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獄中の堀江貴文氏からの手紙
http://diamond.jp/articles/-/14995
2011年11月24日 週刊 上杉 隆 :ダイヤモンド・オンライン
■堀江氏が日本のメディアと社会に与えた影響
当然ながら刑務所での生活は厳しい。さまざまな制約があり、文字通り、刑に服する期間となっている。
ライブドア事件で有罪判決を受けた堀江貴文氏は長野の刑務所に服役している。面会は制限され、手紙のやり取りも自由とはならない。
夏の終わりは水虫に悩んでいたようだが、その後は痔で苦しみ、腎臓結石の手術も受けたという。
詳細は堀江氏のメルマガなどに詳しいが、その有料メディアの性質からも、ここでそれ以上の言及は控える。
その堀江氏から手紙が届いた。内容は筆者との共著などの感想であるが、外部への発信の制限を考えれば、決して無駄にはできない。
その内容を紹介しながら、改めて、堀江貴文という人物が日本の社会、とりわけメディア界にいかなる影響を与えたのか、考察してみたい。
〈上杉さんへ
『だからテレビに嫌われる』いよいよ出ましたね。いつ出るんだろうと思っていたら、早々に重版。ありがたいかぎりです。ちなみに新聞広告は見ていたのですが、担当編集の苗字は知っていたのですが下の名前がわからず2週間近く手元に書籍が入らなかったです。内容は星5つ! アグレッシブにテレビ業界の闇に切りこんでいるから、みなさん読んでみてください!
最近は寂しいからか、シャバにいるときはほとんどテレビを観なかったのに、中では毎日のように見たりしてますけどね。「ビフォーアフター」が好きですね。「トップランナー」も面白いです。あとはローカルニュース番組とか。
でも、既存メディアの情報だけを入れた後に、スタッフからネット上の情報を貰うと、わかってはいたけど「そこまでか!」というくらい情報の乖離に驚きます。新聞でも「小沢会見がネット番組で行われた」とか書かれているだけで、サイト名やURLが書かれていないから、お年寄りとかはニュースソースに辿りつけないだろうなと。雑誌とかはまだマシなんですけどね〉
時間がもったいないから、地上波テレビを観なくなったと語っていた堀江氏だが、さすがに娯楽の少ない刑務所の中ではそうも言っていられないのだろう。
だが、裏返せば、刑務所に入らなければ、堀江氏がテレビを観ることもなかったといえる。“メディア界の風雲児”とも呼ばれ、時代の先頭を切っていた彼が、自由を奪われた際にようやく辿り着いたのが「テレビ」であるとはなんという皮肉な結果だろう。
換言すれば、テレビ自らが“刑務所の娯楽”という安全の中に埋没してしまった観がある。それはメディアとしての停滞に他ならないし、成長を放棄したことを宣言したようなものである。
■もし堀江氏が放送局のM&Aに成功していたら
堀江氏が、経営破たんしたライブドアを買い取ったのが2002年、わずかその2年後の2004年には、大阪近鉄バファローズの球団買収に踏み出している。
楽天、DeNAなどが球団買収を成功させている今日を考えれば、堀江氏の時代の先を見据えるその感性には改めて驚くばかりだ。
そして、球団買収に失敗すると、今度は一転、東北地方への球団設立を計画し、「仙台ライブドアフェニックス」として新規参入を計った。だが、先の楽天に審査で敗れて自らの球団を持つという夢は阻まれた。
翌2005年、いよいよ堀江氏は放送局の買収に乗り出した。これが堀江氏にとっての躓きの一歩となったかのようにみえる。だが、現在の放送と通信の関係をみれば、逆に日本のメディア界にとってこそ、この買収劇は大きな“転倒”だったと言えはしまいか。
自由主義社会では当然の権利である株の売買による企業買収だが、当時の日本、とくに放送局が相手となると、それは事実上認められていなかったのだ。
ニッポン放送株の40.1%を取得し最大株主になると、子会社のフジテレビから出入り禁止を喰らって、レギュラー番組『平成教育2005予備校』を降板させられた。
これ以降、本来は放送業界の救世主であるはずの堀江氏が「テレビの敵」となるのは残念でならない。
