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「大本営発表」を続けるマスメディアの大罪
http://news.livedoor.com/article/detail/5788523/?p=1
2011年08月17日07時00分 BLOGOS編集部
ジャーナリスト関連4団体・公開討論会「いまメディアと市民はどう動くべきか」
ジャーナリスト関連4団体による、公開討論会が行われた。福島第一原発事故後、東電・政府による情報隠しや、大スポンサーの東京電力批判、原子力批判がタブーになっていた大手メディアの問題が明らかになったのは記憶に新しい。既存メディアの抱える問題点とは何か、そして市民が正しい情報を得るためにはどうしたらいいのか、今改めて考えたい。【取材・構成・撮影 田野幸伸(BLOGOS編集部)】
■出演者
日隅一雄氏
元産経新聞記者・弁護士、「News for the People in Japan」編集長
高田昌幸氏(会見開放を求める会)
今年6月で北海道新聞を退社、過去に北海道警察の裏金問題を暴いた。
上杉隆氏(自由報道協会 代表)
衆議院議員秘書、ニューヨークタイムズ記者などを経て独立。
森広泰平氏(アジア記者クラブ 事務局長)
世界中のジャーナリストをつないで、発信している。
■問題提起
日隅:5月末にガンで入院しまして、今日こういう会を設けていただいてありがとうございます。ただ、私の退院記念というより、高田さんの北海道新聞退社記念のほうがメインじゃないかなと思っています(笑)
今回「マスメディアと市民」についてお話しますが、震災・原発事故で多くの方が被害に遭われて、マスメディアがいかに事実をきちんと伝えないものかが分かったと思います。マスメディアのありかたが、これほどのものだとは思わなかったと。新聞テレビの流す情報だけでは不十分だと。
もし皆さんが、事故直後、新聞社なり、テレビの編集の責任者だったとして、自分の部下にどういう指示を出すか、考えてもらいたい。それを考えることで、事実何を伝えなかったかという事がわかるんです。
これは、一番読者・視聴者が関心のあることを伝える、という事なんですね。一番関心のあること、それは、自分が被曝するかどうかということ。特に周辺住民は。自分が被曝するかどうか、この1点に尽きるんだと思うんです。もちろん、「たいした事は無いよ」「たいした事故じゃないよ」とは当初から言われたし、爆発した後でさえ、「安全だ安全だ」と言われていた。安全だと思い込まされた人は考えなかっただろうが、普通の人は、被爆の事を考えただろう。
少なくともマスメディアの内部の人は、「何キロ圏内に近づくな」とか「支局から逃げろ」とか言われているんですね。自分達は被曝するんだという意識があったはずなんですよ。私がもし担当編集者だとしたら、秋葉原でガイガーカウンターを沢山買って、みんなに持たせて、それぞれの地域での線量を上げて来いと、それをすぐに紙面なりニュースに反映させて流すと、これをやったと思うんです。これをやれば、政府も情報を出さざるを得なくなる。情報を持っていて流さなかったんだから。(数値は)一方的に流していいんです。参考値なんですと。(カウンターの性能がよくなくても)前の日と比べて上がった下がったは分かるんです。これをやらなかったという1点だけでも、マスメディアが事実をを伝えなかったということが分かると思うんです。
■海外にだけ放射能情報を提供する気象庁
日隅:今になって、「安全だ安全だ」と言っていたことが、安全じゃなかったことが明らかになって、マスメディアに対する不信感を持ったと思うんですが、評価ではなく、事実すら伝えなかった、という事です。最初に放射線量が公表されたのは、文部科学省が、各地自治体の集めている数値を集めて発表しました。データを集めているという情報が出たので、私はすぐ文部科学省に電話して、集めたデータは公表するんですかと訪ねた。「すぐ出します」と言っていたが、出てきたのは2日後で、一番重要な14日の3号機爆発直後のデータは出てこなかった。
気象庁は3月11日直後から、放射線物質がどう拡散するかをスーパーコンピューターで計算して、各国にデータを出していた。各国はそのデータで拡散地図を作って、ネットにアップしていた。しかし、日本国民には知らされなかった。
そういう状況の中で、市民が求めているのは、そのデータだったんです。拡散予測もそうですが、各地がどうなっているのか。調べて伝えることが出来たんです。でも、それをやらなかった。そういうメディアだということをきちんと確認した上で、これから新聞をどうするかという事です。
