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劣化するマスコミ、「失言」報道はナンセンスだ
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20111201/292294/?rt=nocnt
2011年12月02日 日経BPnet
一川保夫防衛相は11月29日、不適切な発言をした田中聡沖縄防衛局長を更迭した。30日付の各紙朝刊を読むと、どの新聞も「更迭は当然だ」という論調で報じていた。
田中前局長の発言は悪趣味の極み。だが……
田中氏の発言は28日夜、沖縄で開いた新聞記者やテレビ局の報道記者との「オフ懇」(オフレコ懇談、非公式懇談会)の場で飛び出した。
米軍普天間基地の移設に必要な環境影響評価(アセスメント)の評価書を沖縄県に12月中に提出するかどうかを記者に聞かれ、田中氏は「犯す前にこれから犯しますよ、とは言わない」と答えたというのである。
この発言を報道したのは琉球新報のみ。オフ懇の場では記者は黙って発言を聞き、翌日の新聞に記事を書いた。すると、「発言はとんでもない」と大騒ぎなり、大手各社が後追いしたのである。オフ懇には9社が参加していたという。
田中氏の発言は、悪趣味の極みだ。相当下品である。その点で田中氏を擁護するつもりはまったくない。
しかし、これはオフ懇での発言である。公式には話せない内容を本音でしゃべり、記者にその背景や前提などを知ってもらうのがオフ懇の主旨である。
発言に異論があるのなら、記者はその場で論争せよ
私は信頼する新聞記者何人かに話を聞いてみたが、「新聞記者であるならば、オフレコは守らなければならない。もし内容に問題があるのなら、その場ですぐに論争すべきだ」と言っていた。
記者が黙って聞き、翌日の新聞にドンとその発言を出す。これは完全にルール違反である。
発言が重大問題であり、報道すべき内容だと判断したのなら、記者はその場で相手にそう言うべきである。そして相手が記者の言い分に対して「いや、これはこういう意味だ」と答えたのなら、それを含めて報道すべきである。
オフ懇での発言を「よし、もらった」とばかりに新聞に書き立てるなど、まさにルール違反。足をすくうどころか、だましているようなものだ。
今年9月、野田内閣の発足から9日で経済産業相を辞任した鉢呂吉雄氏の失言問題の頃から、マスコミはおかしいぞと私は思っていた。
マスコミの質が低下していると思う理由
あの問題は次のような経緯から生まれた。
鉢呂経産相が原発被災地を視察した感想を聞かれ、「残念ながら、周辺の町村の市街地は人っ子一人いない、まさに死の町という形でした」と答えた。この「死の町」が不適切だと新聞やテレビで叩かれ、さらに別の場で鉢呂氏を取り囲んだ記者に「放射能をつけちゃうぞ」と発言したことまで大きく報じられたのである。
鉢呂氏に防災服の袖をこすりつけられるような仕草をされた記者は冗談だと思って記事にしなかったが、その場にはいなく、又聞きしたテレビ局がオンエアして大騒ぎになり、各紙が翌日に後追いしたのだった。
このように「してやったり」とほくそえむようなマスコミの質を私は問いたい。こんなことを繰り返していては、「言葉の魔女狩り」をやっているようなものだ。政治家や官僚たちは「何か言ったら大騒ぎになるかもしれない」と警戒し、本音を語らなくなってしまう。オフ懇など誰も開かなくなるだろう。
マスコミの質が下がっていると感じることは他にもある。オフ懇などで聞いた話を週刊誌に売る記者がいるのだ。「オフレコの場で聞いた内容は新聞には書けない、だから週刊誌に売ろう」というケースが結構ある。一体いつから記者の倫理感が失われたのだろうか。
暴力団と写真を撮ってはいけないのか?
一連の問題を見ていて、「日本のマスコミは危ない」と私は危惧する。それを正面から言う人も少ない。「大変だ」と大騒ぎしているのが最も安全で、「ナンセンス」と批判すると自分の身が危ない。だから誰も何も言わなくなるのである。
11月26日深夜の「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)で「激論!暴力団排除条例と社会の安全」というテーマの討論をした。暴力団排除条例に批判的な人物も賛成の人物もパネリストとして招き、議論した。このテーマを取り上げるマスコミは他にない。
島田紳助さんが今年8月に芸能界引退の記者会見を行ったが、なぜ彼は引退しなければなかったのか。ある週刊誌が、彼が暴力団幹部と一緒にいるところを撮った写真を発表するのを恐れたからだろうか。
私自身、暴力団員と一緒に並んだ写真は20〜30枚ある。なぜなら、取材したときに写真を撮っているからだ。
取材をすれば一緒に食事することもある。相手のことをとことん聞くために、お茶を飲みながら時間をかけて取材することもある。暴力団と写真を撮ってはいけないのか? 一緒に食事をしてはならないのか?
暴力団排除条例について、なぜ議論しないのか
今、暴力団に所属している人はアパートが借りられないらしい。ホテルも暴力団関係者は宿泊することができないことがある。暴力団がタクシーに乗ろうとすると運転手は拒否する。弁護士ですら、暴力団の弁護から逃げ腰になる……。
暴力団が飲食店などから「みかじめ料」と呼ぶ一種の用心棒代をとっていたが、今は違法とされている。警察が「そんなことは暴力団に頼まずに警察に頼め」と言ったところで、もし何かあったときに警察は本当に助けてくれるのだろうか……。こうしたことを「朝まで生テレビ」で話し合った。
私は、暴力団がのさばる社会はよくないと思うし、暴力団を弁護する気はない。
しかし、暴力団排除条例について議論がないのはおかしいと考える。警察も、暴力団員を更生させる努力をしないまま、またその議論もしないまま、ただ「排除」するというのはおかしくないか。
暴力団との「付き合い」や「関係」とは何なのか。テレビ業界は「暴力団と関係のあるタレントやタレント事務所は使うな」としているようだが、どういった「関係」なら悪いのか、その線引きはとても曖昧である。
本質を議論できない社会になるのが怖い
新聞やテレビは問題の本質を論じるべきなのに、まったく論じない。枝葉末節なことばかりを取り立てて、大騒ぎをする。
ひどいと感じるのは、週刊誌がタレントの実名を出して、「誰それは暴力団の結婚式に出席した」などと書き立てることだ。それでいて暴力団排除条例についての議論はいっさいしないのである。これこそマスコミの質が落ちたと思う瞬間である。
こうしたマスコミの姿勢はきわめて不健全である、と言わざるを得ない。
最も怖いのは、本質的なことが議論されない社会に次第に傾いていくことである。
田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年滋賀県生まれ。早大文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経て、フリーランスのジャーナリストとして独立。1987年から「朝まで生テレビ!」、1989年からスタートした「サンデープロジェクト」のキャスターを務める。新しいスタイルのテレビ・ジャーナリズムを作りあげたとして、1998年、ギャラクシー35周年記念賞(城戸賞)を受賞。また、オピニオン誌「オフレコ!」を責任編集。2002年4月に母校・早稲田大学で「大隈塾」を開講。塾頭として未来のリーダーを育てるべく、学生たちの指導にあたっている。著作に『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか』(PHP研究所)、『原子力戦争』(ちくま文庫)、『ドキュメント東京電力』(文春文庫)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)など多数。
Twitterのアカウント: @namatahara
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