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http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120201
人にとっても組織にとっても、「変わる」ことは簡単なことではありません。
特に日本ではあまりに「変わる」のが難しいため、「替わる」方が「変わる」より早く起こることもあります。というか、「替わる」を待たなければ何も変わらないことさえある。
たとえば日本の大企業や公務員組織には、明らかに給料が高すぎる正社員がたくさんいます。でも彼らの給与を(下げる方向に)変えるのは非常に難しい。
だから経営者は彼らの給与は変えずに、新規に雇う人を非正規雇用に替えることにより、少なくとも今後雇う人に関しては給与を適切なレベルまで下げようと試みます。
弱者を支援する方々は「非正規社員の給与・待遇が低すぎる」と言いますが、経営者からみれば「いや、そっちは妥当な額です。正社員の給与・待遇が高すぎるだけ」というのが本音であり、労組の反対により正社員の給与を変えるのが難しいなら、労組が守らない雇用形態の労働者に少しずつ入れ替えていこう、と考えます。
今は被雇用者全体の3割である非正規雇用の比率も、そのうち7割くらいまで高まるのではないでしょうか。正社員を非正規社員に替えていくことによって、日本企業は人件費をグローバル水準に変えようとしています。しかも「解雇規制を変える」のは不可能でも、これにより「大半の従業員は解雇可能な人に替えられる」のです。
先日、電子書籍の話を書きましたが、現時点で「紙の本の方が圧倒的に読みやすい」と思う人の意見は、いくら高性能な電子リーダーが出現しても簡単には変わらないでしょう。
そうではなく、最初から電子リーダーで本を読むことに慣れ親しんだ世代がでてきて、書籍市場における主流の顧客が、“紙派”から“電子派”に替わることによって、電子書籍の売上げは増えるんです。
そういう意味では「紙の本はパラパラ読みができる」とか「デジタルなら検索ができる」などという機能比較の議論はあまり意味がありません。議論で電子化のメリットが(頭では)理解できても、特定の嗜好や習慣を身につけてしまった人が変わるのはやっぱり難しい。市場全体として主流派が替わるのを待つ方が早いんです。
この観点から教科書の電子書籍化は、「替わる」を促進するための有効な方法です。また変われない人向けには、「読むのは紙でもいいので、保管と活用は電子書籍にしましょうね」的に(紛争地帯を避けて)電子化を進めていけばいいわけです。(それについて書いたのが、こちらのエントリです。)
売れないと言われる自動車市場でも、最近は軽自動車が人気です。普通自動車はどんどん売れなくなっているのに、軽自動車の販売台数は(車離れが言われる今でも)伸び続けています。
これも、日本みたいな小さな国で日常の足として使うだけなら、今の日本の普通自動車はハイスペックすぎるし、初期投資も維持費も高すぎるってことなんです。だから本当は、普通自動車がもっと「ロースペック・格安」に変わればいいだけ。
でも普通自動車を作ってるメーカーはそんなこと絶対しない。高品質こそが日本車の売りだし、自らタタ(インド車)や軽自動車と差別化できない世界に突っ込むなんてありえない。だから普通自動車は相変わらず高くてハイスペックなまま・・・。
なので市場側が先に対応し、車が少しずつ普通自動車から軽自動車に入れ“替わる”ことにより、日本にもいよいよ「より低スペックで低価格」な車が増えてきているという構図。
ソーシャルネットワークや特定コンテンツの栄枯盛衰も同じ形で起こります。一旦、特定のサービスやコンテンツのファンになった人の多くは、長きにわたってそれを変えません。コアなファンとして精神的な愛着を感じているし、技術的・手間的にも使用サービスを変えるのは面倒だからです。
しかしながら新たにネットの世界に入ってくる人が異なるコンテンツやネットワークを選び始め、そちらが多勢になりはじめれば、人気SNSも人気コンテンツも代替りが起こります。
どの世界でも“主役”が交代するのは、既存の主役のファンが心変わりをするからではなく、新たに入ってきたファンが別のものをまつり上げていくからなのです。
そういえば最近「最低保障年金7万円」という、民主党がマニフェストに載せていた公約が復活しつつありますが、これも同じ話に思えます。
ここのところ生活保護を受ける人が急増しているのは、みなさまご存じのとおり。その数は今後も増え続けるでしょう。
というのも、非正規雇用が多くて厚生年金に入れていないロスジェネ世代が、既に40歳に近くなりつつあります。彼らが高齢者になるタイミングには、貯金も退職金もなく、国民年金もきちんとは払えていない人の多くが生活保護予備軍となります。
今、医療費を含めた生活保護費は都市部だと軽く10万円を超えるけれど、最低保障年金7万円という制度を導入しておけば、「じゃっ、それで生活保護は受けなくていいですね!」という話にできる。
生活保護費の額を今の10数万円から7万円に変えるのは政治的、社会的に難しいけど、「生活保護制度を最低保障年金制度に替えていく」なら、できなくもない、というお話。
アメリカみたいに変化の早い国では、「替わる」をまたずに「変わる」ことが多い。だから生き残れる。でも日本はもっぱら「替わる」方式なので、変化のスピードが超ゆっくり。そしてそれに安心してると、市場の変化に応じて自身を変えられない人や組織は、新しいモノにとって替られ、消えてしまうことになる。
企業も個人も同じです。変われば生き残れるのに、変わらないから替えられる。どっちがいいか、よーく考えよう。
そんじゃーね
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