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@ 株の理念
本来の株は、有望な事業があるのに資金が足りない、あるいは、大資金が必要だが全然足りない。そういった場合に資金供給する手段として発展した。
(また、閉鎖的な事業組合的なものには「出資証券」という株の一種が発行されただろう)。
A 昔、株は金の成る木だった。高配当・無償増資・額面増資という株主への「お歳暮」。
(ある実話)
昔の日本では1株は額面が50円だった。そこで、証券市場で1株200円で1千株を20万円で買った。
会社の急成長によって、配当され、それでも余る場合には無償増資がなされた。
(資本金の無償増資は対外的な信用の拡大になるし、会社を支え、暖かく見守ってくれた株主への経営者からのプレゼントでもあった。もちろん、増資による株券の増加に対しては、一時的に「配当落ち」として株価は下落したが、数ヵ月後には以前よりも高くなった)。
数十年を経て、1千株の株券が、気が付くと1万株に増えており、株価は3000円になっていた。そこで、株を売却して3千万円を手に入れて、それを基にして家を一軒建てた話がある。
B 昔の株取引は(実質的に)無税だった。
平成元年(1989年)以前は、数十回売買したり、多額の売買で無い限り、実質的に無税だった。
今は、所得税が課せられ、取引時には消費税もキッチリ取られている。さらに、無職のデイトレーダーは国保に加入するため、多額の国保税が取られているだろう。
C 増資と株主軽視
最初は無償増資・額面増資だったものが、時価発行増資に変わり、悪名高い「ワラント」なるものも登場した。さらに、経営陣は「第三者割り当て」とかで既存株主の権利を剥奪するような行動を取るようになった。
最悪な経営陣は『MSCB(「転換価格修正条項付の転換社債型新株予約権付社債)』に走って、会社をボロボロにした。
(もっとも、会社が傾いてボロボロになったから、禁じ手のMSCBに走るわけであり、それは『融通手形』も似たような構造かもしれない)
D かくして、株は博打のサイコロに変わった
株主とは、デイトレーダーにとって、買ってから売るまでの数時間、あるいは数分の短い間の身分に過ぎず、彼らには配当も増資も無縁の世界である。
株券とは、デイトレーダーにとって、銭儲けの「玉(ぎょく)」に過ぎず、何でも構わず、明日つぶれる会社であっても構わないのだ。
E 株式会社に何の意味があるのだろうか
言うなら、「有限責任」「無責任」ではないだろうか。
個人事業主・零細企業主は無限責任であり、手形を発行する場合には代表者の裏書を求められ、銀行借入には代表者の連帯保証が求められるという。
それに引き換え、(代表訴訟でもされない限り)大企業の経営者は責任を負わない。彼らにとって、株式会社とは無責任の塊であり、有限責任というのが本質なのかも知れない。
そしてまた、彼らは国境を越えて多国籍企業となって、母国から身も心も離れてゆく。
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