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17世紀にガリレオ・デカルト・ニュートンらによって近代科学が成立します。
ところが、この時代は科学だけではなく、デカルトの自我を原点とする思想「我思う故に我在り」やホッブズ・ロックの社会契約説が登場し、イギリスの名誉革命による近代民主主義が制度化されました。また、中央銀行制度(イングランド銀行)が設立され、金融勢力による国家支配の仕組みが確立しています。
このように、近代市場社会の制度や思想が確立したのが17世紀の欧州です。
このことは、近代科学も民主主義も金融勢力支配も同根であることを示唆しています。前稿「近代科学の成立過程」では、数学的形式に当てはまるように捏造した、現実には存在しない架空観念の体系が近代科学であることを提起しました。
そういう意味で、近代科学も自我と架空観念に基づく近代思想と同根です。
★では、この時代に何があったのか?
16世紀の約百年間に、欧州の物価は数倍に跳ね上がり、このインフレによって、額面固定の地代に依存する封建領主・貴族は没落し、金貸しからの借金で首が回らなくなった。金融勢力が繁殖してゆく過程である。
かつ、17世紀の欧州は小氷河期と言われるほど平均気温が下がり、農業生産に深刻な影響を与えた。そして、17世紀欧州は戦争と殺戮の時代を迎える。
***17世紀の主な出来事をまとめると、
1600年 イギリスが東インド会社創設
1618〜48年 ドイツ三十年戦争
1620年 フランシス=ベーコン『ノヴム=オルガヌム』
1633年 ガリレオ・ガリレイ、地動説を唱え異端裁判で有罪判決
1637年 デカルト『方法序説』
1640年〜 イギリスピューリタン革命
1648〜53年 フランス貴族の反乱(フロンドの乱)
1651年 ホッブズ『リヴァイアサン』
1652〜74年 第一次英蘭戦争
1661年 ニュートン、万有引力の法則
1687年 ニュートン『プリンピキア』
1688年 イギリス名誉革命
1689年 イギリスで権利章典公布 英仏戦争開始(第2次百年戦争)
1690年 ロック『統治論』
1694年 イングランド銀行設立
1696年 ニュートンが造幣局監事に就任(1699年には造幣局長官に就任
このように英・蘭・仏による植民地の争奪戦争をはじめとして至る所で戦争や反乱や革命が激化しているが、欧州社会に最も深刻な影響を与えたのがドイツを中心に行われた三十年戦争である。そこには欧州各国が参加し、ドイツを中心として欧州大陸が全域が戦場となった。そこで中心的な兵力となったのが傭兵である。
三十年戦争のような長期の戦争になれば、ずーっとひっきりなしに戦闘がつづいているわけではなくて、だいたい大きな合戦が一つあったら、しばらくは中休みがあります。なぜかというと、諸侯や皇帝は常に莫大な給与を傭兵たちに払い続けられないからです。一つ合戦をやったら資金が底をつくから、傭兵を首にします。資金がたまったらまた傭兵を雇って合戦をする、そういうサイクルで動いています。
傭兵にとっては、戦争が長引けば長引くほど仕事がつづくわけだから、合戦の時も八百長試合もする。勝利の直前に戦闘を中断して、雇い主に賃上げを要求したりもしました。とにかく、兵士としては質が悪い。
カトリック側で傭兵軍を率いたヴァレンシュタインは、兵力提供と引き換えに皇帝から占領地における徴税権を手に入れ、そのおかげでヴァレンシュタインに投資していた金貸したちは、資金回収の目処がたつようになった。また、このシステムのおかげで傭兵たちは解隊(失業)と食いはぐれの心配がなくなり、ヴァレンシュタインは強力な傭兵軍を組織することができたという
三十年戦争で破産寸前に陥ったドイツの諸侯は、有能なユダヤ人に財産管理を任せたばかりか、徴税を請け負わせ、戦争が起これば武器、傭兵を調達させた。神聖ローマ帝国内の200近い領邦のほとんで「宮廷ユダヤ人」が活躍したという。
★そして、宮廷ユダヤ人をはじめとする金融勢力が、国家に対する支配力を増してゆく。
