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「自由報道協会賞」の「辞退」について
自由報道協会が「自由報道協会賞」というアワードを設け、私が編者になった「@Fukushima 私たちの望むものは」が同賞の中の部門賞「3・11賞」に他薦でノミネートされた。このような地味な書籍に着目してもらい、本当にありがたく、光栄でもある。
しかし、きょう午前零時に公表された(本当はもっと早くにも公表されていたようだが、いったんサイトが閉鎖されていたらしい)賞のノミネート一覧をみて少々驚いた。この賞がこういう形になっていること、「記者会見賞」があり、そこで小沢一郎氏の受賞がすでに決定していたことに驚いた。そこで、賞自体の考え方等に大きな疑問があるということで、昨晩(というか本日25日)午前零時50分ごろ、下記メールを同協会に送り、賞の辞退をお願いさせてもらった。以下、送付したメールのエッセンスを記しておく。
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この度、「自由報道協会賞」の「3・11賞」に私が編者となった書物がノミネートをいただきました。地味な本に着目いただいたことに深く感謝しています。また昨日夕、協会事務局のインターンの方にノミネートされたとの連絡を受け、その後、27日夜の授賞式に出席も了解しました。
ところで昨日の連絡まで、私は賞のことも知らず、どのような部門にどんな作品がノミネートされているのかも知りませんでした。今夜零時すぎ、協会のHPで候補の一覧を初めて拝見しました。その中で記者会見賞の部門があり、小沢一郎氏の受賞がすでに決定されていることに強い違和感を感じました。
この賞は報道する側の諸活動が対象になるものだとばかり思い込んでいました。小沢氏の政治姿勢や小沢氏の事件に関する検察の姿勢などに関係なく、報道する側へのアワードと一緒に、通常は報道される側の権力者が並び立つことに強い違和感を感じております。
従いまして、今回のノミネートは辞退させていただきたく思います。27日の出席も遠慮させていただきたいと思います。ノミネートはいわゆる他薦であるため、「辞退」という形があるのかどうかは不明ですが、可能であれば、候補作から削除をいただければと思います。ご理解をいただきたく、どうぞよろしくお願い申し上げます。このような活動を続けておられる皆様方には改めて敬意を表します。
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なお、改めて言うまでもないことだが、この「辞退」は自由報道協会の活動全てに対する否定ではない。私自身、記者クラブ問題等に関し、同協会での会見で登壇者になったことがある。現在の記者クラブのシステムに問題が多々あることはこのブログでも古くから唱えてきた通りである。より多くの情報をより多くの市民に少しでも多く提供すべき、という基本的な考え方そのものに異論はない。実際の活動詳細は知らないし、外部から見ていると、疑問符が付く活動もある。しかし、それは「記者クラブを開放すべし」という奔流の中では、避けて通ることがでない軋轢、寄り道の類であろうと感じていた。
ただし、今回のアワードへの「ノミネート」は自分に直接かかわることなので、上記の見解を事務局に発信した次第である。この種の賞を設けること自体には反対しない。ノミネートされたこと自体は正直、うれしかった。投票の方法に若干の疑問も感じたが、新しい時代の賞にはこういう手法もアリかもしれない。
しかしながら、この種の賞は「報道する側」のみを対象にするものだと思う。まして、私は新聞記者時代から権力監視型の調査報道も手掛けてきた。その考えからすれば、いや、「調査報道」といった形からではなく、報道一般の考えからしても、「報道される側」、とくに権力の象徴でもある与党有力者を表彰する賞に並び立つことはできない。
これは小沢氏の政治姿勢そのもの、および、小沢氏の事件をめぐる報道の異常さ、検察のおかしさ等とは全く別次元の話だ。賞の別部門には、これも政治家の原口一博氏がノミネートされてもいる。それも違和感を増長させた。
「@Fukushima」のノミネートは他薦だったから、候補作からの「辞退」という形があり得るのかどうか分からないが、「辞退」を申し出た経緯と考え方は、上述の通りである。
繰り返すが、「@Fukushima」自体に着目してもらったことは感謝している。あんな地味な本をどうやって広めようかと、本を編んだ私自身も頭をひねっていたところだ。ただ、あの本に登場する60余人の方々も、私のこの考えには理解を示してもらえると思う。
自由報道協会の今回の賞は、大賞が「日隅一雄賞」である。日隅さんの、体の底からの、力を振り絞っての活動には、心から尊敬の念を抱いている。あのような活動を続けることが、果たして私だったら可能だろうか、と時折自問する。日隅さんに限らず、地道で、しかし、地を這うような執念を見せながら、権力の厚い壁を突き破ろうとしている種々の報道は(既存メディアか新興メディか等に関係なく)、この日本の片隅の至る所で繰り広げれている。そうした活動に日が当たることを心から願っている。
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