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毎日新聞社説の論調はNHK解説と類似・・・本末転倒の論調
3月20日の毎日新聞の社説「小沢元代表公判 意味あった法廷の審理」(URL:「新聞社説まとめサイト」を引用させてもらいます)について、ネットで酷評されていますね。
当方も一読したが、先のNHKの「時論公論」の『調書否定の重み 小沢元代表裁判』(2012年02月17日 (金) 友井 秀和 解説委員)と類似していると思いましたね。
3月20日の毎日新聞の社説「小沢元代表公判 意味あった法廷の審理」を転載すると、
”「検察審査会による議決を経て強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告の公判が19日、結審した。
資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐり、元代表提供の4億円が政治資金収支報告書に記載されず、元秘書との共謀が問われた事件だ。
元秘書で衆院議員、石川知裕被告を取り調べた特捜検事が、実際にはないやりとりを捜査報告書に記載していた問題が公判中に発覚した。報告書は、検察審査会の判断の根拠の一つとなっており、起訴自体の正当性も問われることになった。
検察の責任は極めて大きい。東京地裁は先月、取り調べ段階で元代表の関与を認めた元秘書の供述調書の大半を証拠採用しない決定をした。さらに地裁は「虚偽供述に導く違法不当な取り調べは組織的だった」と、強く検察を批判したのだ。
捜査報告書の虚偽記載については、市民グループが刑事告発しており、捜査を尽くすのは当然だ。だが、それで足りる問題ではない。自白偏重の取り調べ手法は、大阪地検特捜部の郵便不正事件でも指摘された。
法律上も信頼性が高いとされる検察官の調書が、相次ぎ公判で排除された事態は深刻と言える。上司の関与も含め、検察は虚偽記載の経緯をしっかり検証・公表すべきだ。
また、検察が検察審査会の起訴議決を誘導したとの元代表側の指摘にも正面から応えてほしい。裁判員制度にも通じるが、市民の判断を曇らせない仕組みは欠かせない。中でも、審査会への証拠開示は適切だったのか。一定のルールの必要性を含め、早急に議論すべきだろう。
ただし、検察の失態と今回の公判の意義は区別して考えたい。
強制起訴を決めた際、検察審査会は「公正な刑事裁判の法廷で黒白をつける制度だ」と、刑事訴追に市民の意思を反映させる意味を強調した。確かに法廷で明らかになったことは少なくない。
たとえば、元代表は「政治資金収支報告書は一度も見たことがない」と被告人質問で言い切った。「政治資金の収支を全部オープンにしているのは私だけ」と折に触れ繰り返していた発言は何だったのか。
また、必要性に疑問符がつく4億円の銀行融資の書類に署名した点について「何の疑問も感じなかった」と述べた。一般人とはほど遠い金銭感覚は他にも随所でみられた。
元代表は最終意見陳述で「いかなる点でも罪に問われる理由はありません」と述べた。もちろん、刑事責任と政治家としての道義的責任は、切り分けるべきだ。だが、法廷での元代表の発言などを通じ、改めて国会の場での説明責任の必要性が示されたことは指摘しておきたい。」”
と論じています。
この毎日新聞の社説について、ブログ「永田町異聞」様のエントリー『毎日「小沢真相解明されぬ空虚さ」記事の空虚さかげん』で、「空虚」な思考を展開していると酷評し、「オリーブニュース」で徳山 勝氏のコラム『毎日新聞の「小沢公判」社説を切る』で、毎日新聞の記者は鈍感とし、”「検察の「妄想」から始まった刑事事件の道義的責任とはいったい何だ。道義的責任があるのは、「妄想」捜査を許した検事総長や地検の検事正であり、裏付けも取らずに「妄想」を報道したマスコミだろう。」”と酷評していますね。
当方は、この毎日新聞の社説を一読し、NHKの「時論公論」の『調書否定の重み 小沢元代表裁判』(2012年02月17日 (金) 友井 秀和 解説委員)と論調が類似しているなーと思いましたね。
本ブログ「NHKに問いたい! 小沢裁判の調書採否の解説をHPにアップしないのか?(追記)」で、友井 秀和 解説委員の解説『調書否定の重み 小沢元代表裁判』(2012年02月17日放送)について、
