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株式日記と経済展望
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文化に輸出はあり得ない。文化には本質的に輸入しかない。押しつけ
がましい文化輸出はあるべき姿ではない。韓流の押し売りは間違い。
2011年8月10日 水曜日
◆文化は輸出できるのか?「異文化をそのまま受け入れるわけがない!」 8月10日 安西洋之 中林鉄太郎
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110808/221985/?P=4
「文化の輸入しかない」
ヨーロッパ統合は、何世紀にも渡る独仏の争いを二度と繰り返したくないために実行されたのであり、フランス人とドイツ人がお互いの文化を好きだったからではない。一部のインテリ層は異文化を好むが、普通の人にとって異文化とは「奇妙なもの」に過ぎない。
子供が外国人に対して奇異な目で見るのは自然なことである。異文化との接触を、人は全面的に歓迎するわけではないし、多くの人が異文化に関心があると考えるのは、異文化体験のある人の一方的な思い込みだ。
「思想家のイヴァン・イリイチはメキシコにボランティアでやってくるアメリカの大学生に、『ここに来るな。アメリカに帰れ』とよく言ったそうです。彼らの活動がメキシコを先進国モデルとグローバルなシステムに組み込んでいく、との認識があったからです」
異文化に触れたいという思いや行動には、自分勝手な側面があることも自覚しておくべきなのだ。これが、ローカリゼーションマップで語る、「異文化市場で地雷を踏まないためのローカリゼーション」の前段階の心得とも言える。他の文化圏に入り込む際に、土足で踏み込むような行為をする可能性がある。
「文化に輸出はあり得ない。文化には本質的に輸入しかない、それでいい、というのがぼくの考えです」と管さんは持論を語る。他の文化に関心を抱き、好きになり、学びたいという気持ちが全てである。押しつけがましい文化輸出はあるべき姿ではない。したがって、ビジネスの異文化市場戦略の意味と影響が深く問われる。
管さん自身は北米や南米、あるいはニュージーランドなど10数年の海外滞在経験がある。が、学生たちに外国留学をさほど強く勧めていないという。
「空気が読めないというイヤな表現がありますが、自分が暮らす社会の現実を読めない人間が外国に住んでも意味がないでしょう。まず、外国から来ている隣人たちに出会え、と言いたい」
もちろん、管さんは隣人の次に遠くに住む人と接して、彼らの気持ちが分かる学生が増えればと願っている。しかし、あまりに自分の土地にいる隣人に無関心な人たちが多く、危機意識が募る。
文化は深化を求める
西洋文明は自然を「征服の対象」として見てきたと長く言われてきた。しかし、環境問題や近代科学のあり方が問われ、その文明が方向転換を始め、自然との共存を考えるようになった。そこで、日本において日本の古来からある考え方が世界の主流になると勢いづく向きがある。
「どこの文化圏でもそうですが、ヨーロッパ文化圏でも、本来、自分の文化の古層を極めるという縦軸を深める動きがあります。ですから、他の文化圏を参照することがあっても、それを主流として採用しようとするような動きにはなりえません」と管さん。
異文化は異文化である限りにおいて意味がある。結果的に異文化から何らかの要素を導入することはあるが、取り入れるものは、あくまでも取り入れる側のフレームにはまってこそ機能する。文化は輸入しかない、という管さんの言葉はここでも共鳴する。
「ビジネスにおいて文化は輸入しかないなんて言えるか?」と疑問を抱く人もいるだろう。確かに「待ちの姿勢」ととったら、ネガティブな意見になる。が、そうではない。相手が輸入したいと思うように文化の質を上げていくしか道はない。
ローカリゼーションマップで言わんとすることは、輸出市場の文化の「ご機嫌取り」ではない。かといって、自分の文化への自尊心だけで突撃せよとも主張しない。この点は大きな声で繰り返し言っておきたい。自分の文化と相手の文化にある共通点と相違点を冷静に見極めることこそがメーンのポイントである。第一歩は、これ以上でもこれ以下でもない。
異文化市場を見る時に、場所軸でも時間軸でも、一歩引いてみることが大切だ。あまりにもズームアップし過ぎると自滅する。
「日本文化の一番の売りは自然界とのインターフェースでしょう。自然にある聖性への感覚が、最近まで日常生活の中によく残っていたことが日本の大きな特徴として考えられます。しかし、第2次世界大戦はやはり大きな外傷体験でした。大戦から戦後を通じて、過去の生活文化との繋がりがばっさり断ち切られてしまった」
管さんは残念そうな表情で、こう話す。
異文化市場の文化を理解するに際し、気候や地形の風土レイヤーや伝統的な「食」などの中間レイヤーを見過ごしやすいと、ローカリゼーションマップは注意を促している。日本では意識することを忘れたレイヤーが故に、他の地域を見るときに勘が効かない。そういう弱点を自覚するところが、異文化理解の出発点となるかもしれない。
(私のコメント)
8月5日の「株式日記」で「文化や価値観の押し売りは反発を招くだけなのに、アメリカや韓国が気が
つかないのは、欧州や日本に対する根源的なコンプレックスがあるからだ。」と題して書きましたが、文化の押し売りや押し付けは逆効果になり反発を招くだけだ。しかし文化レベルの差があれば進んで受け入れる人も沢山いるだろう。戦後にアメリカ文化がどっと溢れましたが、圧倒的な豊かな生活の違いに日本人はショックを受けた。
これも一種の文化宣伝工作だったのでしょうが、アメリカ人がみんなテレビドラマやハリウッド映画に出てくるような豪華な家に住んでいたわけではなく、黒人やプアホワイトはスラム街などに沢山いた。だからこそ60年代には黒人暴動が頻発するようになりましたが、アメリカのテレビドラマやハリウッド映画は一種の文化宣伝映画だったのだ。その宣伝放送を真似しているのが韓国だ。
中国紙は、「韓国ドラマに登場する韓国人は、高級住宅に住み、豊かな食生活とファッショナブルなスタイル、高級ブランドの車に乗っている。」と批判していますが、これは韓国ブランド委員会が対外宣伝工作のためのドラマだからだ。ソウルの大都市の高級住宅街ならあるのでしょうが、韓国の住宅の多くがマンションだ。しかしマンションが舞台では華麗なる韓国ドラマは作れない。
もっとも日本のトレンディドラマも、若い女の子が広い都心のマンションに生活すると言うのも不自然でしたが、ドラマや映画が夢を売るという事だから現実離れしていてもいいのだろう。しかしそのようなうそ臭い韓国ドラマはいずれ飽きられるし、若い男女の恋愛ドラマばかりでは中年女性の満足は得られても他には広がらない。
韓国ドラマには歴史ドラマもありますが、どれだけ史実に則っているのだろうか? ドラマだから必ずしも史実に忠実でなければならないという事もないのでしょうが、中国の使いが韓国の国王に跪くのだろうか? テレビドラマだから創作でもいいのでしょうが、それを史実だと思い込む人が多く、中国人が華麗なる韓国の宮廷を見てどう思うだろうか?
