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東京新聞と琉球新報の社説に思う 朝日,読売,日経,毎日は「新聞」にあらず!
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2012年04月28日 世相を斬る あいば達也
*既に筆者は、朝日、読売、毎日、日経は“死に体”のメディアだと認識している。昨日のコラムでも書いたが、朝日新聞:「小沢氏無罪判決―政治的けじめ、どうつける」、読売新聞:「小沢氏無罪 復権の前にやることがある」、毎日新聞:「小沢元代表無罪 なお政治的責任は重い」、日経新聞:「無罪判決を“小沢政局”につなげるな」と云う類の金太郎アメ社説など歯牙にも掛ける気になれない。極力捨ておくことを肝に銘じている。ただ、“そうだ、そうだ”と頷きながら読み耽る善良な市民を見るにつけ、気の毒なことだと心痛める。
*今夜は一昨日の大善判決を受けて書かれた、腐れ切った4大新聞とは異なる切り口を示す、東京新聞の社説の一つを読んでいただこう。
≪政争よりも政策実現を
小沢一郎元民主党代表の無罪判決で「反小沢」と「親小沢」勢力との抗争が激化する見通しだという。しかし、国会にそんな余裕はない。国民が期待するのは、よりよい生活のための政策実現だ。
小沢氏は政治資金規正法違反の罪で強制起訴されたことを受け、二〇一一年二月、民主党員の資格停止処分を受けた。無罪判決により、民主党がこの処分を解除するか否かが、当面の焦点となる。
小沢氏に近い輿石東幹事長は五月上旬にも処分解除に向けた手続きを始めると表明したが、党内には判決確定まで解除すべきではないとの意見がある。
小沢氏や近い議員らは、野田佳彦首相が今国会成立に「重大な決意で臨む」と断言した消費税増税に反対している。増税派は小沢氏の足かせとなる党員資格停止が長引くほどよいと思っているのか。
権力闘争は政治に付きものであり、活力を生む面はある。しかし、大震災と原発事故後の非常時だ。不毛な政争に費やす時間があるなら、よりよい生活のための政策を一つでも多く実現してほしいというのが国民の願いに違いない。
首相が消費税増税に突っ走れば小沢氏らとの抗争を泥沼化させかねない。消費税増税を実現しようと自民党の求めに応じて「小沢氏切り」に踏み切れば、民主党は分裂するだろう。首相はそこまでして消費税率を引き上げたいのか。
ここは政権交代の原点に返り、まずは政府や国会の無駄に徹底的にメスを入れることに再挑戦する必要がある。
その上で、年金、医療、介護、子育てなどの社会保障制度を将来にわたって持続可能なものにするにはどうしたらよいのか、その財源をどう確保するのか。与野党が知恵を出し合ってほしい。
今の制度が変わるのか見通せない中で消費税増税の前例だけつくられても国民は納得がいかない。
後半国会には議論すべきことが多く残されている。歳入の四割を占める赤字国債を発行する公債特例法案は成立のめどが立たず、原子力安全委員会などに代わる原子力規制組織の設置も遅れている。
衆院「一票の格差」是正でも与野党の意見は大きく隔たる。国会が違憲・違法状態を自ら解消できないほど劣化したのなら悲しい。
不毛な政争を脱し、活発な議論を経て結論を出す国会へ−。小沢氏の無罪判決がそのきっかけになるのなら、まだ救いがある。≫(東京新聞:社説2)
*筆者は一瞬「政争よりも政策実現を」と云う見出しを目にして、東京新聞も小沢一郎の復権で政争が主体となるのは勘弁してくれと云う“通り一遍の”論説かと思いながら目を通した。しかし、書いてある内容は、筆者の第一印象とは異なるものだった。東京新聞が言うところの“政争”の起点が、09年マニュフェストをかなぐり捨ててしまったクーデター民主党勢力である事が、腐れマスメディアと切り口を異にしていた。