気づいた以上は、それを変えなければいけない。どうすれば変わるのか、考えなければいけない。この機を逃せば、何十年にわたって、変化の機会は来ないと思います。民主主義が日本に根付くかどうか、決定的なチャンスなんです。チャンスという言い方は、被害に遭われた方に大変申し訳ないのですが、これを逃してはいけないと思うんです。
一つは、行動を取って欲しいということです。変えたい人にどう伝えるのか、どう動かすのかを考えなければいけないのです。
■メディアの保守化・官僚化
高田:6月末で北海道新聞を退社しました。25年ちょっと勤めました。自由の身になって1ヶ月程度、毎日楽しいです(笑)
実は、負い目みたいなものがありまして、震災後、現地取材に直接タッチしてません。スポーツ担当デスクをやっていたので、直接取材をしていないことが個人としては後ろめたい。なぜメディアが事実を伝えないのか、本当の事を言わないのかと批判が高まっている。ちょっと違うなと思う事もありますが、大きな流れとしてはまさにその通りだと思います。
それはなぜか、簡単に言えば、組織が保守化、官僚化してしてしまっている。日々の現場で何が起きるかというと、前例踏襲、お役所仕事ってやつですね。新しいことをしない、個人が責任を負わない。それがメディアの組織の中で起きている。組織が古びてしまっている。個人の能力には差がありますが、組織相対として、能力の高い人が力を発揮できなくなってしまっている。AさんがいなくてもBさんがいなくてもCさんがいなくても、新聞は出ちゃう。組織として、そういうシステムが出来上がっているんです。本来、原発事故なんかが起きれば、かつてと同じやり方では捕えきれない。もっと記者を自由にさせなければいけないのに、それをしない。前と同じ流れで取材をする。だから現実に対応しきれない。
これからメディアをどうするか考えると、なんだかんだいっても日本のメディアは巨大なんです。記者の数で考えれば分かります。おそらく朝日、読売で記者は2000人前後。共同通信でも1000数百人。日刊紙の記者を全部集めれば2万人〜3万人単位でいるのではないか。それに対していくらフリー、雑誌の記者が頑張って、正規軍の巨大な組織にてんでバラバラで対抗してもらちが開かないのだと思います。だから、巨大メディアをどう変えるのか。でも組織は保守化、官僚化されていますから、トップが決断して、組織を大きく変えるしかない。それが期待出来ないのであれば、別のものを作らなくてはならない。それは、個々人の優秀なフリーの人かは別にして、一定程度の取材スキルを持った人が組織的に動ける仕組みを作らなくてはいけない。おそらく、巨大な既存メディアと対抗するには数十人から百人程度の記者は必要なのかと。
■海外からの情報を集める
森広:今のお話を受けて、原発事故だけではなく、いろいろ大事な問題が国内外で起きていて、それを既存メディアがなぜ本当の事を伝えないのか、この問題はずっと存在しています。その代案として、オルタナティブ(代替)と我々は呼んでいますが、既存のメディアの人間とフリーランサー、ジャーナリズムのあり方に疑問を持っている人たちと毎月勉強会を持っています。今回の震災事故で一番痛感したのは、一種の空白状態というか、既存メディアが発表原稿だけを待って集まっている事。そこに上杉さん始め、フリーの方々が乗り込んで質問するという場面が流れた。そこには矛盾があって、既存メディアは資金と人がいながら、調査報道が出てこない。
我々がまず何をやったかというと、海外が福島の事故をどう見ているか(調査した)、GEの技術者達が「あの原発は当時我々が作ったんだ」というのが目に入ってきて、3月18日にはそれがまとめられて入ってきた。それを翻訳して載せた。GEの技術者達がどう言っているのか、海外の専門記者、フリーランサーがどう言っているのか、キャッチして、必要なものは翻訳して、会報に解説をつけて載せました。現状との間にどんなギャップがあって、日本のメディアはなぜ伝えないのかと問題提起しました。それをネット上に公開して大きな議論を起こすという方法もあったんですが、アジア記者クラブの内部ネットでの議論にとどめながらやってきました。