”「当方は、番組の前半部は、違和感を持ちませんでしたが、後半部の友井秀和・解説委員の解説は、小沢裁判は、刑事事件の判決はともかく、「政治とカネ」を持ち出し、このまま良いのかという論調の結語は、判決が出る前に、小沢一郎氏は政治家として資質に問題があると、視聴者に「小沢はワルだ」という印象を持たせる論調と感じました。」”
と、友井 秀和 解説委員は、前半部は、裁判所が石川議員の調書を不採用した背景を説明し、後半部は、刑事裁判の「有罪」「無罪」に判決に関わらず、今後も「政治とカネ」の議論に繋げる必要性があるという結論に疑問を感じたと書きました。
毎日新聞の社説も同様に、前半部は、検察権力の乱用を質しているが、後半部の
”「ただし、検察の失態と今回の公判の意義は区別して考えたい。
強制起訴を決めた際、検察審査会は「公正な刑事裁判の法廷で黒白をつける制度だ」と、刑事訴追に市民の意思を反映させる意味を強調した。確かに法廷で明らかになったことは少なくない。
たとえば、元代表は「政治資金収支報告書は一度も見たことがない」と被告人質問で言い切った。「政治資金の収支を全部オープンにしているのは私だけ」と折に触れ繰り返していた発言は何だったのか。
また、必要性に疑問符がつく4億円の銀行融資の書類に署名した点について「何の疑問も感じなかった」と述べた。一般人とはほど遠い金銭感覚は他にも随所でみられた。
元代表は最終意見陳述で「いかなる点でも罪に問われる理由はありません」と述べた。もちろん、刑事責任と政治家としての道義的責任は、切り分けるべきだ。だが、法廷での元代表の発言などを通じ、改めて国会の場での説明責任の必要性が示されたことは指摘しておきたい。」”
は、NHKの解説員と同様に、刑事裁判の結審・判決とは別に、小沢一郎氏の政治家としての資質を問い、道義的・説明責任があると主張しており、刑事裁判を矮小化し、政治家の資質を問題視しており、「本末転倒」の論調ですね。
小沢裁判は、検察権力の乱用か否かを問うことが本質であり、小沢一郎氏の言動の政治家の資質を問う裁判ではなく、「政治とカネ」、政治家の資質は別次元の問題なのです。
マアー、毎日新聞もNHKも、小沢一郎氏の復活をさせたくないという心情なのでしょうね。
何か、心証で有罪判決を期待しているのではないかと。
判決が無罪・有罪に関係なく、毎日新聞は、説明責任が終わらないとし、NHKは、「政治とカネ」問題は終わらないという意見で違和感を持ちますね。
「付記」
田中良紹氏のコラム「国会探検」のエントリー『裁かれるのは日本の民主主義』で、小沢裁判の結審について、
”「裁判の過程で浮き彫りになったのは検察の犯罪的な捜査手法である。検察は思い込みから小沢氏の裏金捜査を始めたが、不都合な証拠は隠し、都合の良い証拠だけをメディアに流して国民に「小沢クロ」の心証を与え、それでも起訴が出来ないと検察審査会に嘘の証拠を示して起訴に導いた。」”
”「国民から選ばれた政治家を「巨悪」(ということは国民は巨悪なのだ)、それを摘発する検察を「正義」と考えるマインドコントロールに冒され、国民は民主主義とは真逆の論理を信じ込んでいる。だからこれほどの問題が分かってもメディアは不感症でいられる。証拠改竄をした検察を「民主主義の敵」と言わずに不心得者がいるという程度に非難する。」”
とメディアの問題意識の軽薄さを酷評していますね。
マアー、毎日新聞の社説、NHKの「時論公論」は、まさしく、本末転倒で、問題意識の軽薄さですね。
田中良紹氏のコラムのコメントの投稿者に阿闍梨(あじゃり) 様があり、自分のブログ「陸山会事件の真相布教」を紹介しております。
適当な人間の当方は、「阿闍梨」様や、「一市民が斬る!!」らの執着性・パワーは持ち合わせいないが、ネットの意見が小沢一郎氏の後方・側面支援になった事は事実であり、小市民も小沢裁判を通じて政治・検察・検察審査会・司法・メディアの互恵・互助のスキームの存在を意識し始めたことも事実ですね。
マスメディアは商業報道機関とはいえ、過去の延長線上の御用報道していれば、メディア不信を増長させ、結果的に業績不振に繋がることになるでしょうね。
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