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*****主張が食い違う裏には”経済学者個人の価値観とインセンティブ”がある
―テレビや新聞などのメディアを通して、様々な経済学者が異なる主張をしています。それぞれの主張の違いを、我々はどのように理解すればよいのでしょうか?
飯田泰之氏(以下、飯田氏):経済学者にかぎらずメディアで発言している論者の意見は3つの異なる源流を持ちます。一つは、その人の学術的なバックグランド。つまりは依拠する理論体系ですね。もう一つは、その人の価値観。これは個人的に何を”善し”とするかです。最後は、その人の個人的なインセンティブ。この3つが混じっていることを、必ず意識しなければなりません。
―三つ目のインセンティブについて、具体的に教えてください
飯田氏:卑近な例をあげれば、テレビに出ている時に全面的なテレビ批判をする人はまずいないでしょう。「今後もテレビに出演したい」というインセンティブがあるからですね。これが「二度とテレビに出なくともよい」と考えている人や、あるいはテレビ批判が飯のタネになっているような人であれば、当然事情は異なってくるでしょう。このインセンティブを上手に使った、そして上手に使いすぎた例が原発村なわけです。このような直接的な利害までは行かなくとも、知人・友人・取引先を真っ向から批判するのはちょっと難しい。多くの省庁や政治団体がふんわりと論者を囲い込むときに使うのがこの手法です。若手――それこそ院生の頃から「お友達」になっておく。
第二の価値観については利害やインセンティブの外、メタにあるものです。僕は「不平等、特に貧困の大部分は運に起因している」という考え、価値観をもっています。究極的には、真面目に生まれるか、不真面目に生まれるかも含めて運。「努力する才能がある人はいいな」と思いますが、それもそのように生まれついた、育ててもらえたという意味で運と無縁ではないと考えています。ですので、「経済的な格差は自己責任だ」とする戯画的な市場原理主義的発想には与しません。高所得者と中間層の差については自己責任論もある程度の意味はあるでしょうが、貧困の問題はそのほとんどが運の問題。運の問題なんだからそれを是正するシステムがないといけない。
―では、論者の主張が食い違う場合、価値観やインセンティブの部分で食い違いが生じているということでしょうか?
飯田氏:他の学問に比べると、経済学者の場合、理論的な根っこの部分は同じことが多い。たとえば、お札を無制限に刷ってインフレにならないという人はいません。異論が出るのはその際のインフレがハイパーインフレに化けるという懸念をどの程度重視するかでしょう。しかし、ハイパーインフレになってしまうという人には、インフレーションターゲットの導入を、といったかたちで理論的に詰めていくことができる。
しかし、これはあくまで「理論的には」です。もし純粋な「経済学マシーン」みたいなものがあれば、所与の状況と目指す社会的な目標を与えてやれば、経済的に合理的な回答をアウトプットしてくれるでしょう。しかし、実際の経済学者は経済学マシーンであると同時に生身の一市民でもあります。ですから、個人的な価値観がどうしても入ってしまいます。さらには、個々人のインセンティブも働きますから、理論の外側での対立が生じてくることも多いでしょう。
―なるほど、経済理論の外部にも着目しなくてはいけないということですね。
飯田氏:そう。理論だけではなくその背後にある価値観・インセンティブまで含めて考えないといけない。さらにもうひとつ重要なのが「何を変えられる変数」と見ているかです。
現在のようなグダグダな政治状況を前提として考えているのか、それとも政治状況も動かせるものとして考えているのか。より狭い話でいえば、日銀法を改正できるという前提に基づいた政策と、現行法に基づく政策では当然対異なってくるわけです。
