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前回までに説明したように、人口成長が止まった社会において「成長論」主体の経済政策を続けることは、国民生活の安定のためにも、経済効率的にも正しいとは言えない。人口が減っていくことは経済成長が構造的に難しくなるわけであるから、強引に経済を成長させようとする政策は当然非効率であり、貴重な経済資源の浪費になってしまうからである。
成熟社会では分配論が重要
一方、社会が成熟段階になって来ると重要になるのが「分配論」である。
経済のパイが拡大しない環境の中で、1人でも多くの人が少しでも豊かな生活を営めるようにするためには、社会全体で生み出した価値(GDP)をどのように分け合うのかが重要な政策テーマとなる。
国全体で生み出した価値が十分に大きかったとしても、もし上位1割の人が9割の富を独占しているようでは、残りの9割の国民は安心して生活するのも難しいほどの貧しい生活を強いられてしまう。また上位1割の人と残りの9割の人たちとの格差が10倍にも開いてしまうというのは、あまりにも平等性を欠く。こうした富の配分は、大多数の人々の幸福感の面でも、社会の安定性の面でも失敗である。このような分配にならないように、つまり社会全体としては富や価値の総量が同じでも、賢く合理的に分配することによって、その社会の人々が享受できる豊かさは大きく異なってくるし、社会を安定させることができるるのだ。これが「分配論」の効力である。
豊かさは「昨日の自分」と「隣の人」との比較
人は“何か”と比べて自分は豊かだとか貧しいとか感じるものである。その“何か”には2つある。一つは「昨日の自分」であり、もう一つは「隣の人」である。成長フェーズにおいては、誰もが「昨日の自分」と比べて豊かになることができたので、豊かさを実感することができ、明日への希望を持つことができた。そして日本の場合は“一億総中流”の分配論をとってきたので「隣の人」との格差も気にならなかった。
しかし、成長が止まって成熟フェーズに入ると「昨日の自分」との比較で豊かさを感じることができなくなるので、「隣の人」との格差がとても気になってくるものである。従って、成長期以上に“公平性”が社会的な重要性を増してくる。
それゆえ、成熟フェーズに達した社会において人々が公平感を感じられる安定した社会を実現するためには、生み出した価値を国民の間でどのように分け合うかが、大切な政策テーマとなる。つまり誰がどれくらい税金を負担し、誰がどれくらい公的サービスを受けるのかという「所得の再配分」を決める「分配論」が経済政策の主役となるのである。
社会の安定のためにも所得の再分配が必要
ちなみに「所得の再配分」とは、分かりやすく言うと、お金持ちや生活に余裕のある人から貧しくて生活に困っている人に対して「所得移転」を行うことである。政府が“税金”としてお金持ちからお金を集め、生活に困っている人に“手当て”としてお金を支給することが所得移転であり、この機能が「所得の再配分」である。
「国民の誰もが医・食・住を保証される国づくり」は、所得の再配分政策そのものである。自分の働きだけでは日々の生活を賄えない人たちや、病気になっても貧しいために医者にかかれなかったりする人たちに対して、生活に余裕のある人たちの所得の一部を移転して、国民の誰もが安心して生活できる、安定した社会を実現しようとするのがこのビジョンの意味するところである。
増税を避けて来たことが日本経済を歪めた
「国民の誰もが医・食・住を保障される国づくり」という新しいビジョンを実現する上で、最も重大かつ避けては通れないテーマが増税である。これから安定した成熟社会を迎えるための分配論を実行するために、新しい財源として増税が必要だ。理由はこれだけではない。日本の経済の仕組みの基本骨格の歪みを正すためにも、増税は重要な意味を持つ。
そもそも日本の経済が様々な歪みを抱え込んでしまった最大の理由が、増税をしてこなかったことにある。
日本が成熟化フェーズに入った90年代後半以降、政府が必要な歳出を賄うだけの税収を確保することを怠ってきたことが今日の膨大な累積赤字をつくり、社会保障の整備を妨げてきた。1995年以降、景気低迷による税収不足や、景気対策のための支出を賄うために大量の国債を発行してきた。国債は本来、非定常的な歳入を得るために発行するもので、恒常的な支出となる社会保障の原資に当てるのは適切ではない。
増税によって恒常的な歳入増が実現していれば、それを原資にして社会保障を手厚くすることもできたのに、歳入欠損を国債ばかりで賄ってきたためにそれができなかったのだ。もし早い段階で十分な社会保障が公共財的に整備されていれば、不況の時でも国民生活が脅かされる深刻さの度合いは小さかったであろう。従って、非効率な公共事業に膨大な資金を垂れ流す必要はなかったはずである。
本来は非定常的な歳入を賄うためのものである国債の発行残高は、1995年以降の15年間で542兆円も増加している。これはプライマリーバランスベースで見て、毎年36兆円ずつ歳入が不足していることを示す。こうした恒常的な財源不足を国債で賄い続けるのは明らかに不健全である。これから低成長・高齢化社会の本格的到来を迎えるに当たって、社会保障を充実させるためにも、不健全な財政構造を正すためにも、本格的な増税から逃げるべきではない。
51兆円増税の合理性
では、成熟日本を健全な姿で支えるためにはどれくらいの増税が必要となるのか。前々回のコラムで、「国民全員に医・食・住を保障する」ための追加コストは約15兆円であることを示した。この15兆円という追加コストに加えて、プライマリーバランスをゼロに引き上げるための歳入を実現することが必要である。この15年間の国債発行残高の増加分は毎年36兆円。従って、15兆円と36兆円の合計51兆円の増税を実現すれば、財政破綻のリスクを回避しながら「国民の誰もが医・食・住を保障される社会」を築くことができる。
51兆円という金額は途方もない数字に感じるかもしれない。子供手当ての廃止に見られるように、1兆円、2兆円の財源不足で四苦八苦しているのが財政論議の現状だ。だが、毎年36兆円もの国債が積み上がっていっていることの方がかえって薄気味悪い。
前回のコラムで提示した、消費税10%アップ、金融資産課税1%、相続税の実効税率50%というパターンでの増収合計が51兆円であったが、この金額は奇しくも上に示した必要金額と符合する。
この場合の国民負担率は54%となり、ドイツ(52%)とほぼ同等、フランス(61%)よりはまだ低い水準である。ドイツ並みの国民負担率(増税)を実施すれば、国民全員の医・食・住を保障することができる上に、財政破綻を心配しなくて済むようになる。だとすれば、思い切った増税は国民の不安と不満を解消し社会の安定化に大きく貢献し得ると考えられる。
増税に必要な4つの説明
民主党政権が生まれた当時、世論調査が、国の財政危機に臨んで増税の是非を問うた。質問に対して54%の国民が賛成を表明した。国民は何が何でも増税反対なわけではないのだ。大切なのは何のために増税するのか、そして増税による歳入増を何に使うのかについて国民の理解を得ることである。
具体的には、以上の4点を国民に対して丁寧に説明することが必要である。
(1)医・食・住の心配がなくなる。
(2)国の財政破綻の危機を避けられる。
(3)課税対象は格差解消を図るための再分配機能が大きい税目を中心にして行う。
(4)その時の国民負担率はドイツ並み、フランス以下であり、決して非常識な高さではない。
大幅な増税は政治家にとって極めて難易度の高いチャレンジである。またこれだけの分配論型の制度を整えることは官僚にとっても大仕事であろう。しかしこの困難なチャレンジと骨の折れる大仕事をこなしてこそ、日本は、人々が安心して生活を営むことができる成熟社会を迎えることができるのである。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111026/223426/
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