どうして、堂々とウソがつかれて、情報操作が行われて、それにメディアが加担して、それに対する反省や批判が出てこないのか。それが変えられない。指摘はされても現状は変えられない。この空白状態はなんなのか。既存メディアが崩壊していく中で、それに対抗するオルタナティブなものが作れるのか。アジア記者クラブはフリーランサーを育成する講座を持っていますが、とても回数が足りない。日本でメディアセンター的なものは必要だろうと。対抗する記者たちがどう書けるようになるか、フリーで食べられるのか、どこに書くのか、影響力はあるのか、今の社会は変えられるのか。その現実が10年変わっていない。ネットメディア、市民メディアがやってきたが、今回の事故でも変える力は持ち得なかった。その空白状態が大きな課題ではないかと。
■記者クラブ解体、最後のチャンス
上杉:自由報道協会があった、なかったで大違いだったなと思ったのは、少なくともこれまでのメディアが作ってきた言論空間というのは一元化されすぎていた。そこに小さな風穴を開けたことが大きかったかなと。それにより情報の流れが少しだけ変わって、自由報道協会は非営利団体の場を提供する団体ですが、それぞれのメンバーが情報に触れる方々に、真実を提供できたかなと。それができて良かったですね。
福島の人の中には、原発事故直後に既存メディアが「安心デマ」「安全デマ」というのを流している所、、それとは違うことを言う人たちがいるなと、インチキくさい人が多いけど、そこに耳を傾けたことによって対応した人が少なくても何千人かいる。それは3月11日日以降、事務局に多くの激励と、あって良かったと言うありがとうのメールやイベントをやると「ありがとう」と言われてわかる。でも私は何もやっていない。メンバー達が現場に行ってやっているんで、その人たちの力が震災報道において大きかったと。
10年ほど前から記者クラブ問題というものに気が付いて、特にニューヨークタイムズ時代にこの問題に突き当たって、これはひどいなと。衆議院議員の秘書をやっていた15年くらい前は、記者クラブ問題は非常に便利だなと利用させてもらっていたんですが(笑)終わってからはなんてひどいんだろと、半ば解放運動に入っていったわけですが、最初はこっそりと、既存メディアにいながら、お金はもらって、裏でチクチクと悪口を言っているという感じだったのですが、7〜8年前に本に書いたり講演なんかで話していた当時は全く反響も無かったわけです。
こちらのほうも、記者クラブは別にあってもいいんじゃないかというスタンスでした。所詮あっても機能不全をきたしているだけで、情報の流れ、真実の報道に悪さはしないだろうと、邪魔なだけだなという形だったのですが、3月11日以降は、まったく考えが変わりまして、機能不全どころか、逆機能を起こしていると、本来知らせる情報を、妨害しているのが記者クラブだという認識に変わって、ここ数ヶ月は、これはなんとか変えなくてはいけない。日隅さんも言ったように、これが最後のチャンスかなと思うようになったのです。
それに、自由報道協会という場があるので、これまでは記者クラブを潰してもその後どうすればいいのか分からないというのがあったのですが、このように場を提供することによって、多様性のある情報というのは、流れるには流れるんだなと。自由報道協会も、参加メディアが左は週刊金曜日から右はチャンネル桜までいて、多様性が確保されている。そんなシステムが日本でも作れる事がわかったので、(記者クラブは)潰してもいいんじゃないかと。
■既存メディアが教えてくれたこと
上杉:今回の事故発生直後、記者クラブメディアが私たちに教えてくれた、貴重な放射能情報をお伝えしたいと思います。まず、発生直後からNHKなどで繰り返し言われていた、「日本人は放射能に強い」。ヨウ素、昆布・ワカメを沢山食べているので、放射能に強いということを知りました。非常に勉強になりました。それから、「格納容器は核爆発に耐えられる」という事。「格納容器は何が起こっても健全です」と枝野幸男という官房長官に教わって、あ、そうか、格納容器はあらゆる物質より強いんだなと、勉強になりました。
また、私が誤解していたのは、「プルトニウムは危険だ」という事です。今まで危険だという情報を持っていたのですが、どうも日本では違うようで、「プルトニウムは飛ばない」と言うことなんですね。池上彰さんというNHKの大先輩で、尊敬している方がニュースの解説で、プルトニウムは重金属で非常に重いので飛ばないと言っていた。シンポジウムでご一緒したので、「飛ばないんですか?」と。では日本中にあるプルトニウムは何なんですかと聞くと、「上杉君、あれは昔核実験をしたときのものが飛んできたんだよ」と、「飛ぶんじゃないですか」と言って、それ以来口をきいていただけなくなりました(笑)残念です。
