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許せない「中日新聞」
http://isukeya.iza.ne.jp/blog/entry/2611529/
2012/02/28 16:38 いすけ屋の戯言
(いすけ屋)
例年なら、明日から3月なのだが、今年はオリンピックの年、つまり「うるう年」なので明日まで2月だ。歳をとると、なんか1日寿命が延びたような、得したような気がする。なんとなく幸せな気分だ。
ところが今日の我が家で取ってる「中日新聞」を見て、またまたがっくりとさせられた。中日新聞・東京新聞は朝日新聞以上の左巻き中国隷属マゾ新聞であることは、当ブログでも訴えてきたところであるが、今日の「社説」でその本性を現した。とにかく下記の記事を読んでほしい。
タイトルからして、全く変だ。「河村市長発言 なぜ素直に撤回しない」とは、どこの国の新聞なのか。おそらく、この社説子も最新情報を知らない。20年前の論争を傍観していたのみの知識しか持ち合わせていないだろう。
<南京で虐殺がなかったという研究者はほとんどいない>というのも、その頃の話であり、「ほとんどいない」として、逃げている。戦争だから民間人でも不慮の死はある。しかし、中国兵は南京市内に設けられた安全区域に逃げ込んで、民間人の衣服をはぎ取り、それを着て日本兵から逃れようとした。それが見つかり処刑されている場面を見たという伝聞を、ラーベは日記に書き、ティンパーリは『戦争とは何か』に書いた。
20年前は、二人とも第三国の外国人ということで、日本の研究者もそれぞれ1次資料とみなし、「少なくとも〇〇人の虐殺はあった」とする意見が主流で、従軍慰安婦を否定した秦郁彦の4万人説を中間説として、上は40万から、下は「なかった派」まであり、当時南京には20万人しかいなかったのだから、30万、40万はおかしいという上限数の議論しかなかった。
そのようななか、これらの疑問を完全に氷解させる資科が出てきた。それが、平成15(2003)年に台湾の国民党党史館で発掘された国民党宣伝部の「極機密」文書〔中央宣伝部国際宣伝処工作概要〕(1941年)である。
その内容は、一つは、南京大虐殺の有力な根拠となっているティンパーリ編『戦争とは何か』は、国民党宣伝部が工作して出版した「宣伝本」であったことが明記されていたこと。もう一つは、国民党宣伝部の宣伝工作の対象として南京大虐殺はあげられていなかったことである。
この極機蜜文書のなかの「対敵課工作概況」には、宣伝工作の対象として南京の「強姦、放火、略奪、要するに極悪非道の行為」が記されるのみで、南京の「虐殺」の文字はない。「対敵課工作概況」だけでなく編集課その他の「工作概況」においても、国民党宣伝部の宣伝工作の対象として南京の「虐殺」はあげられてい
なかった。第2次国共合作下の国民党も共産党も、南京で大虐殺が起きたという歴史認識は持ち合わせていなかったと言ってよい。
つまり、南京大虐殺などという事件は、もともとなかったのである。ここまで、知った上で、下記の社説を書くとなると、もうこれは中国の工作員であるしか考えられない。マスコミ界には「左巻き中国隷属マゾ」人間が多い。それにしても、日本の新聞が事実を曲げてでも中国に屈しろというのは、いかがなものか。こういう時に、なんだかんだ行事を中止させるのは中国の常とう手段である。いちいち反応していては、術中にはまるだけだ。向こうが頭を下げてくるまで、シカトするのが、喧嘩の仕方だ。
それにしても、「中日新聞」は許せない。
【社説】河村市長発言 なぜ素直に撤回しない
2012年2月28日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012022802000015.html
名古屋市長は「南京事件はなかった」との発言を撤回せず、訪問団にも非礼ではなかったとの考えを、きのう述べた。率直な議論で「ノドのトゲを抜こう」と主張するが、その土台は一体あるのか。
河村たかし市長は会見で「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という発言が「南京大虐殺はなかったという持論を展開」と報道され、「南京では何もなかった」と誤解されたと釈明した。
市長は「象徴的に三十万人とされるような組織的大虐殺はなかったとの趣旨」と説明。「友好団に面と向かって三十万人の大虐殺と申し上げるのは言葉がいかにも残虐なので、あえていわゆる南京事件と申し上げた」と釈明した。
当初の発言は、市長が南京大虐殺はなかったと公にしたと受け止められる言葉である。報道により南京市民の誤解を招いたというのは、とんでもない責任転嫁だ。
南京で虐殺がなかったという研究者はほとんどいない。日中歴史共同研究の日本側論文も「集団的、個別的な虐殺事件が発生し」と明記する。市長自身「非戦闘員の殺害はあっただろう」と認めており、日中で隔たりがある被害者数を問題にする意図であったのなら、そう明言すべきであった。
市長は共同研究を「学者の個人的見解」と批判するが、国や政治レベルで埋まらぬ歴史認識の溝を、少しでも客観的に埋めようとの知恵であった。中国主張の「三十万人」を市長が真っ向から否定しては、南京市側は率直な議論のテーブルにはつけぬだろう。
敏感な問題でも、政治家が主義主張を掲げるのは結構だ。だが、首長は政治家であるとともに自治体のリーダーでもある。歴史的な米中、日中国交正常化の扉を開いたピンポン外交の舞台である名古屋のトップの公式発言としては不適切だった。日中四十周年の記念すべき年に、友好都市が公の交流を停止し、記念行事や経済活動にも影を落とす。苦しい釈明ではなく、素直に撤回できないものか。
昨年春、南京市の公園で日中の百人以上が友好の桜を植えた。南京出身で十五年以上も名古屋に住む韓金龍さんが中心となり、過去五年で千本余を植えた。韓さんは「手を携えて桜を守り、友情の証しにしたい」と話した。
「公の交流停止」と言う南京市のシグナルを、敏感に受け止めてほしい。民の交流の根は深く、広い。民の交流を支えてこその市長であろう。
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