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【新聞チェック】″原爆の日″に全く触れなかった産経、特集満載の朝日・毎日とは対照的
2011年08月06日18時37分 BLOGOS編集部
http://news.livedoor.com/article/detail/5765934/
8月6日、広島市内に原爆が投下されて66年目を迎えた。原爆ドームで知られる平和記念公園で開かれた式典では、菅首相は福島第一原発事故に触れた。「私は原子力については、これまでの『安全神話』を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保の抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指してまいります」と表明。脱原発に向けた方向性を強くPRした。
この日の朝刊は、全国紙のうち朝日と毎日の2紙は多くの特集記事を組み、「原爆の日」を大々的に取り上げていた。これに対し、読売と産経はほとんど力を入れていない。読売の場合は一面の小さいコラムだけ。産経に至っては関連記事は皆無だった。対照的な各社の書き方を比較してみた。(BLOGOS編集部・安藤)
「核との共存から決別へ」(朝日)
朝日新聞は国際平和シンポジウムや、中国の物理学者のインタビュー、原爆を投下したエノラ・ゲイの搭乗員の孫への取材記事など充実した内容だ。1950年代に、広島に原発を造る案をアメリカ政府が検討していたことを伝える記事まである。社説では「核との共存から決別へ」と題し、原爆に絡める形で脱原発を訴えた。
核エネルギーは20世紀の科学の発達を象徴する存在である。
私たちは、一度に大量の人間を殺害し、長期にわたって被爆者を苦しめてきた核兵器の廃絶を繰り返し訴えてきた。
世界各国に広がった原発も、同じ燃料と技術を使い、危険を内包する。ひとたび制御を失えば、人間社会と環境を脅かし続ける。その安全性のもろさが明白になった以上、原発から脱却する道も同時に考えていかなければならない。
「経験を福島にも生かせ」(毎日)
毎日は、ライトアップされた原爆ドームの写真を一面に持ってきた。社会面には、原爆で家族4人を失った元商業学校生の記事。社説では、「経験を福島にも生かせ」の見出しで、こう訴えた。
すさまじい破壊力で一瞬にして大量の放射線を放出した原爆と、低線量の放射性物質の影響が広範囲で続く原発事故の違いは大きい。だが、人々が放射線被ばくによる不安に長年苦しめられる点は共通する。
(略)核兵器と原発はこれまで切り離して考えられてきた。近年は原子力に対する「安全神話」も浸透していた。しかし、福島の事故は原発の危険性に改めて目を向けさせた。唯一の被爆国としての経験を原発対策にも生かしながら、従来にも増して核廃絶のメッセージを発信し続けるのが私たちの責務である。
朝日と同様に「脱原発」に向けて足並みを揃える内容だった。
読売は「編集手帳」のみ
一方、読売は「原爆の日」の扱いは非常に小さく、朝日・毎日の2紙とは正反対だった。唯一、その話題を取り上げたのは一面の小さなコラム「編集手帳」。『長崎の鐘』を書いた医学博士の永井隆氏が「原子爆弾は人類に、まったく新しい資源の在(あ)ることを教えてくれた」という言葉を引いた上で、次のように述べている。
◆長崎の原爆で妻を失い、自身も被爆した人は生涯を通して、人間に備わった知恵の信奉者であったらしい
◆核兵器の惨禍を根絶する祈りと、原子力の平和利用がもたらす希望と――顧みれば日本の戦後は、博士の夢想を実現していく歳月であったろう。震災で夢想は大きく揺らいだ。立ち止まる。引き返す。用心しつつ、前に進む。いずれを選ぶにしても、何をどう改めていれば原発事故は未然に防げたのか、綿密な検証から始めなければならない
◆きょうは広島、週が明けて長崎と、今年も原爆忌がめぐってくる。「人間の知恵」が、いまほど試されている時はない。
原発を維持するのか、脱するのかイマイチよく分からない。何とも煮え切らない書き方だった。
「原爆の日」を全く取り上げない産経
驚いたのは産経だ。紙面を何度見返しても、どこにも「原爆」という単語が見当たらないのだ。それなのに、各紙が原発について書くことを意識したのか、社説では「世界一安全な原発めざせ」のタイトルで、原発維持を強く訴えている。
日本は原発の基数と発電量において世界3位の国である。原子炉の製造や運転管理の両面で世界の最高水準の技術を有している。この知的蓄積をさらに発展、継承し、増え続ける途上国の原発に生かすことこそ日本の責務だ。
(略)日本列島は、地震の活動期に入っている。津波を含めて耐震性のさらなる強化は必要だ。今回の事故から可能な限りの教訓を学び取り、「世界一安全」と胸を張れる原発をめざそう。
他の3紙と気持ちいいほどに一線を画していた。
「原爆と原発」連鎖するイメージ
どうやら「脱原発」を強く主張したい新聞社ほど、「原爆の日」を大きく取り上げる。「原発維持」を訴えたい新聞社は、なるべく「原爆の日」を取り上げないということのようだ。1945年の原爆投下によって、広島市に当時住んでいた人の約4割に当たる14万人が命を落としたと言われている。圧倒的な原爆の被害は、「原発の危険性」というネガティブなイメージに繋げやすいということなのだろう。
一般的に「新聞はどれも同じ」と思いがちだが、原子力の問題をめぐって、これだけの差が現れる。興味深い結果だった。
※いずれも、都内発売の最終版を比較した。
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