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http://www.labornetjp.org/news/2012/1334932041948mu07
2012年4月18日(水)午後6時半から烏賀陽弘道氏による『報道の脳死』出版記念トークショーが行なわれた。場所は「紀伊国屋書店南口店三階 ふらっとすぽっと」「ふらっとすぽっと」は本を出版した著書や編集者が読者とフラットな視点で交流できるように、と設けられたイベントコーナーであり、トークが気に入ればその場で本を購入できる。
読者が著者の熱意や体温を感じられる、画期的なコーナーだ。今まで神秘のベールに包まれていた感のある作家や編集者を生で見ながら本を買うかどうか決められる直販方法に、出版社の危機感をひしひしと感じた。
トークショーの内容の一部から著者の報道の脳死の症例が見えて来る。日米の記者クラブの違い、新聞社が事件を総合的に解る様に記事を掲載しない(断片化)などの日本の報道についての病巣を明らかにした。
そして脳死ならまだ蘇生の可能性も有るかもしれない、それは、読者がどうアクションを起こせば良いか、どう報道に向かってアクティブに向き合えば良いか、治療方法を30人以上の聴衆を前に熱く語った。
「パクリ記事」どの新聞社も横並びに(気仙沼から鰹水揚げ)と漁業が用意したイベントを記事にするので同じような紙面になる記者がニュースを探さない。報道全体を駄目にしている。
「日付主義」3月11日生まれの赤ちゃんを探して、記事を書く。えくぼ記事、美談記事を一律に書く。美談があっても良いが、イージーな方法での記事作り。談合もあるだろう。記者クラブから出たネタでもない「街ネタ」ですら記者クラブ的な記事になる。
「これからのジャーナリストの役割、仕事の変化について」
広大なネットの海から正しい情報を選び出すナビゲーターという形。濁流の中からくみ上げて分析して情報に溺れている読者に「これが正しい!」と浮き輪を投げる、そういうナビ、司会役のような形にジャーナリストの仕事が変わっていくような気がすると、未来系の報道人の姿を語った。
質問コーナーで。
筆者も質問してみた。「この本を読んで3・11後のメディアの読者に対しての不実な態度に怒りを持っている、なんとかお灸を据えたい、そしてこれから読者は何が出来るか、教えて頂きたい」
3・11が日本の社会が残した良かったところは日本人を賢くした。記者クラブ系の新聞テレビが不甲斐ない。警戒区域の被災地に行かず、電話取材しかしない腰抜けなところ。知る権利の代理人だと思っていた大手メディアは「この程度か」と知ってしまった。
日本の経済社会かしたらとても程度の低い人が作ってるという事を知ってしまった。我々は幻滅から出発する事しかないのです。
そしてどうするか。次の世代の報道を育てるには人材とお金を投入する。記者を育てる。ノウハウをマスコミの中から外に出す事。
新聞テレビ以外の報道にお金を回す。そしてその記者と読者とのマネタイズのシステムを作るドメイション(投げ銭)(寄付)がスムーズに行なわれる様になる事。教育、人材開発の実務を開始しないと報道は死ぬと思います。新聞・テレビは自己改革意思も能力もない。このまま立ち枯れをして行く。新聞、テレビの外側にマネタイズしていくようにする事が大事。
読者が、今までの報道ビジネスから脱却して、新しいジャーナリズムを会得した人材達を養い育てる文化を作る事だと語った。
日本の報道の脳死の姿、そしてその治癒方法と、悲観論だけではない、未来系の報道モデルをも示唆した有意義なトークショーとなった。
報告 上田 眞実 写真はトークライブでの烏賀陽弘道氏。
2012年4月20日
[転載者注:以下、烏賀陽弘道氏についてのネット上参考資料]
http://ugaya.com/
・本人の公式サイト:主にオリコンから提訴された訴訟と、同人の「実質勝訴」へ至る過程を記している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E8%B3%80%E9%99%BD%E5%BC%98%E9%81%93
・同人に関するwikipedia記事。いわゆる「WP的偏向編集」がなされている可能性があることは、予めお断りしておく。
>主張 [編集]
新聞社批判 [編集]
烏賀陽は17年間に及ぶ朝日新聞社での記者生活を振り返り、自身のサイトで朝日新聞社を痛烈に批判している。[43][44]
組織疲労 [編集]
不文律の年功序列制度や上層部の改革の意思の欠如が、記者のモチベーションの低下を招いていると主張している。そして、会社を変えようと努力したりする人間のモチベーションを低下させたり、出世競争から外されてしまうという。そして、上司にゴマをする人間や命令に従う人間だけが出世してしまうという。
また、出世してチェックなしで予算を使える権限(予算執行権)を手にすると、その誘惑に負けて私的なことに予算を割いてしまう人間が多いと主張している。烏賀陽が5万円の経費の使い込みについて編集長に問い詰めたところ、「編集長はみんなそれをやっているから」という返答が返ってきたという。
烏賀陽が留学を終え、AERAの編集部に復職した頃には、デスクは自分の専門範囲外のことを取り上げることを極度に避けるようになっていったと語っている。これは、村治佳織の記事を例に語っている。
エリート意識 [編集]
朝日新聞の記者は「エリート」呼ばわりされたり扱われたりすることを望んでいるので、朝日新聞の社員をたとえ皮肉や揶揄であっても「エリート」と呼んだり書いたりすることは彼らの思うつぼだとも言っている。
記者クラブ制度 [編集]
記者クラブ制度によって自動的にニュースが手に入ってしまうようになり、記者による自己研磨や勉強や自分でニュースを探し出す能力が衰えてきていると指摘している。また、こうした記者クラブで楽にニュースを書いてきた記者には、「他人とは違った視点でものを考える」能力が著しくかけていると主張している。そして、自分は一年間しか記者クラブに在籍してこなかったので、そうした能力を最後まで殺されずに済んだとも書いている。
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