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2011.04.14(Thu) 竹野 敏貴
映画の中の世界
選挙後の混乱で同時に2人が大統領就任を宣言していた西アフリカの国コートジボワール。在留フランス軍が抵抗を続けていたバグボ元大統領を拘束し、国際社会が大統領と認めるワタラ元首相派に引き渡したことで、事態はようやく収拾へと向かい始めた(敬称略)。
数多くの投機筋が巣食うカカオ市場
コートジボアール最大の都市アビジャンの高層ビル群
このところ、同じアフリカでもチュニジア、エジプト、リビアと続くアラブ情勢に世界の関心は向いていたが、2002年に始まった内戦が火種を残したまま鎮火、昨年末大統領選がようやく行われたものの、その結果を巡り混乱が再燃していたのである。
4月からコーヒーが値上げとなったが、この政変でチョコやココアも値上がりするのでは、という報道もあった。というのも、この国のカカオ生産量は世界一を誇り、混乱が続くようなら供給不足になることが予測されたからだ。
カカオ市場は、実物を必要とする業者がいる一方で多数の投機筋が巣食う場所でもあり、日に数万ドルの収益を上げるトレーダーもいて、近年の原油市場同様、乱高下を繰り返している。
それぞれの思惑でコートジボワール情勢を見つめているようだが、結局、最後には消費者の負担へと跳ね返ってくるのだ。
しかしながら、生産農民の苦境に比べれば消費者の負担など大したものとは言えないだろう。ことあるごとに相場は乱高下を繰り返すのだから、生活設計さえままならないのだ。
イボワールの奇跡
今回の混乱ではカカオの禁輸措置さえ囁かれたのだが、こんな時、以前の安定した生活が戻ってこないものか、と農民たちは過去を振り返っていたに違いない。
1960年に独立してから93年に死亡するまで、長々と続いたフェリックス・ウフェボワニ大統領の時代には「安定化基金」という機関があり、国家がカカオ農家の収入を保障していたからである。
ところが1980年代半ば、世界的に供給過剰となったカカオの国際価格は下落、農民と輸出業者の間に入る国の負担が著しく増加することになってしまう。
結局、大量在庫に耐えきれなくなった政府は安価で放出せざるを得なくなり、大損害を出してしまったのである。「イボワールの奇跡」とも言われるほどの成長を遂げていたこの国の経済はカカオに大きく依存していたため、経済へのダメージは大きかった。
そこに追い打ちをかけたのが、国際通貨基金(IMF)や世界銀行による民営化圧力。その経営の不透明さが槍玉に挙げられていた安定化基金は、21世紀となる前に消滅してしまうことになる。
投機筋の餌食となったカカオ農園労働者
アビジャン郊外のスラム。ここに多く住むのが貧困に苦しむブルキナファソ人だ
こうしてグローバリズムに飲み込まれ、多国籍企業主導の価格設定、そして投機筋の餌食となったカカオ農園の労働環境は悪化の一途を辿ることになるのである。
こうした状況下、憲法上の規定でウフェボワニ急死を受けて大統領となったコナン・ベティエが、1995年の大統領選に臨むに当たって打ち出したのが「イボワリテ政策」。コートジボワール人のみが大統領候補となれる、というものだった。
その時、強力な対抗馬だったのが、今回の政変で国際社会が大統領と認めたワタラ元首相。そのワタラ元首相がブルキナファソ人の血を引いていることを利用し、排除することがペディエの最大の目的だった。
混乱の続く今でも、西アフリカでは飛び抜けて経済規模も大きくインフラも整っているコートジボワールに比べ、その北に位置する内陸国のブルキナファソやマリの貧困は深刻なものだ。
そんなこともあって、コートジボワール経済が好調に推移している頃、カカオ農園での重労働に従事していたのは多くの場合、安月給ですむそんな国からの移民たちだった。
イボワリテ政策でナショナリズム煽る
そこに訪れた経済不況。「イボワリテ政策」を使い、その原因を移民に押しつける形で国民のナショナリズムを煽ることをペディエは忘れなかった。
ただでさえ劣悪な労働環境がさらに悪化してしまったブルキナファソ人やマリ人など、多くが路頭に迷い祖国へと戻っていった。
今にまで続く混乱の裏には、一種の民族紛争、そして外国人労働者・参政権問題があり、アフリカの中での貧困格差、いわゆる南南問題がもたらした歪みもあるのだ。
コートジボワールと東隣のガーナだけで世界の半分程度のカカオを供給しているが、アフリカにとっては19世紀になってから持ち込まれた比較的新しい農作物。
もともと、南米のブラジル、エクアドル、コロンビア、ベネズエラといったアマゾン川やオリノコ川流域あたりに原生していると言われている。
南米が原産のカカオ
ギニア湾の島国サントメ・プリンシペのカカオ農園
今もそれらの地域でのカカオの生産量は多く、アマゾン流域でも『黒い絨毯』(1954)で描かれたような巨大プランテーションでの生産は続けられている。