僕が主張しているかたちでのリフレ政策は日銀法の枠内では実現できません。なので、「現行法を変えないで」という前提で話をしている人とはどうしても意見は一致しない。たとえば、官僚は基本的に現行法の枠内での解決策を考えるのが仕事ですから、抵抗は大きいかもしれませんね。官僚あるいは官僚寄りの論者にとっては、法というのは不変の前提だからです。僕は、そういう論者がいてもよいと思いますが、「変える必要があるなら変えなければいけない」と思います。日銀法にかぎらず、「いや、○○法があるから」と反論されると、「だから、それを変えろといってるんだよ」と僕は思ってしまいますね。
現在の経済状況を好転させるにはインフレが必要です。インフレのためには金融緩和の継続がマーケットに信用される必要がある。さらに大幅な緩和が行きすぎにならないように、あらかじめ予防線を張っておく必要がある。だから法的な意味でのインフレーションターゲットが必要なのです。インフレ率1.5%までは無制限・無期限で徹底的に緩和を続ける。2%を超えたら足下の経済状況を見ながら、いまやっているように、その場に応じた政策をとる。そして3%を超えたら締める。
このような目標に応じた政策を日銀法に書けるのか、書けないのかという議論をはじめることが必要です。現行の日銀法の範囲内だと、「量的緩和の継続を日本銀行が強く主張する」というかたちにしかなりません。過去に日銀は脱デフレまで緩和継続といいながら、デフレのままで2回利上げを断行している。法的な拘束なしではそんな組織の緩和宣言を「一体誰が信用する?」という話ですね。
いずれにしても、前提として与えられた状況の変数が何なのか、という点で対立することはあります。変数が違えば、ベースの理論が同じでも主張に差が出てきます。僕は少なくとも「法律」は動かすべき変数だと考えています。また、政権党が変わればできるということであれば、「政権党」も動かしていい変数でしょう。ただ、国際環境は動かしようがない。このように、何を変数と判断するかが、主張の食い違いにつながっている場合も多いです。
******経済学の理論で話していない”経済学者”も存在する
−では、そうした様々な「主張」があることを踏まえて、飯田先生の立ち位置を教えてください。
飯田氏:その前に、そもそも「経済学」という学問を誤解している人が多いのではないかと僕は感じています。経済学者の中にも勘違いしている人がいるのですが、「経済的な利益、経済的な損得を中心に様々な評価を行うのが経済学だ」と思っている人が多い。しかし、これはまったくの間違いです。
もともと、経済学の理論的、思想的出自というのは個人主義、自由主義です。強い個人主義でいえば、「個人の意思決定が、その人にとってはベストチョイスなんだ」という考え方。弱い個人主義は、「僕よりも僕の望むことをわかっている人はいないよね、いたとしても少なくとも政府じゃないよね」という、いわばベターチョイスの考え方です。どちらでもよいのですが、こうした個人主義の考え方に立脚して、経済学は様々な問題を考えています。
この観点から経済政策に関していえば、例えば再分配について語る際に、政府がお金の使い方を決めない、つまり「市場の失敗以外のケースでは国が供給するよりも民間に任せた方がいい」「100万円のモノをプレゼントするよりも100万円を渡した方がいい」と考えるところまでは、全経済学者の共通理解といってよいでしょう。ここをはずしているのに「経済学者」と名乗っている人も結構います。哲学者や歴史家だけど日本の大学の区分上、経済学部に所属しているから経済学者という人や、学位や経歴からいってあらゆる意味で経済学者ではないけど、なぜか経済学者を自称しているという人も多いのは困った事態ですね。
−経済学理論を政策に応用していくところで、相違点が浮き彫りになっていくわけですね。