★『るいネット』「西欧近代:宮廷ユダヤが王族への借金をカタに近代国家システムを形成」にあるように、まず、国王や諸侯に戦争をけしかけ、金を貸す。次に、借用証書(国債の原形)をカタに徴税権や、紙幣発行権を得て中央銀行を設立する。1694年設立されたイングランド銀行である。
17世紀とは欧州全域で第2の略奪闘争が繰り広げられ、自我・私権が暴走した時代(狂気の時代)である。
そこで自我の暴走装置である民主主義が制度化され、金融勢力による国家支配(中央銀行制度)が確立した。
同時に、大砲という軍事技術の要請から弾道学・機械学が発達し、ガリレオ・デカルト・ニュートンらによる17世紀科学革命が起こった。この過程は今後、紹介するが、17世紀の科学革命もこの自我・私権の暴走と無縁ではないだろう。
山本義隆氏の提唱する「16世紀文化革命」は確かに17世紀科学革命の土台ではある。しかし、17世紀科学革命はその自然観において大転換をしている。
「近代科学の成立過程1」で紹介したように、16世紀の職人たちは自然に対する畏れを抱き人間の技術は自然に及ばないと考えていたが、17世紀の科学者たちは科学と技術で自然を支配できるという自然観へ転換した。その代表が、新しい自然科学は、人間が自然を支配し自然力を使役するためのものでなければならないとアジったフランシス・ベーコンである。
17世紀の科学者たちは自然に対する畏怖の念をかなぐり捨て、自然からの収奪に向かって暴走を始める。それは、自然対象を実験という拷問にかけて自然法則を白状させるという攻撃的な実験思想から始まって、原爆・原発の開発に至るまで一貫している。
★この近代科学の転換(暴走)を促したのは何か?
それを考える上で、17世紀欧州の略奪闘争と6000年前の略奪闘争との違いに着目する。6000年前の略奪闘争→戦争は力の原理によって制圧され武力支配国家が登場した。そこでは力の原理によって自我・私権が一定封鎖されたのに対して、17世紀には既に国家は出来上がっており、かつ市場が繁殖していた。17世紀の略奪闘争に点火された自我・私権は市場に可能性収束し、市場の側から国家に対する私権要求を強めてゆく。
例えば、イギリスの民主革命でもフランス革命でも、民主主義の成立過程では私有(財産権)の不可侵が謳われている。
つまり、民主主義制度は私権確保の軸上で、自我⇒私権要求に応えて成立したものであり、それを正当化したのが社会契約説である。
実際、ロックの社会契約説では「自然状態下において、人は全て公平に、生命、財産(所有)、自由の諸権利を有する。政府は諸国民のこの三権を守るために存在し、この諸国民との契約によってのみ存在する。政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権をもって政府を変更することができる」と宣言している。
これは、★まるで「私権要求に応じなければ国家を転覆することも辞さない」という恫喝である。
★イギリスでは1688年名誉革命からわずか6年後の1694年に中央銀行制度が確立し、金融勢力が紙幣発行権を独占し国家にお金を貸すという、無から有を生み出す仕組みによって、その後の国家は借金漬けになって、金融勢力に支配されてゆく。
この経緯から考えて、イギリスの民主革命とは金融勢力が中央銀行(イングランド銀行)を制度化するために必要であったのではないだろうか。
中央銀行制度とは金融勢力が国家を収奪(支配)する仕組みであり、社会契約説や民主主義は、金融勢力が国家を収奪(支配)することを正当化する思想であると言っても過言ではないだろう。
同様に近代科学は、人間が自然を収奪(支配)することを正当化した観念であると言っても過言ではない。
このように、民主主義(社会契約説)も近代科学も、収奪(支配)の正当化観念であるという共通項がある。
17世紀の第2の略奪闘争によって欧州全体で暴走した自我・私権が市場による収奪(支配)に可能性収束した。国家から収奪するための正当化観念が民主主義であり、自然から収奪するための正当化観念が近代科学である。
そこでは科学者の自我も肥大して自然に対する畏れを捨て去り、金融勢力の手先となって、近代科学の暴走も始まったと考えるべきだろう。
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