*≪首相が消費税増税に突っ走れば小沢氏らとの抗争を泥沼化させかねない。消費税増税を実現しようと自民党の求めに応じて「小沢氏切り」に踏み切れば、民主党は分裂するだろう。首相はそこまでして消費税率を引き上げたいのか。 ここは政権交代の原点に返り、まずは政府や国会の無駄に徹底的にメスを入れることに再挑戦する必要がある。≫ 極めて論理的論調であり、正論であり、野田佳彦に対して適切な忠告になっている。昨日の拙コラムで書いたように、『…小沢が3月初めに野田との会談の条件として“消費税増税に関する与野党協議会の設置”による継続審議…』と同じ情報を軸に、社説を組み立てている。
*筆者と目のつけ処と同じだから褒めるわけではない。そのような選択をしないと、民主党は政権交代時の国政選挙による“正当な民意”(*マスメディアは世論調査の結果を民意と言いたがるが、そりゃ詭弁である)をもう一度思い返し、“正当な民意”に回帰するのが常道だ、と言っているのだ。読売と云うCIA傀儡新聞社などは、小沢一郎の政治家としての説明責任を訴える為に世論調査を行い ≪小沢元代表が自らの資金管理団体をめぐる「政治とカネ」の問題で、国民に説明責任を果たしていないと思う人は87%に上った。:読売新聞≫と鼻高々に紙面を汚している。(笑)何度も執拗に言っておくが、“正当な民意”とは、選挙でしか得られないものである事、あらためて念を押しておく。
*東京新聞はもう一つ「小沢元代表無罪 許せぬ検察の市民誤導」と云う見出しの社説も載せている。そこでは、東京地検特捜部の小沢事件本体の違法捜査云々には触れず、検察審査会に虚偽の報告書を提出し、審査員を誤誘導した罪は看過できない点を強調している。この点には物足りなさを感じるが、特捜部捜査全体に言及すると、またまた記者クラブ“出禁”を命じられるリスクを回避したのかもしれない。現状ではその選択も妥協の産物として容認せざるを得ない。ただ、最後の方で「検察審の在り方」の必要性に言及している。笠間検事総長を定年退職前倒しで6月に退任させようと云う法務省の“赤レンガ組”が江田五月・仙谷由人等の暗躍で進めているようだが、小沢無罪判決で謀略は頓挫するかもしれない。
*それでは次に、琉球新報の社説を読んでいただこう。この沖縄の新聞社の社説は中々独特の味を出していて、筆者の好みだ。
≪小沢判決/検察の「闇」が裁かれた 全面可視化しか道はない
裁かれたのは検察の深い闇だ。そう受け止めざるを得ない。政治資金規正法違反罪で強制起訴された小沢一郎民主党元代表への判決で、東京地裁は無罪を言い渡し、検察の手法を厳しく批判した。
供述を検察が「ねつ造」したことが明らかになったからだ。大阪地検の証拠改ざんもあった。断罪されたのは検察の体質そのものと言える。もはや検察の調書は信頼できない。取り調べを全面可視化するほか信頼回復の道はない、と法務当局は認識すべきだ。
今回、「ねつ造」された供述はそのまま検察審査会に送られ、強制起訴の根拠になった。検察審査会の在り方も議論すべきだろう。
証拠改ざんに通底
この裁判の最も重要な瞬間は、小沢氏の弁論などではなく、むしろ田代政弘検事の証人尋問だった。昨年12月の公判で田代検事は、事実と異なる捜査報告書の作成を認めたのだ。
2010年5月、田代氏は元小沢氏秘書の石川知裕衆院議員を再聴取した。その報告書には「あなたは国会議員。やくざの手下が親分を守るようなうそをついてはいけない」と検事に言われたのが効いた、と石川氏が述べ、小沢氏の関与を認めたかのように記した。
だが石川氏はかばんに録音機をしのばせ、隠し録音していた。このため、そのような応答は全くなかったことが証明できた。
田代氏は「過去の供述と記憶が混同した」と弁解したが、あまりに不自然だ。録音されていない「供述」はほかにも数多くある。裁判所が弁解を「にわかに信用できない」と退けたのも当然だ。
取調室は密室である。隠し録音をしていなければ報告書が虚偽だとは証明できなかっただろう。ほかの調書類でも同様の「ねつ造」がないと信用できるだろうか。
検察のストーリーに合わせて事実をねじ曲げた点は、大阪地検の証拠改ざんとも通底する。もはや検察の体質と化していた、と疑わざるを得ない。
