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平和ボケの産物の大友涼介です。
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上杉隆氏〜「癒着メモ」が暴くマスメディアの正体〜もはや政治記者は官邸の「情報収集係」だ〜(Voice3月号)
<転載開始→
■奇妙な一致
まず、読者の皆さんに聞きたいことがある。特に複数の新聞をとっている人は、次のような疑問を感じたことがなかっただろうか。なぜ日本の新聞は、どれを読んでも内容が同じなんだろう、と。一例を挙げたい。未曾有の大震災が東日本を襲い、福島第一原発事故によって日本中が震撼した二〇一一年三月、当時、内閣特別顧問を務めていた笹森清氏の発言が話題を呼んだ。各社の報道は以下の通りである。
「菅直人首相は16日夕、首相官邸で笹森清内閣特別顧問と会談した。(中略)首相は『がんばる』と述べた上で、『僕はものすごく原子力(分野)は強いんだ』と語ったという」(二〇一一年三月十七日付『朝日新聞』)
「16日、笹森清内閣特別顧問と会談したときには、『もし福島第一原発が本当に最悪の事態になったときは、東日本が潰れるということも想定しなければならない』と訴えた」(三月十八日付『朝日新聞』)
「『本当に最悪の事態になったときには東日本が潰れるということも想定しなければならない。(東電は)危機感が非常に薄い』
菅直人首相は16日夜、首相官邸で会談した笹森清内閣府特別顧問に強い危機感を吐露した」(三月十七日付『毎日新聞』
「首相と16日、首相官邸で会談した笹森清内閣特別顧問によると、首相は『福島原発が最悪の事態になったときには東日本が潰れることも想定しなくてはならないが、(東電は)危機感が非常に薄い。自分は原子力には詳しいので乗り込んだ』と語ったという」(三月十七日付『読売新聞』)
「首相は周辺に『東電には福島第1原発が最悪の事態になったら東日本が潰れる、という危機感が薄い。だから乗り込んだんだ』と力説しているという」(三月十八日付『日本経済新聞』)
この奇妙な一致の背景には、日本の記者クラブメディア、さらには政治・官僚との恐るべき癒着が潜んでいる。しかしそれを説明するにはまず、これらの記事がいったい、どのような手順で書かれたのか、ということから解き明かしていく必要があるだろう。実は、これらの記事は次のようなメモをもとにして、執筆されたものなのだ。
0316夕 笹森清内閣特別顧問@首相官邸/各社/オン
<筆者注=冒頭略>
Q:首相はそれについて問題意識を持っている?
A:★本人「ぼくはものすごく原子力には強いんだ」と。詳しいんだと。辻本さんが「まいっちゃうよねえ」とか言っていたね。ハハハ。
Q:危機感がないようだが?
A:★福島がはねた後、最大の危機の震災の問題、日本の半分はつぶれるんじゃないかと。このままもし、チェルノブイリと同じようなことになったらね。という危機感の中で対応した。ということだから、そういう技術的な面も含めて「★自分は詳しいからものすごい対応をしてきた」と。でも、ここから先、収まりそうになったので、原子力の問題については枝野さんと福山さんのかかわりかたを少し軽減をさせたい、というようなことにつながっていると。
Q:軽減させる、というが、それは首相の言葉?
A:それは少し、荷を軽くすると言ったのかな。原子力ばかり皆さんの前でしゃべっている話じゃないわけだから。
Q:4号機も近付けないようだが
A:炉心に完全防護で入った経験から言うと、10分交代でやる作業になるわけだよ。今もうちょっと短い期間なのかな。一番いいのはわかるところから注入するのがいいんだけど、これが接近できないとなると、とりあえず全体となると(中略)非常にタイトなところを渡っているのは間違いない。
Q:「僕は強いんだ」の発言はどういう文脈で出たのか?
A:★電力事業者の危機感が薄いねと。だから最終的に乗り込んでいって、もっと危機感をもって対応してくれないとという話をした中で・・・
Q:それは首相が話した?
A:そうですよ。自分としては原子力問題については詳しい。まあ、たぶん自分は政府の中で一番知っていると思っているんじゃないか。
Q:政府で一番知っているとはいったのか?
A:それは私の感じ。
Q:東日本が・・・というのも首相が?
