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注目の書『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』(上杉隆:著)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120303-00000001-php_s-bus_all
PHP Biz Online 衆知 3月3日(土)16時4分配信
<書籍紹介>
現職大臣を辞任に追い込んだ「放射能つけちゃうぞ」発言は、完全なるでっちあげだった――真相を隠蔽して虚報を流し、バレても責任を取らない。それでいて正義の旗を振りかざす横暴ぶり。新聞・テレビの罪深き欺瞞は、「ただちに危険はない」との政府発表を垂れ流しつづけた原発・震災報道で決定的となった。政治との悪質な癒着。……
ジャーナリスト休業を宣言した著者が放つ、記者クラブメディアへの最後通告。
<まえがき> はじめに − マスメディア堕落論
2011年12月31日をもって、私はジャーナリストを休業した。『ニューヨーク・タイムズ』の取材記者を辞し、日本のジャーナリストとして活動を始めてから、ちょうど10年目の年だった。
「なぜジャーナリストを休業したのか?」
このような質問を多くの方から頂戴する。いま、この国で「ジャーナリスト」と呼ばれる記者クラブメディア(おもに新聞・テレビ)の記者たちと同業であることに、一線を引くため。これが理由である。
この10年、日本の「ジャーナリズム」なるもののひどさを、私はイヤというほど味わってきた。メディアが国民に対して、平気で「ウソ」をつく。しかも、みずからは真相を知りながら、あたかも知らないフリをして、事実と異なる報道を行うのだ。多くの国民は、そのようなメディアの「ウソ」に騙(だま)されている。
私がジャーナリストを休業する決意を固めたのは、東日本大震災ならびに福島第一原発事故が起こった「3・11」の直後だった。マスメディアによる「ウソ」がこれほど罪深いものであったことは、戦時中を除いて、はたしてこれまであっただろうか。
くわしくは本書で述べているが、「3・11」後の混乱状況に際して、マスメディアは情報を隠蔽(いんぺい)し、国民を欺き、国家の信頼を著しく毀損した。しかも当事者たちは、みずからの行為の意味も、それが後世に与えた影響の甚大さも、まったく自覚していない。
それでも、彼らは「ジャーナリスト」なのである。そして私もまた、そのように呼ばれる一人だった。そうである以上、いくら彼らの言動を必死に批判・否定したところで、後世から見れば同類なのだ。
日本の記者クラブメディアが日々行っていることは、ジャーナリズムではない!少しでも多くの方に、このことを理解してもらいたい。同時に同業者(当時)として、彼らの暴走を止めることができなかった責任を私は感じている。
もう一つ休業の理由を挙げるなら、「記者クラブ問題」を周知させることについて、私のなかで、「ジャーナリストとして、やれることはある程度やり、実を結んだ」という実感をもてたこともある。
10年前、私がいくら「記者クラブが日本最大の問題だ!」と声を荒らげても、耳を貸す人はいなかった。海外メディア出身の神保哲生氏、蟹瀬誠一氏など、当時すでに記者クラブシステムの渦中で働き、不利益を被っていた人たちは理解を示してくれたが、同業者であっても賛同者はほとんどいなかったのだ。いわんや一般の方々をや。
その後、雑誌、講演、ラジオ、テレビと、あらゆるメディアを通じて、私はくりかえしこの問題に言及しつづけた。自分でもイヤになるほどだったが、追及の手を緩めることはしなかった。問題そのものをズバリ指摘した『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)の上梓、政治家に対する記者会見オープン化の働きかけ、自由報道協会という組織の設立……。
そうこうしているうちに、「おや? 上杉が何かやってるぞ」と関心を示してくれる人が徐々にだが出てくるようになった。
そんななか起きたのが「3・11」だった。そしてこの日を境に、「記者クラブによる洗脳」が一気に解けはじめた。
インターネットメディアの発達が進むなかで、この流れが止まることはない。それを加速させるため、ジャーナリストとしての活動以外にやるべきことがあるのではないか。私はそう考えるようになったのだ。
「記者クラブによる洗脳」とは何か、と疑問に思われる方がいるかもしれない。記者クラブメディアがついてきた数々の「ウソ」は、インターネット上ではすでに、ある程度、認知されているが、社会全体の理解度はまだまだ低い。そのような方にこそ、ぜひ本書を読んでもらいたい。
日本のメディアは世界から見ると、いかに非常識な存在であり、有害ですらあるか-−本書は「3・11」を起点にそれを解き明かした、現段階における私の総決算であり、記者クラブ制度に対する最後通告だ。とりわけ、今回はじめて詳細に明かされる「官報複合体」のもたれあい構造は、多くの人に驚きをもって受け止められるだろう。
*
66年前の敗戦後の廃墟のなか、作家・坂ロ安吾はこう書いた。
戦争に負けたから堕(お)ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦(また)堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。(『堕落論』新潮文庫)
みずからを直視し、堕ちることのできない政治はウソである。
みずからの過ちを認め、訂正しながら堕ちることのできない記者クラブは欺瞞(ぎまん)である。
そうした社会制度を打倒しないかぎり、日本の真の再生はありえない。
記者クラブメディアによる腐敗のシステムは、いったん滅ぼさなくてはならない。そのために私は、アンシャン・レジーム(旧体制)とともに堕ちる道を覚悟している。ともに堕ちる覚悟さえあれば、きっと日本は変わるだろう。いや、それ以外にこの国を救う道はない。
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