それから、「プルトニウムは紙があれば防げる」ということで、だったら福島原発の周りに紙を貼ったらいいんじゃないかと、それも初めて知りました。また、「プルトニウムは飲める」という事を、山下教授や、東電の先生方に教わりまして、ぜひ飲んでみたいのですが、私は勇気のない人間なので、かいわれ大根の時と同じように、菅総理に最後、飲んでいただいて、総理の座を明け渡して欲しいと思います。
セシウム、特にセシウム137は、稲わらだけに付着することを初めて知りました。あと汚染するのは肉牛だけという事を知って驚きの連続でした。さらに、飛び散る範囲は福島県内だけで、県を越えないという器用な飛び方をすると学びました。あと、なんと言ってもストロンチウム、90も89も含めて、日本近海の魚の頭と内臓と骨だけには行かないということも水産庁および、文部科学省の調査で明らかになりました。世界中では、ストロンチウムは比較的骨などに溜まりやすいようなのですが、日本では検査の時に頭と内臓と骨を取って検査をすることで、そこだけは汚染されないという事がわかりました。様々なことを教えてくれる既存メディアは70年間に渡って、私たちに非常にいい教育をしていただいたなと。
70年後に同じことが起きないように、ここで、そういう人たちは終わりにしたいと思っております。
■新聞は8割が発表報道
司会:メディアの現状を変えるにはどうしたらいいか。
日隅:良心的な記者さんと話していると、精神論的なところに落ち着くところが多いですね。記者の自覚とか。まず精神論では変わらないと認識することがスタートかなと。例えば、可視化の問題。これもいつになっても変わらない。方法論、システム論を変えるところにたどり着かない。どんなおかしな警察官が出てきても、違法な取調べが出来ないシステムを作らなければいけない。民主主義は人気主義だから、どんな人が権力を握っても、ちゃんとできるシステムを作らなければいけない。
司会:高田さんは100人程度の新しいメディアを作ったほうがいいとの事ですが、それで何が出来るのでしょうか?
高田:一定程度のスキルを持った集団というのが、オルタナティブなメディアを作るには必要だと思ってます。ただ、今の既存メディアの組織を変えることが出来るかできないかで言うと、精神論では絶対に変えられない。良心的な記者がいくら頑張ってもやがて疲れて元気を無くてしまう。過去幾度も繰り返されてきた。福島原発の問題で何が明らかになったかというと、いかに日本のメディアが戦後ずっと発表漬けになっていたかという事。今に始まったことではない。システムが構造化されている。
岩瀬達哉さんというジャーナリストが書かれた本に「新聞が面白くない理由」(1998)というのがある。その中に出てくる話で、当時、朝・毎・読の新聞記事の紙面の面積を測ったら、発表記事、および発表を加工したものがだいたい7割から8割、それから「どうする情報源」という元共同通信社論説副委員長の藤田博司さんが書かれた本で、大学のゼミ生が測定した所、発表記事は8割から9割だったという。私の実感としてもそうです。新聞社に入った25年前から新聞というのはほとんど発表ものなんです。それがシステムとして刷り込まれていますから、僕らの日々の仕事は発表ものをどう書くか。
ただ昔はまだ自由度がありましたから、発表の裏側になにがあるか掘り起こすことが出来たのですが、今はどんどん許容量が少なくなってきて、言われたとおりに書くことがシステムとして出来上がっている。あとは、私が入った頃、25年前の北海道新聞本社の警察産業記者ってのは7〜8人。25年後の今も7〜8人。これだけ世の中不況になって、労働問題は沢山ありますよね。賃金不払いとか。でも、労働基準監督局、労働基準監督署の専属記者ってのはいないんです。なぜか、それはおそらく労基署に記者クラブがないからです。逆説的な言い方をすれば。労基署に記者クラブがないから、その問題は扱わない。入国管理局には記者クラブが無いから、不法就労の問題は扱わない。じゃあなぜ、警察の事件・事故はこんなに大きく扱われるかというと、そこに記者がいるからです。記者クラブがあるからです。
