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マクロ経済学は「役立たず」なのか?金融危機の経済学(上)
2012年2月6日 月曜日
加藤 涼
2012年2月現在、ギリシア、イタリアの国家債務問題を焦点としてユーロ圏に新たな金融危機の火種がくすぶっている。ユーロ圏の債務問題が甚大な金融危機に発展するかどうかはともかく、世界レベルの金融危機は長い歴史の中で繰り返し発生してきた。
2008年のリーマンショックを契機に、「既存の経済学は金融危機の理解や抑止に全く役立たない」、あるいは「既存の金融経済学こそが金融危機を引き起こした」といった批判が巻き起こった。程度はともかく、こうした批判は現在でも続いている。経済学者はこうした批判にどう応じてきたのだろうか。
ここでは、経済学に対する批判的問いかけの意味も込めて「金融危機はなぜ繰り返し発生するのか」について考えたい。
自由競争とリスクの証券化が進んだ世界金融市場
まず、リーマンショックを足がかりとして、既存の経済学や「市場原理至上主義」、さらにはやや漠然と「資本主義」なるものに対し、批判的な反応が広がった背景を整理しよう。
リーマンショックに至るまでの世界金融市場を振り返ると、以下の2つの状況が背景にあった。まず銀行システムを中心に金融市場は、過去と比べて競争が激化し、金融市場の自由化が「順調に」進展していた。そしてCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)やCDO(債務担保証券)に象徴される様々な新しい金融商品が生まれ「リスクの証券化」が進んでいた。
ある程度、経済学を学んだ人なら、自由競争の進展とリスクの証券化という2つの事実を前にすれば、「より効率的な資源配分が達成される」という好ましい結果を予想するのではないだろうか。
なぜなら、中級程度(経済学部3〜4年生レベル)のミクロ経済学で学習する「完全競争均衡は効率的である」という厚生経済学の第1基本定理からは、「市場が完全競争に近づくほど効率性が改善する」という原則が思い浮かぶからだ。また保険市場のメカニズムを知っていれば、証券化やデリバティブ(金融派生商品)の発展で経済全体におけるリスクの共有(リスク・シェアリング)が効率化し、世界はより安全になったと考えることも、自然な推論である。
ところが言うまでもなく、現実に発生した世界金融危機は、こうした既存の経済学に基づく予想を大きく裏切った。大学で習った「既存の経済理論」と、現実に発生した深刻な事態との折り合いをつける1つの考え方が、米国のアラン・グリーンスパン前連邦準備理事会議長の言葉として有名な「世界金融危機は、100年に一度の不幸な出来事だった」という立場だ。
一方で、2007〜08年の世界経済危機は決して不幸な偶然ではなくむしろ資本主義経済システムの必然で、近い将来、再び似たような危機が発生するに違いないと直感した人々も多かった。こうした人々が、大学で習った経済学と現実経済との間に整合性を見いだせず、「既存の経済学は無意味だった」という結論に(やや安易に)飛びついたとしても何ら不思議なことではない。
では既存の経済学では、金融危機の可能性をきちんと扱ってこなかったのか。実のところ、そうではない。大学院レベルの経済学であれば、金融危機を扱った理論的なフレームワークが比較的古くから存在していることに加え、近年はさらに金融危機の発生メカニズムに関する先端研究が進んでいる。
金融危機の理論的研究はミクロ経済学がメーン
例えば大学院修士レベルのミクロ経済学を学んだ読者なら、銀行の取り付けを扱った経済理論を習った記憶があるだろう。ダグラス・ダイアモンド米シカゴ大学教授とフィリップ・ディビッグ米ワシントン大学教授が1983年に『Journal of Political Economy』誌に発表した理論モデルだ。
両教授は、たとえ銀行が健全でも、そうしたファンダメンタルズとは全く関係なく取り付け騒ぎが発生しうることを証明した。銀行システムというものはそれほど脆弱で、その脆弱性が広く認識されているからこそ預金保険機構のような安全装置が用意されているのである。
またフランクリン・アレン米エール大学教授とダグラス・ゲイル米ニューヨーク大学教授は1998年、銀行システムに端を発する金融危機を避けることは、事実上不可能であることを示した理論モデルを『Journal of Finance』誌に発表している。
銀行が存在する限り、金融危機は避けられない
仮に何らかの政策によって無理矢理に(例えば銀行の最低自己資本比率100%を要求するなど)危機確率をゼロにすることはできるが、そうすると平時の銀行システムの金融仲介機能が無意味なほどに低下してしまい、社会厚生が大きく損なわれることを論証したのだ。自動車事故をなくすために、いっそ自動車を全面禁止にするべきかどうかが問われているようなものだ。
銀行という存在が、要求払い預金を含む短期的な負債で資金調達する業態である限り、デフォルトするリスクをゼロには出来ない(自動車を運転する限り、事故の確率はゼロには出来ない)。自己資本比率100%を要求すれば確かにデフォルトはなくなる。だが、それは銀行業が果たしている貸し手と借り手を繋ぐ金融仲介機能や、投資リスクの分散機能といった社会的な便益を全て諦めることと引き換えになってしまうのだ。
つまり銀行が存在する限りデフォルト・リスクは避けられず、さらには大多数の銀行が同時にデフォルトするリスク、すなわち金融危機の発生確率も完全にゼロにはできない。従って、金融危機は必ず繰り返されてしまうことになる。