飯田氏:そうですね。次の段階として、政策を考える際には「誰の利益を最大化するか」という点をはっきりさせる必要がある。ここからが価値論なのですが、学術的な意味での経済学はなるべく価値論に踏み込まないようにします。価値論の部分は経済学の仕事ではない、と少なくとも僕は考えています。先ほどもいいましたが、「政府が100万円を使うのであれば、100万円のモノをプレゼントするよりも100万円の現金を渡した方がいい」という考えは、経済学の世界です。しかし、その前提である「100万円を渡すべきか否か」というのは、「そうすべきだ」とする価値観に依存せざるを得ないでしょう。
現在の“浅い”新自由主義者といわれているような人たちは、「すべて自由なんだから、経済的な再分配もしてはいけない」と主張する。これは経済学の世界よりも一歩踏み込んでしまっている。つまり、純粋な経済の理論から出てくる発想ではありません。
メディアで発言する経済学者の不味いところは、実は全面的に価値論に依存していることを、あたかも経済学のように語っている点です。大御所クラスの先生が自身の専門と何も関係のない話を、あたかも経済学の結論かのように語っているのに出くわすこともある。これはいわゆるリフレ派も財政再建派もナントカ派も、全員がもっと注意深くならなければならないと思います。例えば僕が「こうすると失業が減ります」と主張する。ここまでは経済学的に議論できる話題です。しかし、その次のステップ、「失業増に対する経済的対処にどのくらいお金を割くべきか……」は経済学だけでは答えは出ないでしょう。社会における失業の問題を、外交から医療までその他の問題に比して、どの程度重要視するかを決めるのは経済学の仕事ではありません。
僕はずっとリフレ論という理論を主張しています。「将来または現在のマネーが増えるとインフレになる」。これはほとんど恒等式のような話なので学者の間で食い違うことはないと思います。そして、インフレになると賃金が下がります。より正確には、賃金が下がるというよりも、賃金が一定で物価が上がりますから、実質的な賃金が下がることになります。
ここからは価値判断が混じります。インフレによる実質賃金の抑制で失業を減らすというのは、「失業者のためにいま勤めている人はちょっと我慢すべきだ」という価値観に基づく提案になっているのです。そのちょっと我慢してもらった分が失業者に回ります。つまり、「少し分配をしてくれませんか」という、完全に僕の価値観による提案なわけです。具体的には、5%の人が失業によって”痛み”を100%負担するよりは、全員で給料が2%下がることを受け入れて、何%かの労働者を救ってくれませんかという話です。
*****消費増税の”痛み”は失業者に集中する
―現在、消費税の増税をめぐる議論が白熱しています。増税については「増税をすると景気が停滞してしまう。だから経済成長が先で、その後で増税すべきだ」という主張がある一方で、「経済成長なんて待っていたら、財政が破綻してしまう。だから、とりあえず増税しなければだめだ」という主張があります。このような主張の違いは、どのように理解すればよいのでしょうか。
飯田氏:増税に”痛み”が伴うということは間違いありません。その” 痛み”が平等に負担されるのであれば、僕はある程度の増税は仕方ないと思っています。しかし、増税により景気が悪化することの痛みは、「失業」というかたちで数%の人に集中することになります。他方で、多くの人にとっては「税金が高くなったなぁ」というぐらいの” 痛み”でしかないでしょう。
つまり、消費税増税の”痛み”というのは、5%税率があがることだけではないのです。それによって失業者がでること、いま現在、最低限の生活を賄うことにも窮している人々に負担が集中してしまうことなのです。職を失う人たちに負担が集中し、彼らが一番困ってしまう。ですから、仮に痛みが集中するごく一部の人のことを考えないのであれば、「増税によって財政を再建しよう」という主張はある程度正しいと思います。安定した職を持っている人にとってはたいした痛みじゃないですよ、5%の消費税増税は。そりゃ嫌ですけど、致命的ではない。「絶対に嫌か」、と聞かれれば「そうでもない」という話になると思います。
―そうした「数%の人間」を切り捨てることを容認すれば、消費税増税によって財政再建は可能ということですか?
