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前回まで、成熟日本において国民が安心して生活を営むことができる安定した社会を実現するためには「分配論」を軸にした政策体系へ転換を図ること必要があると説明してきた。
「分配論」の切り札、ベーシックインカム(BI)
今回は、国民の生活を保障し、公平かつ公正な社会の基礎的インフラとして注目を集めているベーシックインカム(BI)について考えてみよう。「分配論」の切り札とも言える政策だ。
BIとは、「すべての国民に対して、(働かなくとも生活できる程度の)一定のお金を無条件で給付する制度」である。
ポイントは、
(1) 年齢とか性別とか、その他の様々な属性や境遇に関係なく、「全員一律」であること。
(2) 働いていようが、働いてなかろうが関係なく、「無条件」であること。つまり「働かざる者、食うべからず」ではないこと。
(3) 給付されたBIは子供の教育に使おうが、パチンコに使おうが自由にできる、「現金給付」であること。
の3点である。
この3つの特徴から分かるように、BIは現行の社会保障、社会福祉の制度とは、考え方も仕組みも根本的に異なる制度である。現行の社会保障制度は、生活保護にしても、失業保険にしても、高齢者への年金にしても、一言で言うならニーズ対応型である。それぞれの個別の事情によって生活が困難な人に対して、それぞれの必要に応じて必要な現物給付と金額を選択的に配布しようとするものである。
では、現行の制度があるにもかかわらず、なぜBIという考え方が登場し、注目を集めているのか? そこには、思想/理念的な理由と、制度としての合理性/有効性の観点からの理由がある。
社会正義の3つの要件
まず思想/理念的な面から説明していこう。一言で言うと、BIは民主主義社会における社会正義に基づいている。では民主主義社会の正義とは何か? それを示してくれるのがジョン=ロールズによる「正義の原理」である。
「正義の原理」とは、
(1) 個人の自由が全員平等に尊重されていること。
(2) 機会の平等が全員平等に与えられていること。
(3) 所得や生活水準を含め様々な格差がなるべく小さいこと。
の3条件である。そしてこの3条件は(1)、(2)、(3)の順に優先される。
この“正義の原理”に照らして現代社会のあるべき姿を考えると、(1)の自由と(2)の機会の平等を十分に確保した上で、(3)の格差の極小化を一層図る必要がある。
(1)自由と(2)機会の平等をうたった自由民主主義社会であっても、生まれた家の所得や資産によって実質的には機会の平等が阻害されているのが現実である。それがひいては学歴格差や能力格差となって、貧しい人たちの職業選択の自由やライフスタイルの自由すらも阻んでしまっている。この現象は、日本においても現実化している。これまでのコラムで指摘して来たところである。
社会正義を実現するための分配論がBI
こうした問題に対処しようとする1つの処方箋がBIなのである。本人の努力や資質と全く関係なく、結果としての完全平等の仕組みを指向してしまうと、それはかつての共産主義=コミュニズム的社会制度となってしまう。社会の活力を削いでしまうだけでなく、民主主義的正義のうち最も重視すべき“個人の自由”を阻害してしまうことになる。この問題点を勘案する中で、個人の自由を最大限尊重するためも、機会の平等をなるべく確保するためにも、すべての個人に最低限の生活を保障することが必要かつ有効であるという「正義の原理」が成立したのである。
働かない自由、意にそぐわない仕事を強制されない自由を基本的人権として認める。しかも、その自由を享受しかつ様々な機会を担保するために、すべての個人に平等一律に “生活原資”を給付する。それがBIという制度なのである。
以上、多少面倒な理屈を説明してきた。要は、民主主義社会における正義とは、個人の自由を最大限に尊重し、全員に機会の平等を確保しつつ、個人格差を可能な限り小さなものにすることである。この「正義」に最も適った再配分のための制度が、社会を構成する全員に、生活を保障し得るだけの金銭給付を無条件で行うBIなのだ。
BIの制度的有効性
BIが注目されている、制度としての合理性/有効性の観点からの理由も紹介しておこう。BIが多くの賛同を集めている理由としては、むしろこちらの方が分かりやすい。
主として5つの点が挙げられる。
シンプル
第1に、BIは全員一律、無条件ということで制度がシンプルで分かりやすい。現行の多くの社会保障、社会福祉関連の制度は規定や分類が極めて複雑で、利用者である国民がその全体を正しく理解するのが困難である。自分はどの給付を受けることができるのか、あるいは、ある給付を受けるために求められる条件は何なのかについて、様々な制度/項目ごとに正しく理解、記憶することなど、とても不可能である。その点BIは極めてシンプルで分かりやすい。
運用コストが小さい
第2に、シンプルであるが故に制度の運用・実施にかかるコストが小さい。全員一律、無条件であるため、給付金額の算定も資格認定の手続きも必要ない。言い換えると、現在、年金や雇用保険、生活保護等の手続きにかかわっている行政官や組織が不要になるということである。
恣意性と裁量が入らない
一律・無条件がもたらす第3のメリットは、恣意性や裁量の余地が無いことである。現行の様々な社会保障制度や手当ての給付を受けるためには、役所の窓口で審査に通らなければならない。その際、ルールや条件は規定されていても、現実にはどうしても窓口担当官の判断が介在してしまう。
例えば、生活保護の給付を受けるためには所得や資産の少なさを証明するだけでなく、働く意思があることや働けない事情、あるいは親族・縁者との人間関係まで、窓口の担当官が確認する。こうした個人的事情を確認する際には、担当官の恣意性や裁量がどうしても介在してしまう。恣意性や裁量は、ルールを定めるだけでは達成できない最適化の手段になることもあるが、一方で悪名高い“水際作戦”の道具にも使われてしまう。こうした恣意性や裁量を排除できることは公平性、公正性の観点から大きなメリットである。
働くインセンティヴが守られる
第4のメリットは、働くことに対するインセンティヴを損なわないことである。現行の生活保護制度においては、生活保護手当を受けている人が“損”をするケースが発生する。頑張って働くと所得が増えてしまい、生活保護が打ち切られて総所得がダウンしてしまう。これでは、その人は合理的に判断して、自ら稼ぐことを回避するようになる。「一度生活保護を受けるようになるとなかなか抜け出せない」と言われるのはこのためである。BIであれば、自ら働いて稼げば、確実にその分が上乗せになるので、働くことに対するインセンティヴはあまり損なわれないのである。
個人の尊厳を傷つけない
第5のメリットは、給付を受ける側の心情的な側面である。現行制度で生活保護を受けようとする場合、大半の申請者は精神的負い目を感じる。また窓口でのミーンズテストで個人的事情に関する様々な質問や詮索をされて、心が傷くことも少なくないと聞く。BIであれば、国民全員が一律にもらえる権利を有しているのであるから、堂々と給付を受けることができる。また、窓口でのやり取りすらも無くなる。個人の尊厳の尊重という面でのメリットである。
以上、大きく分けて5つの点がBIの具体的メリットである。先に挙げた思想的/理念的メリットはさておいても、こうした制度としての具体的メリットがあるため、BIは多くの論者から賛同を得ているのである。
とは言っても、BIには幾つかの考慮すべき批判がある。次回コラムは、BIに対する批判を紹介し、BIの実現可能性について考える。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111121/224022/?bv_rd&rt=nocnt
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