A:★仮にだよ、仮に。本当に事故が1から4まであるいは5やら6まで含めてあったら、東日本は危機的な状況になるわな。
Q:首相がいったのか?
A:数字はいっていない。★福1が本当に最悪の事態になったときには東日本がつぶれる、というようなことも想定をしなければならない。そういうことに対する危機感が非常にうすいと。自分はこの問題ついて詳しいので、余計にそういう危機感を持った対応をしてほしいということで電力に乗り込んだと。
Q:そういう心情を吐露されたと?
A:そうそう(以下略)
(了)
これはある新聞社のメモであるが、この新聞に限らず新聞・テレビなど、どの社にも同様のメモが存在する。このようなメモ(誤植などはママとする)は取材現場にいた記者によって作成され、デスクに送られる。それを見ながらデスクが書いたものこそ、冒頭の記事なのである。
そのようなメモを上司であるデスクに上げるとき、現場の記者たちは文中に★印や●印、◎印を付けたり、あるいは太字や斜線にすることがある。単なるベタ起こしであれば、デスクはその速記をすべて読まねばならない。しかし★が打ってあれば、この箇所がポイント、ということが一目瞭然。つまり、この★印はデスクに対する現場の記者のサービスなのだ。そのような★から、冒頭に記したような記事がつくられていく。もう一度読み返していただきたい。★印と全記事の内容が見事に符合している。
■「他者もらい」とは何か
しかし、ここで次の疑問が湧く。そのメモが上がるのは、自らの社のデスクだけではないのか。それがどうしてすべての社で、同じような表現になってしまうのか。
その問いに答えるには、記者クラブメディアの「談合」問題に話を進めなければならない。不思議なことにこの国では、ある特定の業界だけが「談合」することを許されている。本来なら談合を取り締まるはずの官僚組織、そのチェックを行うはずのメディア業界こそがそれだ。
たとえば閣僚クラスの政治家などになると、各社が一人ずつ「番記者」を付けるようになる。番記者たちは四六時中行動を共にするわけで、必然的に記者同士の交流が生まれる。そのうちに「申し訳ないけれど、今日の夜は女房とご飯を食べに行かなきゃいけない。夜回りに出ておいてくれないか。代わりに明日の朝は俺が行くから」と違った社の記者同士が取引を始めるようになるのだ。そして、そのような取引が徐々にシステム化されていく。「じゃあ、今日は○○さんが起こしをお願いね」と言われた記者がまず、取材を聞きながら速記を起こす。次に○○さんは、全社の番記者仲間にその内容をBCCで一斉メール送信する。さらにはその後、「△△さん、ICレコーダーでさっき録音した取材、あとで起こしておいて」という段になる。そこでは取材内容を、一言一句丁寧に起こす。それがまた時間差で、翌日の朝や夕方に番記者全員に届くのである。
そう、これこそがまさに、各社の記事がほぼ同じになってしまう構造の根っこにある「談合」だ。もちろん表現が各社すべて同じになってはマズイので、そこは微妙に使用する部分を摺り合わせたりすることもある。あるいは少しずつ語尾を変える。フォントを変更する、自らの社のフォーマットに落とし込む、とう「工夫」をメモに施す記者もいる。そうすれば、これは自分が仕事したものです、と上司に対して報告できるからだ。
もう少し詳しくみていこう。先のメモの冒頭には、
「0316夕 笹森清内閣特別顧問@首相官邸/各社/オン
という但し書きが添えてあった。「各社」とは文字通り、いろいろな社がそこに来ています。ということだが、筆者の手元にある他のメモに目をやると、
「090120午前8時50分 中曽根外相閣議後会見(他社もらい) 院内」
という「他社もらい」という言葉などもある。この「他社もらい」こそ、メディアの「談合」そのものだ。この「他社もらい」によって引き起こされたのが、二〇一一年九月に起きた鉢呂吉雄経済産業大臣(当時)による「放射能つけちゃうぞ」発言である。実は、あのニュースを真っ先に報じたフジテレビの記者は現場にいなかった。
さらに、他のメモにはこのような但し書きもある。
「0606夜 鳩山代表オフ/福岡/読朝毎産共同道新西日本@」
これは『読売新聞』『朝日新聞』『毎日新聞』『産経新聞』『共同通信』『北海道新聞』『西日本新聞』そして@=NHKがその場所にいましたよ、ということだ。この意味するところは二つ。まず一つには、この場に来ていない、いわば「特オチ」している社がある、ということ。そしてもう一つは逆に、この会社とは情報は共有されていますよ、ということだ。
