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われわれの生活はもはや日常ではない。朝・昼・晩の三度の飯。夜の睡眠。立派な弁当にかぶりついても「おいしい」という味覚はまだ戻ってこない。暗闇の中に体を横たえても安らかな眠気は一向に襲ってこない。一時も非日常でないものはない。
我々の一日はめまぐるしい。無料のNTTの電話の前に座って事故発生以降の電気・ガス・水道の中止を要請する。NHKの視聴料一年分は引き落とされてしまった。悔しい。これからの住宅を探す。無料都営住宅に応募し、外れる。(第二次抽選ではほぼ全員当選したが)ある一日は避難先のさいたま市から車で××銀行(福島の地銀)新宿支店へ。往復に二時間。待ち時間と書類手続きに三時間弱。
何もすることがなく朝から避難場所の大部屋でごろごろしているときもある。しかしそんな時も我々を巡る動きはめまぐるしい。故郷の放射線量の増減。第一原発の事故収束進捗状況。「避難指示」と「屋内退避」の線引き。
先週のある一日は「計画実行」の日。自宅への自主的「一時帰宅」もちろん途中警察による検問が。そのときのやり取りについては今は伏せておく。二十キロ圏内に入ると人気が途絶える。閉ざされた家々。商店。町に近づくにつれて背筋が次第に凍りついていく。並木道に春は近づいているのに人気の途絶えた町は三月十一日午後二時四十六分に時間は止まったままだ。崩れたままの石塀。地割れしたメインストリート。一時避難場所となった町の施設の駐車場に整然と並べられたままの車。紐を解かれた犬が悲しげに飼い主を呼んでいる。いつか自分を迎えに来てくれると信じているかのように家の回りを離れない。
作業に二時間。最後に我が家に別れを告げる。ありがとう。楽しかった満たされた家庭生活。畑での農作業と収穫。
ひたすら来た道を戻る。ほかのルートは地割れで寸断している。来た道を確実に戻る。高速道に乗りジャンクションで本道に合流し・・・。日が高く上ってきたころ、ようやく疲れがどっと出る。途中サービスエリアで休憩。久しぶりのラーメンをすする。
避難場所に戻る前に着ていたものを全部コインランドリーで洗い、そのあと銭湯へ行く。
すべてを終えて大部屋で横になる。頭がぐるぐる回っていて研ぎ澄まされた神経をなだめることすら忘れている。すべてが異常体験だ。ひょっとしたらこの一連のことはすべて悪夢ではないのか、と本気で考えたりする。
FUKUSHIMAと世界のトップニュースに載る。海外でならまだしも、同じ日本国内でフクシマの野菜だからと拒否される。福島県の人間だからと宿泊を拒否される。レストランにさえ入れなかった、と怒り戸惑う人もいる。
逃亡生活早や一月。いまだに避難所暮らしだ。人生一生の間に起こりえる、いやとうてい起こりえない何十年分の事柄が一度に押し寄せてきた、という感じなのだ。
(二次募集、全員当選ということで、ようやく来週から一定の場所に落ち着くことができるように・・・)
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