このようなドラマを「韓国ブランド委員会」は大統領直属の機関として宣伝工作を行なっている。フジテレビで木村太郎氏がK-POPブームで、ユーチューブなどで工作が行われていることを暴露したら、韓国ブランド委員会から猛烈な抗議が来て木村太郎氏は番組から降ろされてしまった。それくらい韓国の工作機関員が日本のテレビを監視していると言うことが証明された事実だ。
文化宣伝はどの国でも行なっているし、正当な行為でもあるのでしょうが、限度を過ぎれば反発を招くのは当然だ。韓国人にはそれが分からない。アメリカのように圧倒的な豊かさと文化レベルの差があれば宣伝しなくとも売れるものは売れるだろう。しかし最近のアメリカは経済的に行き詰まり映画産業なども停滞している。今年のアカデミー賞はなんだったのか知る人は少ないだろう。
日経ビジネスの記事にもあるように、異文化は普通の人にとっては奇異なものであり、簡単に受け入れることは難しいだろう。アメリカ文化はグローバルスタンダードと言っているのは日本人工作員であり、アメリカにはグローバルスタンダードと言う言葉はない。日本をアメリカ化しようという文化工作であり、日本人を洗脳してアメリカの規格を受け入れさせようとしている。たとえばTPPがそうだ。
韓国ドラマのどこが悪いといった意見もありますが、韓国の大統領直属の政府機関に援助されたものであり、安いから日本のテレビ局も韓国ドラマで溢れるようにあった。日中は暇な中年主婦たちはこのような韓国ドラマを見てファンになったらしい。「民放ではすでにドラマの制作はあきらめ、韓流ドラマなど外部から買ってきたドラマを流す方向にシフトしていっていますね」(テレビ局関係者)。と言う言葉がありますが、経済の衰退は文化にも影響する。
テレビ局にしてもカネがあれば、下請けプロダクションにドラマを作らせていればピン撥ねしたほうがいいのでしょうが、 カネがないから韓国ドラマで穴埋めしている。フジテレビのように宣伝力があるところはブームに出来ればといった思惑があるのでしょうが、下請けプロダクションがなくなって韓国ものばかり流すようになればテレビ局のコンテンツ制作能力は衰えるばかりだ。
「文化に輸出はあり得ない。文化には本質的に輸入しかない、それでいい、というのがぼくの考えです」と管氏は言っていますが、文化の押し売りは長期的には反発を招いてしまう。アメリカのドラマも見かけなくなりましたが、アメリカで評判のドラマを放送しても視聴率が取れなくなった。経済的文化的な差がなくなれば当然そうなるだろう。
日本のアニメやマンガは子供向けに作られたものであり、当然製作費用も安くて内容的に見ても海外に売ることは考えてもいなかっただろう。しかし子供向けのコンテンツは世界的に見ても少なかったせいか、世界のテレビ局で放送されている。製作費用は少なくても質が高ければ世界中に売れますが、アニメやマンガはサブカルチャーであり、日本国内でも高く評価されたものではなかった。
日本は知らないうちに世界に文化宣伝を行なっていたことになりますが、質が良ければ世界に売れるという証拠だろう。カネをかけてもダメな作品は国内でも売れないし、製作スタッフの質が問題だ。昨日のNHKでも宮崎駿監督と宮崎吾朗監督のドキュメントを放送していましたが、一つの作品を作るには天才的な才能と多くのスタッフと多くの費用が必要だ。
だから文化宣伝を行なうにしても、カネがあるからというものでもなく、政府がバックアップするからでもなく、その国の文化的な高い土壌がなければ世界に評価されることはないだろう。私がフジテレビを嫌悪するのは、金儲けが先に走ってテレビドラマと言う作品をないがしろにしていると言うことだ。安ければいいというだけで韓国ドラマを放送していますが、フジテレビは視聴者をバカにしているとしか思えない。
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