私は2003年から2005年に北海道警察の裏金を問題にして、メディアが変わる最後のチャンスだと書きました。あれから7年、8年たって、まだチャンスがあるのか分かりませんけど。だから一時的に調査報道でああいうことが出来ても、警察にはこんなに記者は要らないのではないのか、首相官邸に発表物を追いかける記者はあんなに要らないんじゃないか、もっと自由に動く記者を増やさなければいけないんじゃないか。そういう組織の中身を変えないとどうしようもない。で、そういう決断を出来るのはトップだけなんです。組織ですから。現場の記者に言っても精神論で「頑張ります」しか言えない。あ取材の配置とか記者の配置とか、戦後50年変わってないですよ、おそらく、数としては。それを変えられるなら組織にも可能性はあるかもしれない。非常に少ないですけど。それがダメなら新しい対抗組織を作るにしても、スキルをもったプロフェッショナルが何十人か百人か必要なイメージがあります。
■大本営発表を繰り返す日本人
司会:記者クラブあるかぎり、ダメなんじゃないかという話がありますが。
上杉: 震災直後の東京電力会見、政府会見にしても、情報のソースにアクセスできないという不健全な状態が、鳩山政権発足以降、少しずつ開いてきた記者会見が、また逆行している。取材をするまでのスタートラインに立つまで、こんなに苦労する国は世界中どこにも無いなと。10年くらいフリーをやってまして、その前3年はニューヨークタイムズにいましたが、どこの国に行っても、取材は出来るわけです。アクセス権はありますから。中国だろうがキューバだろうが、北朝鮮もそうですけど。世界中のサミットに行きましたが、日本のサミットだけが、事実上参加できない。日本人なんですけど。非常に不思議な国。いろんな政府の会見も、海外では出られるんですが、日本のは出られない。戦後ずっとこういうことが行われてきた。変えざるを得ない。
その中で、もし3.11以降、ちゃんとこういうものが機能していて、一般の人が多様な言論に触れる機会があったら、少なくとも自由報道協会の面々が発信していることが、新聞やTVに一文字でも、一秒でも載っていれば、もっと違う状況だったかなと。つまり、多くの人が被災するという事も、何らかの形で政府の不作為を止めることが出来たのではないかと、思うと非常に残念です。
例えば、隣に座っている日隅さん、(ジャーナリストの)木野龍逸さんなどが3月半ばから東京電力会見に24時間体制で入って、ロビーで寝泊りして、いろんなことを追求するわけです。格納容器、放射能の漏れ、飯館への飛散・・・文字通り朝から晩まで聞き続けたからこそ、今の工程表も含めて、既存メディアが報じている情報が出てきたんですが、フリーランスが記者会見で追求すると、最初は記者クラブメディアは全部無視します。3週間から3ヶ月後になって初めて、発表すると。これが日本の言論空間の実態です。
これは、ニコニコやUST、IWJの会見ネット生中継を見ている方は、「そうだよな」と納得すると思いますが、「そんなことないだろう」と一般の方は思ってしまう。初めて新聞・TVが扱った日が、発覚した日だと思ってしまうんです。例えば、格納容器のメルトダウンですが、これも、3月の半ばにほとんどが指摘していたんです。海外メディア含めて、フリーランスは。ところが、やっと政府が認めて、それに基づいて発表ジャーナリズムに乗っかったのが、5月、6月ですよね。
これまでの平時は良かったんです。「情報遅かったね」で済んだのですが、今回は放射能事故という事で、1秒、1分の遅れで大きな違いが出るところが、数週間、数ヶ月遅れたために、残念ながら多くの方が被曝をし、今後の健康被害を防ぐことが出来なかったのは、既存メディアの存在だけではなく、こういう社会を作ってきた大人たち全体の責任。官僚もそうですし、記者クラブ制度と言うものを結果崩せなった私たちフリーも含めて、日本国民の健康を害した犯罪行為。この部分を反省して、先に進むしかないと思います。
先ほど日隅さんが「このチャンスしかない」と言いましたが、70年前に私たち日本人は同じことをやったわけですよね。大本営発表で、勝ってもいない南洋での戦争を「勝った勝った、転進だ」と、ミッドウェーでやり、ガダルカナルが落ちても、大丈夫だと。沖縄が落ちても、「いよいよ本土決戦だ」と言って、広島、長崎を始め、犠牲にならなくてもいい、240万人以上の人が亡くなった。その大本営の発表を、70年後にまたやっているのかと、津波を含め、数万人の人が犠牲になりました。そういう意味では、この時に記者クラブというものを完全になくして、そして70年後の日本人が同じ事で苦しまないようにするのが、私たちの責務ではないかなと。
■いま、私たちに出来ること
司会:インターネットなどで情報を得ているのは一部の人達だけで、マスメディアの影響力は依然大きい。その中でオルタナティブなメディア、フリーランスが出来る事とは?