飯田氏:可能だと思いますよ。さらにいうのであれば、その状況で財政措置も景気対策もやらない。増税で”痛み”が直撃する層のことは考えないといい切れるのであれば、財政再建は可能でしょう。僕はそう思わないので、現在、低所得者層への措置も何も決まらない状態での増税先行は反対です。そして、5%の負担増が消費の抑制に、つまりは景気の悪化に結びつきやすいデフレ不況の状況下での増税には賛同できない。
―「その痛みが集中してしまう層」を切り捨てず、どう助けるかという話は「経済学」とは離れた政策論になってしまうのでしょうか。
飯田氏:いや「助けるべきか否か」を決めることが、経済学の外の話だということです。「助けるべきか否か」を決めるのは経済学者の仕事ではない。決めるのは、国会あるいは世論です。仮に「助ける」という前提で考えるのであれば、「そのための効率的な方法を探してください」という依頼を受けるのが経済学者の仕事です。
例えば、「貧しい人が出たら救わなければなりません。どうしましょう」というオーダーに対しては、現行制度でいえば「職業訓練付き失業給付」と「生活保護」を提示します。あるいはもっとお金が掛かりますが、財政出動をして景気対策を実施します。「お金が掛かりますが、それでもいいですか」とは思いますが、「それでいい」といわれてしまえば、経済学者として、それ以上僕にいえることはありません。
―「弱者を助けましょう」という話になった際に、生活保護や景気対策を行うと政府の支出が増えます。じゃあ、その支出はどこで補うのか、という話になると思うのですが。
飯田氏:増税でしょう。すると、増税によって景気が悪くなる。それをまた増税で補う(笑)。公務員給与や年金が高すぎたことが発端なので、多少事情は違いますが、ギリシャはそうやって財政破綻したんです。ギリシャは破綻する2年前に消費税率を上げています。増税と対策を繰り返している間に、ギリシャは消費税率20数%にもかかわらず、まるで収入が足りなくなってしまった。気づいたら、ただ税率が高いだけで税収が集まっていない状態に陥って財政が破綻したのです。
つまり、税率には「上手なあげ方」というのがある。財政再建には効率的な方法があるわけです。増税先行で財政再建が成功した国というのは実はレアケースです。その理由は、先程は価値論といいましたが、通常は近代国家で「景気が悪化して何もしない」という選択肢はそもそも不可能でしょう。現代でそれができるのは中国と北朝鮮ぐらいじゃないでしょうか。
だから逆に考えて「いまはちょっと増税は無理でしょう」と僕は思います。特にこれから増税要因だけでなく景気は悪くなる。その中で「何もしない」という選択肢はありえませんから。
*****インフレを起こすことが景気対策になる
―しかし、増税と引き換えに「景気対策として、○○をやります」という話は聞こえてこないように思います。どのような景気対策が考えられるのでしょうか。
飯田氏:円安にするしかないでしょう。これは基準次第なのですが、よく使われている基準だと1ドルが100円台後半、107、8円で、先進各国、ヨーロッパやアメリカと日本の物価がそろうのです。せめて、そこまでやるべきでしょうね。
―円安にするには、「日銀が大量にお札を刷ればいい」という話になると思うのですが。
飯田氏:足下でどう緩和しても効果は薄いでしょう。だから「継続へのコミット」が重要になる。一番いい例はスイスの中央銀行です。無制限介入を宣言し、主要閣僚がその宣言を裏付ける言動を繰り返し、その結果たった1ヶ月で2割以上スイスフランを切り下げたという例があります。
―通貨を大量に発行することでインフレを起こすと、コントロールできなくなる恐れがあるという指摘もありますが、これに対してはいかがでしょうか。
飯田氏:冒頭でも触れましたが、インフレーションターゲットと組みあわせれば解決できます。長期的に見てインフレーションターゲット政策に失敗した国は、まだないのです。失敗例がないから大丈夫といってしまうと、原発の安全神話のような話になってしまいますが、少なくともほかの案とくらべて未だ失敗したことがない制度を導入しない理由は僕にはわかりません。これについては徐々に賛同してくれる政治家も増えてきていますが、変動相場制の国でインフレーションターゲット理論を採っていない大国は事実上、日本とアメリカぐらいです。