■海外ではありえない「オフレコ取材」
さらには、実はこのような「談合」はメディア同士に留まるものではない。記者クラブメディアは自らが取材すべき対象、つまり公権力に対しても、れっきとした「談合」を行っているのだ。先ほどご覧いただいた、
「0606夜 鳩山代表オフ/福岡/読朝毎産共同道新西日本@」
という但し書きの中には「オフ」という言葉があった。これはこの懇談が、記事にしないことを前提にした「オフレコ取材」であったことを指す表現だ。取材が行われたのは政権交代前夜の二〇〇九年六月、そこで民主党代表(当時)の鳩山由紀夫氏はこのように語っている。
<筆者注=冒頭略>
A:新人のとき、すごい秘書がついてくれた。○○○○(筆者注=個人名なので伏字)っていう、石原慎太郎の選挙とかやってた人間だが、土日もまったく休むことなく、「私は親が死んでも休みません」っていう、そういう人間だったんだよ、ホントにお世話になったんだけど、当選した翌日クビにした。話すと、自分のことを話しだしちゃうんだよな。本人はその気はなくても、自分のために鳩山の選挙をやってる、みたいなイメージが広まってしまう。で、女房が「私を取るの、秘書を取るの、どっち」と言い出して、今、どうしてるのかねえ・・・。
Q:東工大の助手のころから、政治へ進む気持ちはあったのか
A:半身でしたよね。
Q:で、赤坂に事務所構えたのか
A:いや、田園調布。当時は田園調布に住んでたから、そこに事務所を構えて。(※○○<筆社注=某新聞社、個人が特定されるので伏字>曰く、これは赤坂に置いてたことを認めたがらない態度だ、と)
Q:鳩山さん、社会党系って大っ嫌いでしょ、正直。
A:・・・フフフフ(笑)鉢呂とか?・・・いやいやいや。社会党は民主党作るとき、組織として決定して、まるまる来ちゃったんだよな。横路さんとかなあ・・・。
A:杉村太蔵やめただろう?あれで、(北海道1区)結構いい戦いになるんじゃないかと思うんだよ(笑顔)
Q:どっちを応援してるのか(笑)
A:いやいやいや・・・。
(筆者注=以下略)
このような話はもちろん、「オフレコ」であるからその後、新聞紙上を賑わせることはなかった。しかしそもそもまず、海外メディアでは複数の記者による「オフレコ取材」自体が有り得ない。アメリカでは三十年以上も前に、こうした形でのオフレコ懇談が禁止されている。フランスに至っては遡ること二百年も前から、「このようなことはやめよう」という議論が成されているのだ。いうまでもないが、公人である政治家に匿名性はない。官僚もまた、然りである。
さらには、このような但し書きもある。
「★引用付加★(政府高官)なら可能★ 3月6日夕方/河村建夫官房長官/官邸/各社/オフ」
その意味は、実名の引用は不可だが、「政府高官」としてなら記事化してもよい。ということだ。そこではまずコメントを出した話者が「オンか、オフか」という判断をする。さらにその後、記者たちが「今の話はどこまで出すべきか」という「談合」を行う。最終的には「談合」で決定したことを、幹事社の記者が代表して、取材者と交渉することになる。「長官、先ほどの話ですが、どの程度まで名前を出してもいいでしょうか」「名前は絶対にダメだよ」「部分的には?」「うーん、では、この部分だけはOKだ。他は政府高官と書いてくれよ」。これが権力との「談合」でなくて、いったい何か。
ちなみに二〇一一年に話題を呼んだオフレコ発言といえば、松本龍復興担当大臣(当時)が村井嘉浩宮城県知事と面談した際の「お客さんが来るときは、自分が入ってからお客さんを呼べ、いいか。長幼の序がわかっている(村井知事が所属していた)自衛隊ならそんなこともやるぞ。今の最後の言葉はオフレコです。書いたらもうその社は終わりだから」というコメント、さらには沖縄県名護市辺野古への米軍普天間飛行場の代替施設建設に向け、政府が環境影響評価(アセスメント)の評価書の提出時期を示さない理由について、田中聡沖縄防衛局長(当時)による「(犯す前に)これから犯しますよといいますか」というコメントを覚えておられる方も多いだろう。
実をいうと、松本氏の発言を最初に報じたのは東北放送、田中沖縄防衛局長の場合は、『琉球新報』であった。つまり、記者クラブのメインストリームではないローカルメディアがオフレコ感覚がわからず第一報を流したものを、仕方なしに大手メディアが追随し、「こんなことが許されるのか!」と言ったのである。