検察は取り調べの一部可視化を始めているが、全面可視化は拒んでいる。だが一部可視化は可視化しないのと同じだ。検察に都合のいい部分だけを公開し、ほかは隠しておける仕組みでは、可視化の意味がない。法務当局は、国民の信頼を取り戻したいなら、全面可視化を断行すべきだ。
市民団体は田代検事を虚偽有印公文書作成・同行使罪で告発したが、検察は起訴を見送る方向という。大阪地検の証拠改ざんは最高検が捜査したが、今回は東京地検が担当だ。東京地検の犯罪を東京地検が捜査して、公正と言えるはずがない。最高検か他の地検、警察が捜査すべきではないか。
資料開示も必要
検察審査会(検審)の仕組みもあらためて問われる。今回は検察が起訴を見送った事案だが、市民の告発を受けて検審が2回議決し、強制起訴となった。
だが検審の仕組みもあまりに不透明だ。政治的に対立する人が恣意(しい)的に告発することは、いくらでもできる。審査が何回開かれたか、委員がどんなメ ンバーかも分からない。
検審に開示する資料を検察が恣意的に選ぶことも可能だ。今回の審議も、くだんの捜査報告書を基にしていた。全面可視化と同時に全ての捜査資料を全面開示する仕組みでなければ、公正な審議はできないのではないか。これは裁判員裁判にも言えることだ。
強制起訴が可能になったのは裁判員制度と同じ09年の司法改革からだ。それ以前、検審が起訴議決をしても、警察官や検察官が身内の犯罪をかばうかのような不自然な不起訴が続き、市民の不信感が高まったことが背景にある。
だから強制起訴の仕組みの必要性にはうなずける点もある。だが政治家は起訴だけで議員辞職を迫られてしまう。特定の政治家を恣意的に排除できるかのような仕組みは改善の余地がある。国民的議論で改善策を導き出すべきだ。≫(琉球新報:社説)
*琉球新報は東京新聞の遠慮部分にも、ズバリ切り込んでいる。≪断罪されたのは検察の体質そのものと言える。もはや検察の調書は信頼できない。取り調べを全面可視化するほか信頼回復の道はない、と法務当局は認識すべきだ。≫、と断言し、≪市民団体は田代検事を虚偽有印公文書作成・同行使罪で告発したが、検察は起訴を見送る方向という。大阪地検の証拠改ざんは最高検が捜査したが、今回は東京地検が担当だ。東京地検の犯罪を東京地検が捜査して、公正と言えるはずがない。最高検か他の地検、警察が捜査すべきではないか。≫とまで言及している。司法記者クラブ所属メディアでは、デスクが一発で没にする社説が見事に語られている。これが本来のジャーナリストの命である。
*琉球新報は司法記者クラブに属せず、地域の情報に独自性を出している新聞社で、中央の情報は通信社の配信を軸に紙面を構成している。ゆえに、社説や地域報道では、独自性を如何なく発揮できる、恵まれた環境にある地域メディアだ。本来であれば、地方紙こそが、記者クラブのしがらみから逃れ、独自の視点で紙面を充実させられる利点を有している。その他の地方紙でも、切り口鋭い論説を語るところも出てきているが、まだまだである。今後、地方紙こそが、“中央にモノ申すメディア”としての存在感が示せる筈である。
*今や時代は、中央集権から地域主権の時代に移っている。この潮流は、どれほど霞が関が死に物狂いの抵抗をしようが、マスメディアがそれを擁護しようが、抗うことが不可能な世の中の流れなのである。問題は、その潮流が加速するか、ゆったりとした流れで進むかの違いである。その点で、地方紙にはチャンスが到来しているのだ。遅かれ早かれ、中央でだけの出来事が国を動かしているわけではない、地域自治の時代は必ず来る。その時に向かって、地方紙はポジションの優位さを如何なく発揮して貰いたいものである。
注:参考までに、司法記者クラブ所属団体を列挙しておく。 ≪ 朝日新聞 毎日新聞 読売新聞 日本経済新聞 産経新聞 東京新聞 北海道新聞 西日本新聞 京都新聞 中国新聞 ジャパンタイムズ 共同通信 時事通信 NHK 日本テレビ TBS フジテレビ テレビ朝日 テレビ東京 ≫。きっと素晴らしい司法関係の報道をしているのだろう。今後も、笑いながら読ませて貰ったり、視させて貰うとするか(笑)
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