繰り返しになりますが「インフレ率が1.5%を超えるまではジャカジャカお札を刷ります。2%超えそうになったら警戒します。3%を超えたら締めに回ります」と宣言する。このような明確な目標を含む法を整備し、政府が日銀に具体的な目標水準を指示する。閣僚・霞ヶ関幹部・日銀幹部も評論家的なシニカルな物言いではなく、その完遂を裏付ける言動でのぞむ。すると市場が「ああ、この国は3%以上のインフレを許さないんだ」と思って信用してもらえる。
信用というのは非常に重要です。少なくとも日本は、国会で法として通ったものが守られないかもしれないという国ではない。日本が法治国家であるという点についてはまだ十分安心できると思います。官僚も法として通ったものを破ることはできないし、しません。そのため、インフレーションターゲットを明文化した法として行うというのが一つの方法です。
また、インフレーションターゲットを採用する際には、責任者の任免権をつけることが重要です。例えば、何期か連続して上にも下にも、ターゲットゾーンを守れなかった場合、執行部を解任するという条項です。イギリスの場合は、釈明の機会があるのですが、まだその発動例はありません。戦争やオイルショックが起きたら多分守れないと思いますが、その場合は「しょうがないだろ、ターゲットゾーンを守れないのは」という話になるわけです。
日本において、特にデフレに関しては、「デフレになっても仕方ない」という外的なショックがあったわけではないんですね。そう考えると、もしそういう法律があったとすれば十分な解任事由になると思います。
―「信用」を制度的に担保するということですね。
飯田氏:そう。最近、日銀はよく「インフレーションターゲットをやってます」といいます。「じゃあ法律に書いて明文化しましょうよ」というと、「いや、それは」という。これははっきりいって、非常に矛盾した態度です。たまにインフレーションターゲットみたいなことをいうんですね。「1%ぐらいの物価上昇率が望ましい」みたいな発言です。では、その目標値を達成できなかったとき、どうするんだ、という話になった時に、「せめて責任を取って辞めるぐらいのことはやろうよ」と思うわけですが辞めないんです。
考えられませんが、仮に何らかの理由で物凄いオイルショックが起きて、大変な物価上昇率になったとしましょう。あるいは、量的緩和が効きすぎて、インフレ率が5、6%になったとします。この時、現状の日銀のガバナンスで行けば、「いろいろあって大変だったから」といって、誰も責任を取らないわけです。となれば、市場から、「この国は、インフレ率が5、6%超えても止めない」と思われて信用が失われてしまう。こうなるとまさに先に心配された金融緩和が効き過ぎてハイパーインフレにという話が現実味を帯びてくる。上下両方での目標と結果責任条項をつけるということは非常に重要なのです。
現在の日本には、明確に法制化されたインフレーションターゲットの導入が必要です。インフレの上限を設けた上でリフレーションは行わなければならないと僕は考えています。さらにいえば、インフレが進みつつある時期というのは、消費税増税が非常に効果的なんです。好況下では消費増税の代替効果――税が上がる前に消費しようというインセンティブが強く働きますから、段階的消費税引き上げは税収確保の好機です。むしろインフレ時には、ぜひ消費税増税をしなければならない。景気も良くなり、財政再建もできてしまうというわけです。
やはり経済政策の順番としては、とにかく円安とインフレ。そうすると最小限の痛みで済む。最小限の痛みというのは、集中的な負担を負う人がでない状況でやるべきということです。でなければ、5%の消費税増税で、確実に財政が健全になるかというと、現状では多分ならないでしょう。
―順番を間違えなければ、消費税増税による財政再建という道筋自体は間違っていないと。