森広:既存メディアを変えることは非常に困難。かといって、既存のメディアの中の人が、どうしようもないのかというと、決してそうではない。有能な人間が力を発揮できない。意見を言ったら左遷されるとか、各社人事考課というものが入っていますので、月に何本書いたかとか、それにどういう評価があったかとか、それで給与差が出てくる。ですから、昔のように1ヶ月どこにいるのか分からないけど、急にスクープをどかーんと出すような記者はどうなるんだというと、もう生存できないというような状態になってきている。官僚化、会社員化というのが著しいので、大冒険は出来ない。
原発の報道でも、優秀なライターが海外にいるんですよね。どういう情報を読者が求めているのか、読んでもらわないといけないのかを意識している。チェルノブイリの原発を作った技術者にインタビューしているとか、「原子力産業は常に政治に従属します、それは東西関係ありません」とか、インタビューしてるんです。そういう生々しい事とか、情報公開しないならこっちから取りに行く、その努力をしている。
そういう記事を作ろう、組もうという工夫を大手メディアはしない。だからオルタナティブなメディア、フリーがどう実現していくのかというのが一つの大きな課題。ここで問題になるのは資金の問題と、メディア出身ではなく、全くのフリー(素人)という人が取材したい、書きたいとなった時に、最低限のテクニックは必要になってくるので、そういうトレーニングをいつどこでするのか。講座を開いたこともありますが、1回2回の講座で、コツやポイントは教えられるけど、経験はどこで積むのかという事。既存メディアは社内で10年とかやらせてたわけですね。(メディアに)いると出来るようになるという。そういう場がない人はどうするの、という問題がある。それがだめなら「パブリックアクセス」を何らかの形で保障しろということになる。
オルタナティブを志向する人たちが「人、お金、モノ」知恵だけ出せる人は知恵でもいいんですが、そういうものを結集して、一つの大きな拠点を、作るべきであろうと。既存メディアの関係者とフリーが協力して作らないといけない。それと、パブリックアクセスを日本でどう実現していくのかという議論を具体化していく。この2つが必要。
司会:最後に、今何を一番考えなければいけないのでしょうか?
日隅:我々がメディアを監視・評価しなければならない。新しいメディアが仮に出来た、新しい情報が流れてきたとしても、これまでと同じように、何らかの形で、広告、スポンサー、政府などから影響を受けているようなものだったら、意味は無いわけで、いかにそうさせないかを考えなければならない。それを我々は怠ってきた。いかにして、マスメディアが政府から影響を受けるのか、広告主から影響を受けるのか、それを防ぐためにどういう方法があるのか、(我々は)考えた事がない。教育もされていない。
カナダでは小学校からそういう教育をしている。最終的には、「アメリカではなぜ兵士の死体が写されなくなったのか」というようなことを勉強するわけです。我々はそういう機会がない。これを機に、そういうことを考えて欲しいわけです。つまり、どういう風に政府・広告主から圧力を受けるのか、その圧力をなくすためにはどうしたらいいのか、圧力があるならば、社内でそれに耐えて、自由な記者を増やすためにはどうしたらいいか、これは海外では考えられていて、いろんなシステムがある。編集の独立を守るために経営との間で、問題があれば話し合う場を制度として持っているとか、スポンサーが圧力をかけられない仕組みがあるとか、そういうことを考えるということ。メディアは政府を監視するが、メディアを監視するところはないわけで、それは我々がやるしかない。意識を持って、やっていくしかない。
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東日本大震災、とりわけ、福島第一原発事故の「情報隠し」に対して、フリージャーナリスト、ネットメディアの果たした役割は大きい。上杉氏が指摘したように、戦後最大の危機を迎えている日本が、70年前に犯した「大本営発表」という罪を再び繰り返している。既存メディアが全てウソをつき、フリーが全て正しいという事ではない。情報ソースが限られてしまい、判断の幅が狭まることが問題なのだ。
この後、休憩を挟み、会場の記者からの質疑応答に入った。(つづく)
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