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JP モルガン証券株式会社
北野一
明治維新は、一種の通貨統合であった。「山縣有朋の挫折」(松元崇、日
本経済新聞出版社)に次のような記述がある。「江戸時代の300 諸侯は、
今日の感覚でいえば「独立国」だった。藩は、藩札という通貨を発行し、外
国からも借り入れを行い、また、専売を含む勧業奨励や軍(藩士)の維持な
どを行っていた。それは、通貨統合前のEU諸国のようなものであった」。
江戸時代の300 諸侯がEU 諸国であるならば、円はユーロである。日本
の通貨単位である円は1871 年(明治4年)に制定された新貨条例で定めら
れたものだ。では、140 年前の通貨統合は何の混乱もなく、スムーズに定着
したのであろうか。
明治維新は、単に人が変わっただけの政権交代ではなく、政策転換でもな
く、システムを根底から変革する体制維新であった。こうした体制維新の全
体像は、当事者であっても描ききることは不可能であった。実際、「明治維
新期に活躍した坂本龍馬や勝海舟は、徳川幕藩体制に代わる国家像とし
て欧米式の群県制国家を構想していた。…他方、町村に代わる地方の姿の
構想は持っていなかった。そもそも、そのレベルでの変革が必要との問題意
識自体がなかったという」。
むろん、徴税制度も未整備であった。戊辰戦争等の出費から借金漬けでス
タートした明治政府の喫緊の課題は、「藩が握っていた財源の中央への吸
い上げであった」。なにやら、欧州の財政統合を彷彿とさせるような話しであ
る。因みに、「1869 年度(明治2 年度)の明治政府の予算の大半(2977 万円
余)は太政官札発行や借り入れで賄われ、地租などの収入は466 万円に過
ぎなかった」という。国家の存亡が危惧されるほどの財政状況であった。
こうしたなか、1871 年(明治2 年)には版籍奉還に伴い「置米金(おきべいき
ん)制度」が導入され、藩で必要な収入以外を政府に納めさせることにした。
さらに、1873 年(明治4 年)に廃藩置県、そして1875 年(明治6 年)には秩
禄処分という、今で言うなら地方公務員の大リストラを行うなど、明治政府は
財源確保に躍起になっていた。度重なる「改革」に疲れた民衆の気分は「天
下の人心政府を信ぜず、怨嗟の声路傍に喧々、真に武家の旧制を慕うに
至る」というものであった。
それが西南戦争という内戦に至る背景だ。西郷隆盛を盟主にして起こった
士族(武家)による武力蜂起である西南戦争は明治維新から10 年目の
1877 年に始まった。結果的に、西南戦争に勝利したことにより、明治政府
の威令は全府県に行き渡るようになるが、当時としては、明治政府の先行き
がずいぶん危ぶまれていたのではないか。ちょうど、欧州の通貨統合から
10 年を経て発生したギリシャ危機のように。
現在の歴史の教科書においては西南戦争の記述は数行に過ぎない。ただ、西
南戦争を現在進行形で経験したならば、我々は明治政府の先行きに対してど
のような見通しを抱いたのであろうか。情報が錯綜し、悲観と楽観に一喜一憂
を余儀なくされていたのではないか。イギリスの外交官、アーネスト・サトウの日
記に基づく「遠い崖13 西南戦争」(萩原延壽、朝日新聞社)に当時の混乱ぶり
を見てみよう。
西南戦争勃発直後に、サトウは旧知の勝海舟を訪ねた。勝はこういったという。
「政府側のつたえる政府軍勝利の報道はみなでたらめだ。…武器弾薬は引き
続き鹿児島から西郷軍のもとに送られている。西郷軍は金を必要としない。米
は肥後に豊富にあり、農民を味方にしているからだ。…この内乱を阻止するた
めに必要なものは何か。それは大久保と黒田の辞職に尽きる」。これをサトウか
ら聞いた英国公使のパークスは悩む。「閣僚の何人かが辞めない限り、この争
いに収まりがつくかどうか疑わしい。しかし、これは閣僚を辞めさせる合法的な
やり方ではないし、現在権力の座に在る者たちは、それを手放すつもりなど毛
頭ないようである。そうだとすれば、この内乱はいつまでも続くのか」と。
まるで、現在の欧州債務危機を眺める市場参加者の気分である。最近の日本
経済新聞の「株式往来」欄から、市場の一喜一憂ぶりを抜き出してみよう。11
月23 日(水)「東証では主力株の一角が引き続き売られ、日経平均は連日で年
初来安値を更新。フランス国債の利回りが上昇するなど欧州債務危機の波及
が止まらず、市場心理を冷え込ませている」。11 月30 日(水)「欧州債務危機を
巡る新たな対策への期待が相場を支えた」。12 月3 日(土)「来週後半に欧州
連合(EU)首脳会議を控え、債務問題に関する具体的な危機収拾策を見極め
ようとのムードが強かった」。12 月8 日(木)「週後半に相次ぐ欧州連合(EU)首
脳会議や欧州中央銀行(ECB)理事会で債務問題の進展に向けた対策が出る
ことへの期待が広がっている」。
これは、世紀単位の体制維新において、数年単位で続く動揺を、現在進行形
で経験すると、こうなるものかという一つの例証かもしれない。繰り返すが、体制
維新において、細部に至るまで、設計し尽くすことは不可能だ。時の勢いを背
にした見切り発車は不可避であろう。むろん、その矛盾は事後的に噴出する。
それも含めての体制維新だという大局観も必要ではないか。市場のセンチメン
トは楽観から悲観へと日替わりであるが、100 年後の歴史の教科書では1行の
記述で終わる出来事かもしれない。むろん、こんなことを指摘したからと言って
何が変わるわけでも分かるわけでもないが、ギリシャ危機は、西南戦争に見え
て仕方がない。紆余曲折はあったものの、円という新通貨は、今年が140 年目
である。
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