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ジャニーと周防と私のドキュメンタリー「ピンク・サムライ」(AV監督 村西とおる)  
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/771.html
投稿者 mrboo 日時 2012 年 3 月 20 日 13:09:17: .YDrFW/K2MhJI
 

3月10日11日と故郷福島に帰って参りました。
薄磯地区は大津波に襲われて全滅し、
家は一軒も残っておらず荒野となっていました。

道を歩いていると家の玄関であったと思われる跡地の場所に花が添えられ、
被害にあって亡くなられたその家の人の
好物の果物やお菓子が供されていました。
ただ言葉も無く手を合わせ、たたずんでいるがやっとでした。

福島には一人で行ったわけではありません。
高槻彰監督とその他二名のスタッフが同行しました。
故郷福島に帰る手前どもの姿をカメラに撮っておきたい、
との高槻監督の申し入れを受けてご一緒したのです。

高槻監督とはカレコレ25年以上の長い付き合いになります。
25年前、噂の真相の副編をしていた川端氏と共に
手前どものところにやってきたのが最初の出会いでした。

「村西監督のドキュメンタリー映画を是非撮りしていただいたい」
との申し入れをいただきました。

自分のドキュメンタリー映画など
果たしてどれだけ見る人がいるのか、自信がありませんでした。

また自分をテーマにしてドキュメンタリー映画を撮ってもらうほどの
価値が自分にあるとは到底思えずお断りしました。
高槻彰監督は相当の情熱を持たれてやってきたのでした。
帰る時は悄然として気の毒に思えるほどに落ち込んでいました。

その後手前どものことを書いた、アメリカ人ジャーナリストの手による
「ピンク・サムライ」なる英語本が欧米で出版されました。
東洋の国にこんな破廉恥な集団がいる、と話題を呼んで
欧米でこの「ピンク・サムライ」本がベストセラーになりました。

そんな折、英国のチャンネル4というテレビ局の女性ディレクターから
人を介してのコンタクトがありました。
是非あなたをテーマに40分ほどのテレビ用ドキュメンタリー作品を撮りたい、という申し出でした。

白人から「黄色エテ公も人間並みのSEXをしているか」
と笑いモノにされるような気がして気乗りがしませんでした。
次の機会があったら、とヤンワリとお断りしました。

ところがこの女性ディレクターは
そう簡単に引き下がるようなタマではありませんでした。

毎週のように彼女から手紙が送られて来ました。
彼女を紹介してきた知人女性に翻訳を頼むと、

そこには自分は中国の奥地に住む少数民族のドキュメンタリー作品などで
これまで沢山の国際的な賞を受賞したことがある
実力派のディレクターである、ことなどが書かれてありました。

一度ターゲットに狙いをさだめたら
あきらめることなくどこまでもトコトン追いかけていって仕留める、
そんな気迫が感じられました。

女性ディレクターに追いかけるテーマは違っても
同じ映像を創る仕事をしている人間としてシンパシーを感じ興味を持ちました。

「一度会って話しをしてみませんか」
というと四日後にはロンドンから飛んで来ました。

彼女は金髪で年齢は35歳ということでしたが
往年のカトリーヌ・ドヌーブを彷彿させる知的美人女性でした。

会うと直ぐ相方がうちとけ合いました。
相方というより彼女の魅力にこちらの方が一方的に悩殺された
といった方が正しいでしょう。

撮影のスケジュールはその場で決まりました。
翌月、彼女は撮影クルーを引き連れて
3週間ほどの日程で撮影を滞在する、ということになりました。

撮影中は欧米人らしい独特の日本への思い入れから
の注文に困惑されることもしばしばでした。
例えば富士山をバックに、あるいは桜の木の下で、
桜の花に吹かれてSEXをしているシーンが無いか、というのです。

幸いにして桜樹ルイ嬢と富士山をバックにホテルの室で
立ちバックをしている映像がありましたのでその映像を見せると
「ファンタスティック」
と女性ディレクターはことのほかの喜びの表情を見せました。

撮影がクランク・アップして焼肉店でささやかに当方が主催して
「別れの宴」を開きました。彼女は目を真ッ赤にして泣きはらしていました。
それほどまでにこの撮影に彼女は情熱を傾けていたのか、
と感動しましたが事実は違っていました。

通訳の女性によると彼女の涙の訳はこうでした。
撮影がクランク・アップする三日前、
ロンドンから彼女の父親が死んだ、との知らせが入りました。

彼女の母親は幼い時に病気で亡くなっていて
娘一人、父一人の父子家庭で彼女は育っていました。
彼女はパパを誰よりも愛し尊敬し慕っていました。

彼女の父親も女だてらに中国や世界各地のヘキ地に
カメラをかついで出かけて行く娘を心配しながらも
多くの賞を受賞して英国のドキュメント映画世界の
第一人者と呼ばれるようになった娘を誇りに思っていました。

彼女の父親がどんな病に患かっていたかは知りませんが、
「父の死」は彼女にとって
それは青天の霹靂ともいうべき出来事であったのです。

この世で最愛の人の死を知って彼女は打ちのめされました。
一晩ホテルの室でマンジリともせず夜を明かしました。
パパが待つロンドンに帰ろう、と彼女は決心しました。

自分の仕事を誰よりも手放しで喜んで見てくれた
最大の理解者である応援団長であったパパ、
彼女の活動の源泉は「パパの笑顔」にあったのです。

パパが喜んでくれる、パパの笑顔が見れる、と思うと
どんな困難に思えるような状況でも耐え忍ぶことができて、
また突破してきました。

そのパパがもうこの世に存在していない以上、
この日本にいる意味を見い出すことが出来なくなっていました。
見てもらいたい人がいなくなって、
撮影を続ける元気と意味を完全に失っていたのです。