■四十万枚の「癒着メモ」
しかし、メディアと政治の「談合」は、その程度では収まらない。否、それはもはや「談合」と呼べるものですらなく、金銭の授受を伴う「癒着」そのものだ。
先ほど、現場の記者が上げたメモがデスクの手元に日々、届いていると述べた。実はそのようなメモは、社内でデスクの上司、つまり政治副部長、政治部長、編集局長、あるいは編集委員や論説委員、解説委員にまで上げられていく。社としての情報共有が、その名分である。つまり、そのようなメモを見られる人間が、新聞、テレビ全社を合わせれば何十人規模でいる。
そして恐ろしいことに、なかにはそのメモを政府側に「売ってしまう」人がいるのだ。かつてある通信社は、それを社ぐるみで堂々とやっていた。国会近くにつくられたある会館の一室に、記者たちが上げたメモが夜な夜な集まる。驚くべきことに、そこに内閣官房の役人などが来て、自由に閲覧できるようになっていたのである。それに対する謝礼として、ひと月に数百万円程度が官房機密費から拠出されていたという証言も得ている。もちろん官房機密費は国民の税金だが、そのお金がメディアの幹部やデスクの「お小遣い」になっていたのだ。
たとえば内閣情報調査室にしろ、公安調査庁にしろ、そのような情報収集をする人間だけで、官僚機構は何十人もスタッフを抱えている。そのような役人がさまざまなメディアの記者から情報を集め、それを自らの上司に上げる。そうすることで、そのようなメモは官邸中枢まで即日のうちに届くのである。
かつて『週刊ポスト』で官房機密費問題を追及した際、自民党政権時代の官邸関係者は筆者にこう語った。
「官邸は機密費で各新聞社の幹部からメモを買っていました。メモを集約するのは毎日の日課だった。月一回くらい、情報の対価として機密費から百万円程度を支払っていた」
実はこの膨大な量に上る各社のメモが、極めて希少なソースを通じて、筆者の元には十年以上、ほぼ毎日、送られ続けている。先ほどからいくつか引用しているメモは、その極一部だ。記者たちが懸命に作り上げたメモは、二十四時間以内にデータとして筆者に届く。その数、A4判用紙にして日に平均百枚以上。ジャーナリスト生活十二年の間で、少なく見積もっても四十万枚ものメモを筆者は保管していることになる。当然だが筆者自身はこの中身について、商売のネタにしよう、とは微塵も考えたことはない。
もちろん現場の記者は、自分たちが上げたメモがそのように使われている、とは寝耳に水だろう。政治家の一部にも、そのような資料があることは認識されているかもしれないが、まさかそれが官僚機構によって集約されているとは、夢にも思わないのではないか。
では、そのような情報を得た官邸中枢はいったい、どのようにそのメモを活用しているのだろうか。まずは、政権にとって都合の悪い発言をしている政治家への対応を考えることができる。このメモがあれば、たとえば世論を二分している消費増税やTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)などの問題について、どの議員がどのような立場にいるか、瞬時に判断できる。あるいは、ある政治家が問題を起こしたとして、それにどう対応するのだろう、ということなどもリアルタイムで把握ができる。たとえば松本元大臣については、このようなメモが筆者の手元にある。
0704/松本龍/オフ発言
※議員会館では顔見知りの議員を見つけては声を掛けて握手。平静を装ってるようにも・・・。
16時20分ごろ
【東順治部屋に15分ほど滞在した後、議員会館、さし】
A:昔から相談している。同期だし、同じ九州だし。愚痴を言ってきた。
17時15分ごろ
【議員会館の自室を出た後、+1社】
Q:これからの予定は。
A:お世話になった参院の先生と夕食会。4人ほどかな。
Q:帰りは。
A:遅くないよ。
A:普通に生き、普通に話してきた男がこんなことに巻き込まれて・・・。明日には(騒動は)おさまるよ(前向きな男)
Q:昼間官邸に来ていたが。
A:お世話になった人(自衛隊 警察関係者と思われる)に明太子を渡しにいった。
それがオン取材では、このようなメモになる
0704午後/松本龍/オンぶら/三会堂ビルの屋上/各社
<筆者注=冒頭略>
Q:今回の発言について総理や長官に報告はしたか?
