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不屈のジャーナリスト魂 松浦総三氏を偲ぶ/橋本進
「しんぶん赤旗」 2011.09.26 日刊紙 13面 文化欄
批判精神(とくに権力への)の持ち主であることが、ジャーナリズムの基本的資質として求められる。その意味では松浦総三氏は骨の髄からのジャーナリストであった。1946年、再出発したばかりの改造社(44年、東条内閣によって廃業 - 横浜事件)に入社。48年末、米占領軍による編集者解雇事件に遭遇した。初期レッドパージである。米軍による沖縄送り(軍事裁判 → 重労働)と特高(特別高等警察)の拷問とどちらがこわいか≠ニ自問しながら、松浦さんたちはGHQ権力とたたかった。現在の日本の対米軍事経済従属体制の基礎づくりとして、占領軍は厳重な言論報道統制(検閲)と進歩的編集者の排除を行った(改造社のほか日本評論社で、48年、50年等)。55年の改造社閉鎖にいたる事件(このときも大闘争になった)の後、フリージャーナリストになった松浦さんの最初の著書は、『占領下の言論弾圧』であった。吉野源三郎氏らが共感をこめて激賞した名著である。
太平洋戦直前、41年春、松浦氏は特高の取り調べをうけた。その体験から天皇制権力の正体を知った氏は、戦前、戦後の天皇制の役割とそれを増幅する「御用ジャーナリズム」を右翼の脅しにも動ぜず鋭く分析、批判した(『天皇とマスコミ』)。天皇制ファシズムがもたらした戦争の惨禍は、現在、未来の平和のために、永遠に記憶せねばならぬ。
1970年、家永三郎、早乙女勝元氏らと「東京空襲を記録する会」を結成。美濃部都政の後援を受け(石原都政では想像もできぬ)、71、72、74年と渡米調査、『米戦略爆撃調査団報告書』等によって、東京大空襲のメカニズムと全容を明らかにし、『東京大空襲・戦災誌』全5巻(各巻A5判1千ページ)を完成させた。
占領軍押収文書の探索で、ぼう大な内務省警保局文書に接した。国内では入手できない文書である。一部をコピーして持ち帰り、『昭和特高弾圧史』全8巻(明石博隆氏と共著)を刊行した。治安維持法による人民弾圧の実相を知るための貴重な記録である。
マスコミには権力の広報機関となる危険な側面がある。福島原発の大惨禍を招いた「原発安全神話」キャンペーンがそれだ。松浦さんは「(政府・財界の)お先棒担ぎジャーナリズム」、御用ジャーナリストを批判してやまなかった。幾編もの論評が残されている。
81年、全国革新懇の代表世話人、90年に顧問となり、日本の革新運動に貢献した。松浦さんのホンモノのジャーナリズム魂と行動は、私たちやさらなる後輩世代が生き生きと継承していくべき手本である。
2011年7月6日没。96歳。
(はしもと・すすむ 元『中央公論』次長)
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