情報はどのように変化していっただろうか。直後は、転倒、落下、隠れる場所といった安全情報だろ う。そして、地震情報と津波情報が必要だった。次に、被災情報、避難情報、安否情報が続き、その後、放射能情報、停電情報、支援情報などが必要となった。
今後、復興のための様々情報が必要になってくるであろう。情報の質も、量も、場も、それに応じて変化していくことを理解しておかなければならない。
ツイッターが果たした役割
東日本大震災で、注目されたのがツイッターである。まだ、全ての人が利用しているものではないが、2010年に大きく普及したSNSである。ツ イッターは、その時のことを140文字以内でつぶやき(これをツイートと言う)、他のユーザーとゆるくつながるコミュニケーション・ツールである。これ が、震災情報を流通させる場として大きな役割を果たしたのである。
私も、ツイッターのアカウント(@yokota_kamuna) を持っている。もちろん、地震直後は、ツイッターから多くの情報を得ることができたし、私なりに情報発信もした。それは、実に不思議な現象であった。当 時、ツイッターの中での情報の流れがどのようになっていたかは、アカウントを持っている人でないと実感できないかもしれないが、お伝えしたいと思う。
そこでは、情報の量と質が、自然にコントロールされていたのだ。必要な情報を求める人、それに的確に答える人、重要な情報を流通させる人、間違っ た情報を正す人、不必要な情報を流さないように注意する人。ユーザーが自らコントロールして、自ら情報ツールとして仕上げていったのである。もっとも、誰 のツイートを登録(これをフォローと言う)しているかによって、質も量も違う。ここにも適切な場を選択しておかなければならない。
そこで、ツイッターというSNSのシステムを、ファンクショナル・アプローチで分析してみたくなった。もっぱら今回の地震に関わるところだけを切り出している。しかし、それだけでも、ツイッターが大きな役割を果たした理由は、十分理解できるものになった。
ツイッターは、140文字の制限があることから、情報の発信者は不必要な情報を削除することになる。このことが大切な情報に絞ることができるのである。読み手からすれば、冗長な文章を読まなくてすむのだ。もちろん無意味なツイートを読み飛ばすことも造作無い。
そして、読み手なりの判断で必要と感じたものは、読み手自身の操作で、再配信(これをリツイートと言う)することができる。再配信されたツイート がさらに再配信されることもある。より必要な情報ほど、次々に再配信されていく。その結果、多くの人が必要と感じるものがどんどん伝搬されていく。
時には、間違った情報が出回ることもある。それは正しい情報と誤解されて伝搬されていく。ある意味危険である。不安や混乱を起こし、パニックや暴動に発展するリスクもある。災害対応において、無秩序な行動ほど危険なものはない。
テレビ報道に
間違った情報が流れたとき、ツイッターの中では、こんなことが起こっていた。情報を正すツイートが流れるのだ。そして、間違った情報に惑わされな いよう、注意喚起のツイートが流れるのだ。そして、無意味なツイート、秩序を乱すツイートを排除しようとし始めた。ユーザーが情報を絞り、ユーザーが情報 を伝え、ユーザーが情報を正すのだ。
その瞬間、ツイッターは単なるゆるいコミュニケーション・ツールから、自律したコミュニケーション・ツールに変わったのだ。情報を流通させるツールとして、新聞やテレビと同じように社会的地位を確立したのだ。
そうした活躍の背景で、一部のテレビ番組に対する批難が増えたのも事実だ。私のもとには、「誰のための報道なのか?」「何のための報道なのか?」 というツイートが集まった。本当のところ、どうだったのだろうか。そこで、再びファンクショナル・アプローチである。複雑なものでも本質を見る優れたツー ルだ。テレビ番組のFASTダイアグラム作成してみた。ツイッターと比較しやすいように、範囲を限定している。
ご覧のとおり、上位のファンクションは、どちらも同じなのだ。そうなると、テレビを全否定するのもおかしい。利用者、視聴者に対して、提供しようとしているサービスに違いはないのだ。私たちは、正しい情報を、早く得ることを欲している。その要求を満たそうとしている。
しかし、その達成のための手段が違うのにお気づきだろうか。目的は同じでも、やり方が違う。やり方の違いにより、ファンクションの達成度に差が出たのだ。災害時という活動に制限を受けている中では、ファンクションの達成に、容易と困難が発生する。