こうした理論に沿って考えると、「金融危機は不幸な出来事に過ぎず、発生のメカニズムも分かっている。だが現実問題としては、既存の経済学の知見を用いても、政策的に金融危機の発生を防ぐことはできない」という至極つまらない結論に至る。だから「やはり経済学は役に立たないのだ」と思う読者もいるかもしれない。
だが、ここで見逃してはならない落し穴がある。重要なのは、危機発生確率がゼロかどうかではなく、社会的に望ましい危機発生確率に一致しているかどうかだ。仮に「100年に1度」という確率が事実なら、確率がゼロではないという意味で既存の経済学とは整合的である。しかし「100年に1度」が受け入れざるを得ない最適な確率だとまで、既存の経済学は言っていない。
また本来は「300年に1度」が最適な危機確率なのに、何らかの「人の過ち」により「100年に1度」、あるいは「25年に1度」といった形で危機が発生し、本来防ぐべきである危機を許容している可能性も既存の経済学は決して否定していないのである。
このように、紹介したダイヤモンド教授らのモデル1つを取ってみても、既存の経済学が金融危機に対して何も言ってこなかったとの批判が当たらないことは、ご理解いただけたと思う。一方で、ご承知の読者も多いだろうが、銀行論や金融論というのはそもそもミクロ経済学が扱ってきた分野だ。マクロ経済学は、金融危機に対してやはり何も言ってこなかったではないか、という批判が残るかも知れない。
金融危機は非常に広範な国や経済主体に影響を与える出来事で、経済全体を俯瞰的に扱うマクロ経済学こそが解決策を提供すべきだ、と思う読者がいても不自然ではない。ではマクロ経済学は、金融危機についてどのような知見を提供してきたのか。
金融危機を十分に扱ってこなかったマクロ経済学
マクロ経済学でも、例えば、バブルの理論などが盛んに研究されてきた。しかし結論から言えば、筆者は、既存のマクロ経済学は、金融危機に対する理解や処方箋を十分に提供してきたとは言えないと考えている。これは、マクロ経済学者が怠惰であったと述べているのではない。マクロ経済学は、金融危機よりもむしろ経済成長や失業、インフレといった課題を中心命題として精力的に取り組んできた歴史がある。
1981年にノーベル経済学賞を受賞した故ジェームズ・トービン教授は、この点を的確に指摘している。2011年12月9〜10日の2日間にわたり、米エール大学はコウルズ財団と共催で、第1回エール・マクロ金融会議(Yale Conference on Finance and Macroeconomics)を開催したのだが、そのパンフレットの開催の辞にちょうど、ジェームズ・トービン教授のインタビューが引用されていた。
『大恐慌を経験したことのない世代の経済学者にとって、金融危機はちょっとした脱線(aberration)に過ぎなかった。しかし、大恐慌を経験した世代にとって、金融危機は常に強迫観念(obsession)であり続けた』。
金融危機が再びマクロ経済学者の「強迫観念」に
トービン教授が指摘するように「大恐慌を経験していない世代の経済学者たち」が金融危機を、相対的に見れば「中心的な研究課題」としてフォーカスしてこなかったことは事実として受けとめるべきである。
だがリーマンショックを経た今、再び、(マクロ)経済学者達にとって、金融危機は強迫観念となりつつある。これ自体は悪いことではない。金融危機を重大な研究課題として改めて受け止めたマクロ経済学者たちがどのような取り組みを始めているか、次回、紹介したい。
(次回へ続く)
このコラムについて
「気鋭の論点」
経済学の最新知識を分かりやすく解説するコラムです。執筆者は、研究の一線で活躍する気鋭の若手経済学者たち。それぞれのテーマの中には一見難しい理論に見えるものもありますが、私たちの仕事や暮らしを考える上で役立つ身近なテーマもたくさんあります。意外なところに経済学が生かされていることも分かるはずです。
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著者プロフィール
加藤 涼(かとう・りょう)
加藤 涼 日本銀行金融研究所企画役。1996年東京大学経済学部卒。2002年米オハイオ州立大学Ph.D.。2006-2009年、IMF政策企画審査局エコノミスト。2010年からマクロエコノミック・アセスメントグループのメンバーとして国際的な新銀行規制「バーゼルIII」の策定に参画。著書『現代マクロ経済学講義』(東洋経済新報社)は全国の大学院で教科書として採用されている。
http://icfpub.som.yale.edu/
Can Large Pension Funds Beat the Market? Asset Allocation, Market Timing, Security Selection and the Limits of Liquidity
Cremers, Martijn
Center: ICF
Publication Date: 2011-09-06
Capitalizing China: Financing Strategies for Nation Building
Chen, Zhiwu
Center: ICF
Publication Date: 2011-09-03
Irving Fisher, Debt Deflation and Crises
Shiller, Robert
Center: ICF
Publication Date: 2011-09-01
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