ボストンバックを取り出しロンドンへ帰るための荷造りをはじめました。
一分でも一秒でも早く、パパに会って最後のお別れをしたい、
彼女は気を急いでいました。

と、彼女の頭の中に元気だった時のパパの優しい笑顔が浮かびました
そしてパパは「君はそれで本当にいいのかい」と優しく語りかけてきたのです。

パパが死んだからといって、
これまで約3週間近く積み上げてきたものを全部放り投げて帰ってきても、
パパは決して嬉しくなんて思いはいはしないよ、とパパの声がしました。

パパが望んでいるのは最後まで、
例えパパが死んでも最後まで責任をまっとうして逃げることなく
最後の撮影を撮り終え帰ってくる、そんな娘こそパパの自慢の娘なんだ。

そしてそれは君らしいそれが生き方だと思う、
パパは君が最後の仕事を終えないまでにパパのもとに帰ってくれたって
少しも嬉しくなんかありやしない。

パパは君がどういう行動を取ったら本当に喜んでくれるかが、
いま一度考えて欲しい、とその声は語っていました。

覚醒した彼女は荷造りを解きました。
そして何事も無かったように予定通り撮影現場へと向かいました。

最後の三日間彼女は濃いサングラスを外すことはありませんでした。
夜毎ベッドの上で泣きあかしているために
マブタがお岩さんのように腫れあがっていたからです。

最後のお別れの宴の席でそうした事情を
通訳とまた彼女自身から聞かされて驚きました。
言い古された形容ですがまさに「女ながら天晴れ」
と彼女の強い意志と使命感に感嘆しました。

彼女が帰国して二ヶ月程して編集したテープが送られてきました。
女性の視点から、イギリス人の視点から日本のポルノを見ると
このように見えるのか、と新鮮な驚きを覚えましたが、
危惧していた「黄色人種」への蔑視といったものは微塵も感じられず、
ダメ出しを出すことなく「この編集作品を了承します」
と別紙に送られてきた承諾書にサインをして送り返しました。

それから4ヶ月後、作品は「ピンク・サムライ(40分)」という題名で
チャンネル4からゴールデンタイムに英国全土に向かって放送されました。

ロンドンに住む知人から早速電話がかかって来ました。
昨晩あの番組が放映されて以来、ロンドンの日本人社会では
このことで話題がもちきりで大変なことになっている、というのでした。

実際この「ピンク・サムライ」は高い視聴率を獲得して
チャンネル4が年間にあまた放送している番組の中でベスト2位の座に輝いた、という報告が年末にくだんの女性ディレクターから入りました。

正直なところ地球の裏側の出来事でなんの感慨もありませんでしたが
最愛の父の死を乗り越え最後まであきらめることが無かった
あの女性ディレクターの努力が報われた事が
自分のことのように嬉しく感じられました。

数年後、歌舞伎町の路上で一人の青年に
「村西監督でしょう」と声をかけられました。
彼は合法ドラッグのマッシュルーム等の幻覚剤を街角で売っている売人でした。

青年は興奮したおももちで「監督の映像をオランダで見ましたよ
自分はドラッグ好きでヨーロッパを転々としてきましたが
ヨーロッパで日本人が主人公になる番組なんて一度も見た事が無いんで、
監督のドキュメントを見た時は本当に感動しました。
監督は日本人の誇りです。握手して下さい」ととても熱いのでした。

その後作品はヨーロッパ全土で
その国の言語を用いて巡回放送されることになって
それぞれ大きな視聴率を獲得したとの報告を
またあの女性ディレクターから届きました。

どういう加減からでしょう、
英国のテレビ局が手前どものドキュメント作品を撮って放映し
話題になっている、との話を聞き知って高槻彰監督が再びやってきました。

外国人に撮らせて日本人に撮らせないなんて差別じゃないですか、
といつもは温水洋一似で温厚な高槻彰監督なのですが、
このたびはいささか気色ばんでいました。

別にそうした「他意」があったワケではありませんが
言われてみればまさしく高槻監督の言う通りでした。
「それではこれから高槻監督に撮っていただきます」
とコチラの方から頭を下げました。それが15年前のことです。

それからズーッと高槻監督は折に触れてはカメラ片手に現われては
仕事現場でプライベートタイムにとカメラを廻し続けてきました。

日記よりhttp://muranishi-ch.com/  

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コメント
 
01. 2012年3月20日 15:12:36 : IYyRSPdFJA
ピンク・在日の間違いだろ?ピンク・サムライなんてねつ造もはなはだしいぞ!そもそものサムライの定義からしてサムライはブルーであってピンクには染まらない。ピンクは偽日本人、偽サムライの在日なのだ。事実、その業界のほぼ100%は在日企業である。そこを村西は正しく伝えていない。国賊ものだな。福一に送り込め。

02. 2012年3月20日 15:21:18 : l1NPjWZAfD
なにムキになってんの?

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