しかし、それが熱帯雨林伐採の原因になっているとの非難を浴びることも多い。
そんなカカオに初めて遭遇した西洋人は、あのクリストファー・コロンブスで、のちにスペイン人がヨーロッパに持ち帰ってから嗜好品としての地位を獲得するようになった。
そして西欧諸国は、「新大陸」のカカオ、コーヒー、サトウキビなどのプランテーションでの働き手として、アフリカから奴隷を送り込む三角貿易を行っていくのである。
『川のうつろい』(1995)には、そんな時代の、西アフリカに総督として赴任してきたフランス貴族の姿が描かれている。
「儲かる商売」である奴隷貿易には、白人も混血も黒人も、そして国の役人さえもが、皆が皆、群がっており、何も西洋やアラブの奴隷商人だけが従事していたわけではないことが示されている。
サトウキビ農園に見る南南問題
そんなプランテーションの中でも稼ぎ頭だったのが、ハイチのサトウキビだった。ところが、1804年、早々に独立されてしまったため、近隣のカリブの小島、マルティニーク(マルチニック)がフランスの重要な収入源となる。
その地で暮らす黒人たちの生活を子供の目を通して映し出す『マルチニックの少年』(1990)の舞台は、奴隷制が廃止されてからかなりの時を経た1930年代であるというのに、労働条件は劣悪なもので、子供たちが働いている。
そして今、フランスの海外県となっているこの島のサトウキビ農園で働いているのは、他の小アンティル諸島の小国やハイチなどのより貧しい独立国からやって来た季節労働者。ここにも南南問題がある。
労働環境が劣悪で苦役に見合うだけの収入がないばかりか、児童労働さえ罷り通っていることが、プランテーションの問題としてよく指摘される。
従って、外部の人間に農民たちが働く姿を見せてくれるようなところはあまりなく、私がリベリアのゴム農園を見学した時も、園内の労働者住宅や学校などを長々と見せ、素晴らしい環境であることを強調するだけだった。
労働者の姿を決して人目にさらさない農園経営者
スリランカの広大な茶園で働く人々
しかし、マダガスカルのバニラ農園では、ドラム缶からくんだ濁りきった水を飲みながら重労働に励む労働者の姿を平然と見せるフランス人経営者もいて、その厚顔無恥ぶりには唖然としたものである。
日本でもなじみ深いプランテーション作物であるお茶の広大な農園は、当然のごとく旧英領に多い。そんな茶園を見学できる一般的な「観光ツアー」が、高級茶で知られるダージリンやセイロン(スリランカ)にはある。
実際にスリランカで撮影された『巨象の道』(1954)は、西洋人の植民者の目線で描いた茶園の物語であるから、農民たちはさも楽しく働いているかのように見える。
もちろん、ツアーではそんな農民たちの話が聞けるはずもないが、広大な茶園を大きな荷物を担いでとぼとぼと徒歩で移動しながら窮屈な姿勢で手摘み作業に励む姿を遠目に見ていれば、苛酷な労働であることは一目瞭然。どれだけの対価を得ているのか心配になってしまう。
生産者に適正な報酬を、フェアトレードの精神
今は個人経営のところも少なくないが、もう1つの有名なプランテーション作物がコーヒー。
その流通過程を追っているドキュメンタリー映画『おいしいコーヒーの真実』(2006)には、生産者とは全く関係のないところで、ファクス、電 話、コンピューターなどを使って値段が決められ、生産者は子供を学校へも行かせられないのに株主はボロ儲け、ということが罷り通っている現実が示されてい る。
現代の株式会社のシステムには、投資家の利益を優先するばかりに生産者の利益を著しく損なっている問題があるというのである。
そんな不均衡を打破し、生産者のために「適正な」報酬を払おうというフェアトレードの精神が映画では示されている。
それは Ethical consumerism(日本語ではそのまま「エシカル・コンシューマリズム」と表記されることが多い)と呼ばれる、人間としての倫理的な(ethical)消費行為の1つとされ、近年積極的に取り入れる企業も出現してきている。
複雑な流通経路を経て良き精神も骨抜きに
リベリアには天然ゴムの農園がある
日本でも「FAIR TRADE」マークのついた商品を見たことがあるはずだ。
これには、「大した効果も期待できず、結局一部の農民を潤すに過ぎない」「本当に生産者の待遇改善に使われているのか疑問だ」といった批判がよく聞かれる。
確かにコーヒーやカカオなどは、実に多くの業者の手を経るので流通経路が分からなくなってしまい、結局出所不明となってしまうことも多く、どれだけ機能しているのか疑問ではある。
しかし、現代の経済システムの中で苦しむ人たちの存在を一般市民が身近なものとして考える機会を与えるという意味では、大変重要なものである。
途上国にとっては資本や技術を持っている先進国や多国籍企業から少しでも譲歩を引き出す交渉以外に現実的な解決策はないという状況への、ささやかな抵抗とも言えるだろう。
1億人のバレンタインプロジェクト