仮に当時、堀江氏が放送局買収に成功していれば、いまだに政府で論議されている「放送と通信の融合」は一気に進み、日本はこの分野において世界のトップランナーになっていたことも考えられる。もちろん、フジテレビは放送通信分野で圧倒的なアドバンテージを得て、少なくとも日本ではその業界のトップの地位にいただろう。またそうなれば、ニコニコ動画や自由報道協会も存在すらしなかったかもしれない。
なにしろ、堀江氏の扱われ方が示すように、当時の通信業界はまだ弱かったのだ。先行の既得権組の放送業界に排除され、粗悪で信用のならないメディアとして圧倒的なマイナーの地位に押し込まれていたのである。
■未だ頑なにドアを閉ざす日本の放送業界
ところが、世界では事情が違っていた。2005年当時には、グーグル、ユーチューブなどが全米を席巻し始め、通信時代、あるいは放送通信の融合という時代がすでに到来していることを告げた。
2006年にはフェイスブック、ツイッターが誕生し、さらに加速度的にメディア環境は変わる。そして2008年の米大統領選までにはCNN/YouTube.comが象徴的なように放送と通信の融合が完了してしまうのであった。
一方で、日本の放送業界だけが相も変わらず、不毛な戦いを続けていた。旧態依然としたシステムに守られたテレビが自らの利権を守るためにメディア改革を妨げていたのだ。
現在、通信業界が放送業界との融合を妨げた事例はひとつもない。ニコニコ動画がフジテレビやNHKと手を結び、自由報道協会がすべての放送局に場を開放している一方で、放送業界はそのドアを閉じ続けている。
そのドアは錆び始め、SNSが元で中東で革命が起こり、米国でネットを連帯の要としたoccupy運動が広がっているにもかかわらず、いまだ自ら無意味な対立構造を煽っている。
その息苦しい世界に耐えられず新時代の言論人たちは、次々と自らのメディアを立ち上げようとしている。
■あまりにも惜しい堀江氏2年間の不在
東裕紀氏は2010年に『思想地図β』を発刊させ、津田大介氏も来年(2012年)にも新しいメディアを立ち上げようとしている。また、すでに西村博之氏が「2ちゃんねる」を、またドワンゴの川上量生氏がニコニコ動画の提供を行っている。
現在、全員40代前後のメディア革命児たちだが、この列に同じ年代の旗手・堀江氏がいたらどうだったのだろうか。
彼が、塀の中にいる2年間は日本の言論空間にとって大きな損失である。
〈『放課後ゴルフ倶楽部』も読みましたよ。上杉さん、ゴルフいいですね……。ということで、書評を書いてみました。
刑務所の中にも熱烈なファンを持つ上杉隆氏初のゴルフ本。なんと、ゴルフ本は私の『ホリエモンの目覚めた……』より後発。ゴルフジャーナリスト(笑)なのに。
初対面のとき(『週刊SPA!』でのゲリラ的連載。親会社フジテレビ日枝氏の逆鱗にふれ4回で打ち切りに)、マスターズのお土産をくれたり、一緒にラウンドすると、ひたすらセベ・バレステロスなど海外著名ゴルファーのモノマネをしながら80台でコンスタントに回る上杉氏がなぜそうなったかの秘密がわかる本である。
ちなみに本書中に登場する「第1回東京脱力新聞杯」にも私は参加している。(二日酔いでフラフラになった挙句、同組のゴルダイ大川氏には迷惑をおかけしてしまったが!!)上杉氏の中学時代の悪友たち(本書にも登場)も参加されていた。
こんな感じです。上杉さんも、そろそろ面会に来てください。痩せた姿をお見せできますよ。
堀江貴文〉
日本では「カネの亡者」というレッテルを貼られている堀江氏だが、実際はこの通り、単に楽しいことが大好きなひとりの日本人に過ぎない。
ただ、メディア界における彼の存在はカリスマ性を帯びている。前出の4人の革命児の誰に聞いても、堀江氏の存在は特別な言葉を持って語られる。
いま日本の放送業界は最大のピンチを迎えている。とりわけ、3・11以降はその信頼性が大きく揺らいでいることもあり、先が見渡せないでいる。
こういう時こそメディア界の誘導灯である堀江氏がいれば――。そう思うのは筆者だけではあるまい。
堀江貴文という人物を塀の中に閉じ込めなければならなかった現在の日本社会は、自らの成長を自ら封じ込めているのではないだろうか。
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