飯田氏:現在の税収構造を見てみましょう。いま消費税率が5%で、消費と住宅投資全体が約300兆円ですから、本来であれば5%で15兆円、そのうち国税が4%ですから12〜13兆円集まってないとおかしいのですが、結局10兆円以下しか集まっていない。2兆円以上の漏れが出ているということになります。
そんな漏れだらけの状態で消費税を上げていいのかといえば、かなり問題がありますね。納税者番号制にして、きちんと補足して、” 漏れがない”状況にしてからやらなければ厳しいと思います。漏れがない状況にしてから、消費税という網を打てば、しっかりと徴収できる。
いまは” 下手な鉄砲を数うちゃ当たる”的な発想で、税率を上げれば税収があがるというやり方なので、真面目に税を納めている人をバカにしたやり方ともいえます。しっかりと補足してやれば、いまの段階で最大で3兆円近く税収があがる。そうしたシステムを整えた上で、10%にしたら、結構な財政再建になると思います。
ただし、消費税を上げるときの大きな注意点は、やっぱり「逆進性」があるということです。誰がどういおうと、逆進性はあります。なぜならば、貧しい人は貯金の余裕がなく、全部使っている。そういう人たちにはいますぐに負担がかかる。「いま困っている人」に「80年生きたら、損得ゼロになりますよ」というのはナンセンスです。そこまでどうやって生きているんだ、という話ですからね。
*****景気対策を実施しても官僚や政治家は”得をしない”
―そこまで明確な方法論がありながら、政策として実施されないのは何故でしょうか。
飯田氏:一つは、インフレは資産家が非常に忌避する政策であること。資産家というとロスチャイルド家みたいなイメージがありますが、日本の場合、高齢プチ資産家つまり金融資産を5千万円ぐらいもっている60、70代ぐらいの層を指します。ここは非常にボーティングパワー(投票力)があるので、政治家は無視できない。
これはまた価値観の話になってしまうのですが、ケインズは「何も働いていないのに裕福に暮らしている層――すなわち有産階級を安楽死させる方法としてのインフレ」について考えていました。具体的には、インフレによって彼らの資産を年率数%ぐらいずつ削っていくというわけです。国がとって分配するのではなく、現役世代はインフレと好景気というかたちで享受する。
しかし、ケインズは、自分が投資家だったこともあって、リスクマネーをとっている、つまり株式を持っている人の利益は正当だと考えていたようです。当時、イギリスなどには、国債だけを保有することで、生活できてしまっていた人たちがいました。「こいつらは何もしていない」「何の役に立っていない」とケインズは攻撃したんです。彼らは、ビジネスの原資も出していなければ、自分でビジネスもやっていない、労働者でもない。そんな人がいい生活をしているのは、倫理的におかしいだろうと主張したわけです。これは完全に価値論です。
それに対して、どういうかたちであれカネを持っている奴が勝ち、遠い昔に稼いだ金で生き残る「アリとキリギリス」のような話を持ち出す人もいますが、僕は「そうではないだろう」と思うんです。先にもいいましたが、僕は人生は運に左右される部分が大きいと思っている。だから、運によって生じた格差は埋めるべきだし、いつでも次の運次第という状況にしておくべきだと思うんです。
例えば、卒業年次が一年違う、いつ就職活動をするのかだけで、生涯所得が決まってしまうような状況で決まった所得格差が、ずっと引っ張られるというのは、だれが考えてもおかしな話でしょう。そして生涯所得が違えば資産も違って当然です。その資産格差を自己責任論で語ることは適切ではない。マイルドなインフレによって、ただ貯めている人は少しずつ損していく、というのがちょうどいいんじゃないでしょうか。
―政治家は民意によって選ばれた人たちです。官僚や、官僚に助言する経済学者の方々も基本的に「頭の良い人たち」だと思います。そうした頭脳が集まって議論しているにもかかわらず、何故よい解決策が出てこないのでしょうか。