A:★全くありません。電話もありません。
Q:官邸を出る際のぶら下がりで「問題はない」と話したと思うが。
A:例えば博多の人間やけんですね、語気が荒かったりしたとは思う。ですけど、相手が知事ですから、私は、例えば市町村、被災者との話でこういうことは申し上げませんし、真剣にコンセンサスを得ていただきたい、様々なことで住民合意をしていただきたいということを申し上げたということに尽きます。
Q:今回の発言で被災者の気持ちを傷つけたとは思うか。
A:★結果的にそういうことであればお詫びを申し上げなければならないと思います。
<筆者注=中略>
Q:就任以来、お詫びという形になるのはわずかな時間の中で2回目になると思うが、自身の言葉について、重みとかをどういうふうに思っているか。
A:少し私はちょっと★B型で短絡的なところがあって、さっき女房からも電話がありましたし、反省しなければならないと思っています。
Q:野党からは辞任や更迭という声も出ているが、どう思うか。
A:いや、★このまままっすぐ前を向いて復興にあたっていきます。
<筆者注=以下略>
いかにオフ発言で政治家が無造作に本音を語っているか、それがこの対比からもよくわかるだろう。このような何気ない言動の一つ一つが官邸中枢にはすべて、筒抜けになっているのだ。
さらに「政治家対策」と同じくこのメモは、最高の「メディア対策」にもなる。これをみればこの社の記者がこういう方針で取材をしている、ということが一気に把握できるからだ。たとえば「増税」を行いたいと考える政権があったとき、「減税」にこだわるメディアに対し、「そんなことを言っていいのか」と言える。それに対し、メディアは何も言えない。『東京新聞』の長谷川幸洋論説副主幹は、記者クラブが権力の「ポチ」になっていると、論じるが、まさに同感である。
さらにはそのような情報について、官邸中枢はその一部を評論家やコメンテーターなどに逆流させる。そして争点となっているような事項について、テレビ番組などでコメントさせるのだ。さまざまなかたちをとりながら、そうやって政府は世論を操作していく。この捏造を簡潔にまとめるなら、全国にいる何千という政治部記者がみな、官邸の情報収集係をやっている、といえるだろう。
絶対に外してはならないポイントは、この記者クラブ制度とは、メディア、権力双方にとってメリットのある仕組み、ということである。権力の側はそうやって、新聞やテレビを使って世論捜査を仕掛けていく。統治という観点でみれば、これほど見事な仕組みはない。一方で、メディア側のメリットとしては、まず「価格を固定することで競争を抑え、新規参入を難しくする」という再販制度を維持できる。さらにはそこに、先に述べた官房機密費による「利権」が絡んでいたのである。
■戦いは終わらない
このような「ウソ」に塗り固められた記者クラブの限界が露呈したのが、福島第一原発事故をめぐる偽装報道の数々であった。政府や東電の会見で、事故について何も追及できない記者クラブの無能ぶり、インターネット動画を通じてリアルに流される記者会見の様子と、その後に上がってくる記事のあまりの落差が、国民の目に明らかになったのだ。それはまた、筆者に彼らと同じ狢と思われたくない、とジャーナリスト休業を考えさせる十分な理由でもあった。
そして今、このメモの公開によって、記者クラブの「終わりの始まり」の号砲がなった。もちろん、それは記者や政治家の個人攻撃を目的とするものではない。あくまで日本のメディアシステムの不健全さを表す象徴的な存在として、国民にその是非を問うものなのだ。当然ながら、これは国家の中枢を揺るがす問題であり、自分の身に何らかの事が起こった場合、仮に事件・事故に巻き込まれたときには死因・逮捕要件に関わらず、四十万枚のメモを世の中に出して欲しい、という手筈を整えてある。すでに信頼している各メディア、各記者に分散し、保管してもらうことをお願いしてあるのだ。
「ウソ」まみれの「官報複合体」を崩壊させ、日本に真の意味で健全な言論空間を構築する。ジャーナリストを休業しても、その日まで筆者の戦いは終わらない。
←転載終了>
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