31. 2012年2月02日 21:14:20
: SMHIPublHc
>29です。>問題は政府の無駄遣いだけでは有りません。 市場経済そのものに欠陥が有るのです。 そういう側面もあると思います。 その基盤はやはり政治の力が大きいと思います。 東京一極集中も愚作のひとつでした。 今回の震災でもあらわになったのは、おざなりの防災対策、おきざりにされた 限界集落でした。 新幹線や高速道路は一極集中のために整備され、東京に居住する人を中心に ある階層以上の人々は享受しましたが、限界集落に住む人々は、日常の 交通手段にも事欠くありさまでした。 なぜ、誰もが都会に暮らさなければならないのでしょうか。 地方にはただ同然で借りれるりっぱな元庁舎などが、合併によって 空室になっています。 必ずしも東京でなくてもよいものについては、地方に分散させても よいのに、と思います。原発の対策でさえ、東京にあるというのは どういうことでしょうか。 それが、なぜできないのか、よくわかりません。 >アメリカ資本主義ー拮抗力の概念 ジョン・ケネス・ガルブレイス http://hayashiland.com/galbraith.pdf#search=%27%E5%A4%A7%E6%81%90%E6%85%8C%20%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%27
にあるように現実の市場経済では寡占により超過利潤が生まれてしまうのです。 それは、わかります。 >それが設備投資に回っているうちはまだ良いが、貯蓄に回ってしまうと経済の回転が止まってしまうのです。 本来なら寡占による超過利潤を政府が再分配しなければ成らないのですが、自民党政権がそれを止めてしまいました。 先日、公務員を退職した知人と確定申告の話をしているときに医療費について その人は、自分は医療にかかっても共済に入っていて支払ったお金が 全額返るから、医療費はかからない、と言いました。 その共済とやらが、どんなものか仕組みがわからない私にはなんのことか わかりませんでしたが、わかったことは、公務員は、高額の年金をもらって いながら、医療費が返ってくる人がいるということでした。 つまり、お金が、公務員→医師→公務員、と循環しているということでした。 貯蓄でお金が動かないこともあると思いますし、こうした仕組みでお金持ちからお金持ちにお金が動いている場合もあるように思いました。 >フェルナンデスとオバマの実績を比較するには、二人を歴史的文脈において見ることが必要だ。より具体的に、二人の大統領と、二人の前任者、アメリカのジョージ・ブッシュと、アルゼンチンのネストル・キルチネル(フェルナンデスの亡夫)は、深刻な経済・社会危機に直面した。しかし、危機に対する全く逆の対応が、対照的な結果をもたらしたことが、多くを物語っている。一方は、アルゼンチンの公平な持続的成長、もう一方は、アメリカの深まり行く危機と失政だ。
アメリカは多様な人種、多様な考えの人が集まってできた国です。 多様性を認め合う歴史は、危機に直面してもその多様性の波間に生きるすべが 多様にあるということでもないでしょうか。 >1998年から、2002年までの間、アルゼンチンは同国史上最悪の社会-経済危機を味わった。経済は、景気後退から本格的不況へと、急降下し、2001年から2002年の二桁マイナス成長に至った。失業は25%以上に達し、多くの労働者階級の住宅地では、50%を超えた。何万人もの貧困に陥った中流階級の専門職の人々が、大統領官邸の目と鼻の先で、パンとスープを貰うため行列した。何十万人もの失業労働者の‘ピケテロス’(ピケ隊員)が、幹線道路を封鎖し、家畜や穀物を海外に輸出する列車を襲うものまで現われた。何百万人もの預金者から預金を奪って、銀行は閉店した。何百万人もの中流階級の抗議運動参加者達は、急進的な地区委員会を結成し、失業者の団体と連合した。アルゼンチンは大変な負債を負い、国民は、ひどく困窮した。人々の気分は革命的反乱に向かった。現職大統領フェルナンド・デラルアは打倒され(2001) 民衆反乱が大統領官邸を占拠しそうになった際、多数の抗議デモ参加者が死亡し、負傷した。2002年末迄には、何百もの破産した工場が、労働者によって‘占拠され’、乗っ取られ、運営された。アルゼンチンは対外債務をデフォールトした。この体系的な危機のさなか、2003年始めに、ネストル・キルチネルが大統領に選出され、債務支払いや、大衆運動弾圧という取り組みを否定し続けた。その代わりに、彼は一連の緊急公的就職プログラムを開始した。約半数の労働人口の基本的ニーズに答えるべく、失業労働者への支払い(月150ペソ)を承認した。
日本国内でも地方公共団体などで税金で購入していたアルゼンチン債が 紙くずとなり、問題になりました。 日本の国債が紙くずとなったときには、日本も立ち上がる気運が生まれる かもしれません。
>金融街、工場、公共建築や街路を占拠している非常に多くの運動で、一番人気のスローガンは“ケ・サ・ヴァヤン・トドス” (“政治家全員出て行け’)だった。あらゆる政治関係者、諸政党や指導者連中、議会も大統領も、徹底的に否定されていた。ただし、運動は、否定するという点では、巨大で、戦闘的で、団結していたとはいえ、こうした運動には、国家権力を掌握するための一貫した計画はなく、彼等を率いる全国的政治指導部もなかった。二年間の混乱の後、大衆は投票所に向かい、実績をあげられなければ、去れという負託をして、キルチネルを選んだ。キルチネルは、そのメッセージに、少なくとも、公正な成長という要求の部分には、耳を傾けたのだ。 ーーーーーーーーー
ブラジル、ベネズエラ、ボリビア、エクアドル、パラグアイ、キューバなどの 国々は、アメリカにこびることなく、知恵を絞り自分たちの道を歩くことをしています。貧しくても教育、医療、農業などの分野でひとのための政治が行われていることを知り、感動しました。そこには、生きる力がみなぎっているようにさえ思えます。 アルゼンチンの改革のプロセスと方法 5年に渡り最悪の経済混乱を味わった。 4年目で大統領を追い出し、6年目で新しい大統領を選んだ。 公正な成長という手法を取り入れた。
日本もこのくらい混乱しなければ改革が出来ないのかな。 大和民族よ勇気を持て 知識と情報と勇気で、この期間を短縮して欲しいよ 間違っても橋下ファッショとか石原右翼とか行かないでね。 ということです。
|