だから、どちらが正しくて、どちらが間違っていたというものはない。手段を否定するものでもない。求める側のファンクションと、提供する側のファンクションが一致したか、不一致だったかという事だ。
情報の集め方や正し方には、いろいろな手段があるのだ。たくさん集めて取捨選択するべきか、目的にかなったものだけを集めるべきか。充分吟味して 正しいことが確定したものだけを開示すべきか、前提条件とともに全てを開示してアップデートしていくべきか。一長一短なのだ。だから、1つのやり方に縛ら れることなく、受け手の求めるものとその時の状況を捉えて、どんどん改善していくべきである。
情報を受ける側の能力
情報とは、なんだろうか。今一度考え直したい。記事の冒頭で、「目的達成に役立つ知識である」と書いた。私たちは、情報を役立たせて、ある目的の達成のために判断して、行動に変えている。情報に依存して、判断を放棄したのではない。
100%正しい情報が、1秒たりとも遅滞なく、手に入ることが理想だ。しかも、自分の次なる行動に対する指示もあれば完璧だ。不安もなく、混乱もなく、人々は冷静に行動できるだろう。
しかし、今現在、私たちはその技術を手にしていない。ということは、私たち受ける側の能力が必須となる。情報が正しいか正しくないか、情報が早い か遅いか、といったことに全ての能力を使うのではなく、6割ぐらいの正しさで、6割ぐらいの早さの情報から、自分の行動を判断できるようになっておくこと だ。
情報は、質、量、そして場を理解した上で、自ら選択し、自ら判断し、自ら行動につなげなければならない。災害発生時は、時間がないのだ。ファンクションの達成に役立たないモノ、コト、時間、手間、肉体エネルギー、感情エネルギーなどの浪費は控えたい。
もし、デマに踊らされていたことが分かったならば、デマに怒りを覚え、発信者の行為を責めるのではなく、デマに気付きを得て、自分の判断力を育てるべきである。その方が、ファンクショナルである。
横田尚哉のFAで考える日本再生
2011年3月11日の東日本大震災は、日本と日本人にとって大きなダメージを受けた。とりわけ、被災された地域の住民や企業は、深刻である。地 域や経済はこれからどうなるのか、生活やビジネスはどれだけ影響をうけるのか、予測もつかないだろう。今、とてつもない不安に苛まれているのではないだろ うか。 私たちは、これまで幾度となく自然災害を経験し、なんとか乗り越えてきている。その度に技術力、結束力を発揮し、経験と知識を活かしてきた。今回の大震災も、きっと乗り越えることが出来るに違いない。私たちは、今なおそのための努力を日夜しているのだ。 しかし、そんな程度でいいのだろうか。乗り越えることで、私たちの不安は解消されるのだろうか。乗り越えた後の地域は、日本は、それでいいのだろうか。何かが足りなくはないか、どこかを変えなければならないのではないか。 筆者は20年以上にわたり、社会づくりのためのコンサルタントをしてきた。公共事業や民間事業、政府や企業や個人に対して、ファンクショナル・アプローチをつかって障害を乗り越えるお手伝いをしてきた。先入観や固定観念にとらわれない未来を創造してきた。 いまこそ、そのスキルを日本のために使いたい。国・地方自治体、企業、個人にいたるまで、日本再生に向けて、戮力協心のときが来た。この連載を通して、様々な角度から、論じてみたい。
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横田 尚哉(よこた・ひさや)
株式会社ファンクショナル・アプローチ研究所代表取締役社長。顧客サービスを最大化させる経営改善コンサルタント。世界最大企業・GE(ゼネラル・エレクトリック)の価値工学に基づく改善手法を取り入れ10年間で総額1兆円の公共事業改善に乗り出し、コスト縮減総額2000億円を実現させる。「30年後の子供たちのために、輝く未来を遺したい」という信念のもと、そのノウハウを潔く公開するスタイルは各種メディアの注目の的。人間ドキュメンタリー番組「情熱大陸」(毎日放送)にも出演し大きな反響を巻き起こす。全国から取材や講演依頼が殺到し、コンサルティングサービスは約6ヶ月待ち。「形にとらわれるな、本質をとらえろ」という一貫したメッセージから生み出さ れるダイナミックな問題解決の手法は、企業の経営改善にも功を奏することから「事業改善」「チームデザイン」「組織改善」の手法としても注目が高まってい る。著書に『問題解決のためのファンクショナル・アプローチ入門』『ワンランク上の問題解決の技術《実践編》』(ディスカヴァー刊)がある。
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