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傷だらけ鉄路復旧へ 背筋凍った仙石線「列車ごと不明」
写真http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110419/dms1104191200003-n1.htm
2011.04.19 :夕刊フジ
JR仙石線が再スタートを切った15日朝、始発駅のあおば通駅(仙台市青葉区)では駅員が複雑な心境で電車を見送った。
「もう運行再開の日はこれきりにしてほしい」
震災の影響であおば通−石巻の全線50・2キロが不通となった仙石線は3月28日、あおば通−小鶴新田の5・6キロで運転を始めた。壊滅的な被害を受けた宮城県内の在来線では初の復旧とあって、さっそく通勤で利用した沿線住民も「非常に助かる」と喜んだ。
ところが今月7日、最大震度6強の余震によって苦竹駅のホームが損傷。再び全線で運行不能に陥ってしまったのだ。約1週間で同区間の再運行にこぎつけたものの、復旧に携わる工事関係者は「余震ばかりはどうにもならない。大地震の直後は全国から注目された路線なので復旧のシンボル的存在になってほしいのだが…」と表情を曇らせた。
全国から注目−。あの3月11日、仙石線の野蒜駅付近を走行していた電車は「列車ごと行方不明」と報じられ、国民の背筋を凍らせた。12日未明の段階で消息不明の列車は仙石線のほかに気仙沼線で1本、大船渡線で2本と計4本にのぼった。いずれも太平洋沿岸の路線。当時、次々と伝えられた大津波の被害。東京・代々木にあるJR東日本の本社内には緊迫した空気が張りつめた。ある社員は「地震発生直後に全ての列車に無線で連絡が取れ、退避を指示していた。しかし、一部でその後の動きがつかめなかったのは前代未聞の事態だけに不安だった」と振り返る。
夜が明け、仙石線の車掌が仙台まで自力で戻り、ようやく無事が確認された。止めた電車から近くの小学校まで乗客を誘導した後、連絡の手段が全くなかったため、30キロ以上先の仙台を目指して歩き出したという。12日になって上空から報道のカメラがとらえた仙石線の電車は、津波の力でくの字状に折り曲がっていた。気仙沼線、大船渡線でも乗客、乗務員の無事を確認し、JR東の内部に安堵感が広がったのは地震発生からまる1日が経過したころだった。
仙石線など津波被害を受けた在来線の復旧について、JR東日本仙台支社の里見雅行支社長は「時期や線路の位置は、地域の復興計画と合わせて考えることになる」と説明。廃線については「考えていない」と述べた。元の場所に線路を敷設し、より強度を高めるといった従来型のノウハウはほとんど参考にならない。前例のない復旧プロジェクトが動き出そうとしている。
激しい揺れ、大津波、計画停電…と、東日本大震災によって鉄道各社は大きな被害を受けた。ただ、自ら傷つきながらも、ヒトとモノの輸送で「船舶より速く車より大量」という利点をいかし、被災地を支えた。非常時で社会貢献を模索し、これからどういった完全復旧を目指すのか。その姿を追った。(久保木善浩)
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