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テレビ局は公共性に対する自覚を持て − 塩谷報道に見るメディアの低俗性
http://blogos.com/article/38263/
2012年05月04日 00:01 ESQ
ここ最近のテレビの情報番組では、この話題に相当の時間を費やしているのは皆さんご存じだろう。
私は、この報道により塩谷瞬さんという俳優を初めて知った。
知らない人のために簡単にいうと、塩谷瞬さんという俳優が富永愛さんというモデルと付き合っていた他にも、付き合っていた女性が複数いたとかいう類の下らない報道である。
何が下らないかというと、タブロイド新聞や低俗なゴシップ雑誌なら格別、公共性が全くないこの話を限られた公共の電波を割当たられているテレビ局が、連日、長時間を割いて報道しているからである。
私は、芸能ニュースすべてが下らないという立場ではない。芸能ニュースでも公共性のある報道というのはあるだろう。そういう話であれば、ある程度テレビ局が報道する価値はあるだろう。
たとえば、つい最近まで話題となっていた「オセロ中島さんに対する占い師の洗脳報道」とか、一昔前でいえば、「暴力団との関係が指摘されて引退した島田紳助の報道」とかである。
前者は、昨今の霊感商法に通じるような一般人にも危険が及びかねない話であり、霊感とか、占いとか、いわゆる、オカルトに属するものが社会に与える影響ということに鑑みれば、公共性がない話ではない。特に、金銭が絡んでおり、詐欺行為の可能性すらある話であれば、それは犯罪の疑いがある話であって、公共性及び公益性は極めて強いだろう。
後者についても同様である。反社会的勢力である暴力団との関係があるという話であれば、それには公共性が当然生じる。特に、島田紳助自身が「暴力団とは全く関係がない。」と会見で断言した数日後には、たとえ過去のものであっても、暴力団員との写真が週刊誌に出てくるなど、その報道の公共性及び公益性は極めて強いものがあった。
しかし、今回の報道はどうであろうか。
結婚詐欺をして、金銭をだまし取ったという話であれば格別、今報道されているのは、独身の俳優が結婚を前提に複数の知名度のある独身女性と付き合っていたという程度の話である。
複数の人と付き合っていたとして、感情論や道徳論は別として、婚約すらしていないのであるから、何が悪いのか私にはさっぱりわからない。
それをテレビでは連日、「二股俳優」とか名付けて、人格攻撃をするかのごとき報道はいかがなものであろうか。
私には、叩きやすい者は徹底的に叩くが責任は取らないというマスメディアの無責任な姿勢が如実に表れているように思えて仕方がない。
同時期に美女数名と付き合っていることが許せないのであろうか。
報道の仕方を見ているとモテない男の嫉妬にしか見えないし、そんなことを限られた公共の電波を使って長時間報道する話なのかと思われてならない。
「こんな俳優を見ていると、女性は気分が悪い」という話なのだろうか。
複数の独身女性と関係を持つ独身男の話を聞いて、感情が害されたとでもいうのだろうか。
そんな感情は保護に全く値しないと私は思う。
ハッキリ言って、当事者間でやればいい話なのであって、いつまでも、「二股俳優」と銘打って報道するメディアの姿勢は、叩きやすい者を徹底的に叩くという集団リンチ以外の何物でもない。
こんな下らない報道しか続けられないのであれば、放送権の付与という特許的立場を与えられたテレビ局は、今すぐ放送権を返すべきである。
我が国に山積している問題はたくさんある。
しかし、その本質をえぐるような報道はあるだろうか。
陸山会事件における検察官の虚偽の調書作成の問題に対する厳しい報道姿勢は、その事件のインパクトに比べ、はるかに弱く感じる。
それを報道する能力がないのであれば、少なくともメディアは、小沢無罪判決の判決内容の誤報を見直すくらいのことはすべきではなかろうか。
それすらテレビメディアには期待できないということが、塩谷瞬さんに対する下劣な報道姿勢に表れているのかもしれない。
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