飯田氏:政治家や官僚、学者にとって、景気が良くなっていいことなんかたいしてないですからね。票にもならないし、官僚も学者も給料が上がらない。むろんもっと景気が悪くなって欲しいとは思っていないでしょうが、その解決のために全力を投入しろというのは難しいでしょう。経済学者という論者としての立場を無視していいのであれば、僕も「デフレっていいな」と思います。僕個人の収入という面でいえば、デフレで悪いことはたいしてないですからね。繰り返しますが、不況によって絶対的な打撃を受けるのは、失業によって苦しむ人たちだけです。一方、好況期には不安定な職の人も救われますが事業家はもっともうかる……いずれの両極端ケースにも政治家・官僚・学者は出てこないのです。
*****日本は世界大恐慌時と同じ状況に立たされている
―最後に2012年の世界経済の動きについて教えてください
飯田氏:まず欧州の問題ですね。そもそもEUROという形態には無理があった。経済水準が違う国同士が同じ通貨を使って、同じ金利になっていたというのは異常事態です。つまり同程度の経済環境のところでしか通貨というのは一つにできない。それを無理やり一つにしようとすると破綻がおこる。しかし、EUROという形態を分裂させることはまずできないでしょう。やるとすれば、ギリシャの切捨てですが、それも根本的な解決にはならない。
EURO危機が起きて、欧州の金融機関と米国の資産家が壊滅状態にある。一方、日本の企業がつくっているのはハイエンド品、「良くて高いもの」です。そうなると世界大恐慌の時と、非常に良く似た状況に陥るわけです。
世界大恐慌の影響を日本が大きく受けた理由として、当時の主要産品が絹織物だったことがあげられます。ぜいたく品ですから、紳士淑女が集まってパーティーをしてくれないと消費されないわけです。綿も作っていましたが、インド、中国に押されていましたし、日本国内でいえば、利ざやが薄いのであまり資産家の受けも良くなかった。
これと同じでハイエンド品というのは「なくても大丈夫」なものですから、世界的にハイアール、ヒュンダイでいいとなれば、日本企業は困ってしまう。その意味では製造業は非常に厳しいでしょう。ただ、今年は震災によって国内に莫大な買い替え需要が生まれている。それでトントンの2%の成長ということになるでしょう。非常に不適切ないい方かもしれませんが、更新需要が生まれているという意味で、「震災に助けられる」部分があるともいえます。
―逆にいうと、何も景気対策を打たなくても2%の成長がある。その成長を政治家が、自分たちの手腕だと主張する可能性もあるということでしょうか?
飯田氏:それは多分、いや間違いなくあると思います(笑)。国内に需要があることは確定しているわけですから。ちなみに、公共事業に再分配の効果がなくなる大きな理由は、用地買収費の比率が高いからなんです。そもそも資産の売買は付加価値(GDP)を産みませんし、地主は基本的にお金持ちですから、彼らにお金を回しても余り使わない。土地という資産が現預金という資産に置き換わっただけですから、使うためのインセンティブが働かないのです。
その意味では、東北の復興は、事業費イコール総事業費になるので再分配としては効果的です。さらにいうのであれば、財政政策として公共事業をやるのであれば、設備更新に使うべきでしょう。日本中で、かなりインフラが痛んでいる部分があります。ボロボロでも放置してある道路がありますから、それらの更新に使うべきでしょう。先日首都高の大規模改修の計画が出ましたが、これは非常に効きやすい公共事業と言って良い。
ただし、総額としての財政政策が効くかどうかは、同時にどのような金融政策姿勢がとられるかに大きく依存します。公共事業の拡大がマネーの増大を伴わないなら、それは金利上昇・円高圧力になります。これではせっかく財政政策で拡大した需要を円高で縮める――ただの行ってこいになってしまう。財政再建においても、景気対策のための有効性ある財政支出についても、前提となるのはインフレへの転換です。大元の解決が出来ていない状態では、その他の何を解決してもまた別の問題を生じせしめるだけに終わってしまう。その意味でまずはデフレ脱却というのが僕の主張なのです。(飯田泰之)
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