今年のバレンタイン商戦で「1億人のバレンタインプロジェクト」なる寄付金付きチョコが売り出され、話題となった。
消費行動そのものが援助行為にもつながるという、まさにエシカル・コンシューマリズム精神そのものである。
このような商品も、これまではどうしても「エコ」といった大局的なものや、自分とは無縁と思える貧困へのセンチメントに基づく「援助」という観点を持った、あくまでも他人事への視線によるものであった。
しかし、未曾有の大災害となった東日本大震災を経験した我々日本人にとって、それは今や身近なものとなっている。東北地方への復興資金として寄付をすることは、日本という国そのものの復興、つまり自分自身のためとも言えるからだ。
欧米紙が「Jishuku」とアルファベット表記するほどに西洋人には理解しづらい「自粛」という気持ちを持つ日本人の精神性は、素晴らしいものである。
自粛の精神は素晴らしいが経済は低迷
しかし、そうした中で行う消費行為は、とかく買い控えという経済萎縮の方向へと向かいやすい。そこには、大局的に見れば国自体の経済が停滞してしまい、結局復興への活力そのものがしぼんでしまいかねないジレンマがある。
電力不足という逆境も、使用自粛ばかりでなく、残った電力でより効率のいい生産性を得る手段を創作することで、将来の「省エネ」産業の振興にまでつなげるものでありたい。
そんな中、価格の一部を義援金に充てる商品が少しずつ登場し始めている。今、我々日本人は、フェアトレードをはじめとしたエシカル・コンシューマリズムが根づいた社会へと進化する絶好のチャンスに恵まれているのかもしれない。
昨年末一種のブームとさえなり、議論を呼んだタイガーマスク運動の経験をも踏まえ、経済発展への貢献の視点をも持ち併せた消費行動を身につけたいものである。
(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)
346.黒い絨毯 The naked jungle 1954年米国映画
黒い絨毯
(監督)バイロン・ハスキン(出演)チャールトン・ヘストン、エリノア・パーカー
アマゾンのジャングル奥深く、15年の時をかけ、自らの力でカカオなどの大農園を築き上げた誇り高き主人公が、米国から花嫁を迎え入れることから物語は始まる。
そんな2人が多くの葛藤を経て理解し合うまでを描きながら、数百年に1度という大移動を始めた「マラブンタ」と呼ばれる肉食蟻の大群に農園が襲われるスペクタクルシーンへと映画の重心は移されていく。
『宇宙戦争』(1953)などで特撮映画の中心的人物だったジョージ・パルが製作した作品だけあって、ハイライトシーンの迫力は当時としては出色のものである。
邦題は蟻に覆われてしまった農園の様子を表したもので、原題よりもずっとしっくりくる。今は原題をただカタカナ表記にしただけの、一見意味不明な邦題の作品も少なくないが、1960年代前半まではよく練られた素晴らしい邦題も数多くあった。
347.川のうつろい Les caprices d’un fleuve 1995年フランス映画
川のうつろい
(監督・出演)ベルナール・ジロドー(出演)リシャール・ボーランジェ
ルイ16世の時代、西アフリカへと総督として左遷されやって来た貴族が、現地の黒人やベルベル人などと交流していくうちに、地域に馴染んでいく姿を描いている。
その地でフランス革命の報に接した主人公が、最後にはフランスへと帰国していき、処刑こそ免れたものの貴族ゆえ不遇の余生を送ることになる。
植民地としての基礎がつくり上げられていく過程にある18世紀末の西アフリカを描いた珍しい作品である。
セネガルでロケされた本作には、鎖につながれ砂漠を歩かされ、船に乗せられ送られていく奴隷の姿が風景の一部として度々映し出されており、アフリカでの奴隷売買がありふれた「商売」であったことがうかがえる。
348.マルチニックの少年 Rue cases negres 1983年フランス映画
マルチニックの少年
(監督)ユーザン・パルシー(出演)ギャリー・カドナ
原題は「黒人街通り」という意味で、ジョゼフ・ゾベルが自身の少年時代を綴った同題小説の映画化だ。
小説は、発表当時、フランス本国で大人気となったにもかかわらず、マルティニークでは発禁処分となった。
「黒人街通り」とは、主人公の住むマルティニーク(マルチニック)島で、ペケと呼ばれる白人サトウキビ農園で働く黒人たちが住む地域のこと。
映画は1930年のマルティニークを舞台としているが、監督のパルシーもマルティニーク出身で、そのデビュー作である。
カリブ海のフランスの海外県には、もう1つ同じ小アンティル諸島に位置するグアドループと南米大陸北端にあるギュイアンヌ(仏領ギアナ)があり、当然のことながらフランスから直行の国内便があり、フランス(本土)人たちの人気のバカンス地となっている。
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