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猫ひろしは正しかった。TBSの特番の競走で走りに目覚めた落ち目のコメディアン猫ひろしは正しかった。
オリンピックの歴史を省みるにいかに国家権力の垢にまみれた運動大会であるかわかる。
古くはナチのベルリンオリンピックにナチ宣伝の場を提供し、戦後はソ連はその体制の優秀性をオリンピックの場を最大限に利用し喧伝してきた。
オリンピックには基本的に国家に利用される危険な要素がある。それは古代オリンピックが都市国家間の一時休戦時に行われたことにあやかり世界平和のための国際スポーツ大会と銘打っておきながら、結局、スポーツに国家間の競争を持ち込んでしまったことにある。
本来、スポーツは国家などとは無縁の個人や団体によって行われているにもかかわらず、スポーツの競争と国家間の競争を重ね合わせ世界の民衆の国家意識、国家主義、あるいは民族主義を煽っている。本来なら国家や地域に関係なく成績上位のアスリートやチームの最終的な決戦の場として定義すべきなのだ。
日本の国体で弱小県から出場したりしてチャンスをつかむのと同様に、オリンピックで弱小国から選手が出場して何が悪いのだろう。
大体、スポーツ強国とスポーツ弱小国の出場資格のレベルに差がありすぎるのだから、選手たちが自由に国籍を移動すれば自動的にその差は解消されて平等な基準に基づいて世界中の選手がオリンピックで競うようになるはずだ。もし、皆が有森ゆうこのように真面目に現在の選抜基準を遵守していれば永遠に19世紀の民族主義の時代に作られた国家ごとの遅れた国際競技会の悪弊が正されないのだ。そういう意味で有森はじめ真面目と考えられているアスリートや識者のほうが時代錯誤の民族主義と国家主義に救いがたく犯されているのだ。彼らこそまさに単純で全体主義国家に利用されるスポーツ馬鹿の筋肉脳患者だ。
猫ひろしは誰の入地知恵かしらねどそこをついてきたわけだが、(おそらくTBSのプロデューサーと広告代理店あたりだろうが)仮に選手たちが皆、猫ひろしと同じ戦略をとり始めたら結果として猫のような低レベルの選手はどこの国からも出場できなくなり最終的には国家ごと、地域ごとの選抜が廃止されるはずだ。よって、猫の国籍換えのオリンピック出場に反対する者は知ってか知らずか国家に支配されたスポーツ界を支持しているだけなのだ。
かわいそうなのはマスコミや芸能事務所、広告代理店に翻弄されたのであろう純情素朴な猫ひろしだ。猫よ、男なら猫魂でTBSの力を借りずに4年後再びクメールの土地からオリンピックに出場してみよ。
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