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前回のコラムでは、これからの日本が「分配論」を軸に据えた政策を展開していかなければならない状況と必然性について説明した。本連載の前半で縷々解説して来たように、経済構造の変化によって、「成長論」に則った政策は効力を失ってしまっている。加えて、2000年代に採用したトリクルダウン型政策の副作用で、深刻な格差と貧困が既に現実問題として発生している。さらに、現行の政策や制度を続けていると、格差と貧困は解決されないばかりか、重大な社会問題に発展してしまうのは明らかである。
私が格差と貧困の問題を深刻だと感じる具体的論点を2つ挙げておこう。
「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」が約4割
1つは、日本では「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と考える人が世界中で最も多くなっている点である(出典:「What the World Thinks in 2007」The Pew Global Attitudes Project)。「助けてあげる必要はない」と答えた人の割合は日本が38%で、世界中で断トツである。第2位はアメリカで28%。アメリカは毎年多数の移民が流入する多民族、多文化の国家であり、自由と自己責任の原則を社会運営の基軸に置いている。この比率が高くなるのは自然なことだ。そのアメリカよりも、日本は10%も高いのである。
日米以外の国におけるこの値は、どこも8%〜10%くらいである。イギリスでもフランスでもドイツでも、中国でもインドでもブラジルでも同様で、洋の東西、南北を問わない。経済水準が高かろうが低かろうが、文化や宗教や政治体制がいかようであろうが、大きな差はない。つまり“人”が社会を営む中で、自分の力だけでは生活することすらできない人を見捨てるべきではない、助けてあげなければならないと感じる人が9割くらいいるのが“人間社会の相場”なのである。
にもかかわらず日本では、助けてあげる必要はないと判断する人の割合が約4割にも達している。日本は、“人の心”か“社会の仕組み”かのどちらかが明らかに健全/正常ではないと言わざるを得ない。この場合、政治の制度や仕組みと比べて人の心はずっと普遍的であるはずなので、問題は日本の政治の仕組みや政策にあると考えるのが妥当である。言い換えるなら、人の心をここまで荒んだものにしてしまうほどに、現行の日本の政策や制度は正しくないということになる。
格差と貧困は後回し?
もう1つの危機感は、格差と貧困を生み出している政策、特に分配政策に関する国民意識と改革の気運があまり高まっていないように感じられることにある。
前回のコラムで紹介したように、格差も貧困も悪化の一途をたどっている。相対的貧困率は16.0%と史上最悪、生活保護支給者の数も200万人と史上最悪に達している。にもかかわらず、社会問題化するほどには話題にならない。改善アクションにもつながっていかない。
昨今の政治の話題と言えば、原発、環太平洋経済連携協定(TPP)、円高の話がほとんどで、社会保障関係の話題と言えば年金の話が少し出るくらいである。しかも、その内容は、支給開始年齢を65才から68才に遅らせるという、社会保障を削る話だ。国民も政治家も、格差や貧困や高齢化社会到来の重大さを知らないわけではない。だとすれば、無意識のうちに回避、後回しにしているのであろう(年金支給開始年齢の引き上げによる対応など、その典型例である)。
その日は確実にやって来る
気づかないふりをしたり後回しにしていても、決して問題は解決しない。夏休みの宿題や借金の返済と同じである。「その日」は確実にやって来るし、その到来は意外に早いものである。そして後回しにしていればしているほど、手の打ちようがなくなってしまっている確率は高い。「破綻」と「破局」しか選択肢はなくなる。
夏休みの宿題であれば、先生にこっぴどく叱られて終わりか、せいぜい劣等生の称号を献呈されるだけですむだろう。だが、格差や貧困、高齢化社会の問題がもたらすであろう事態は非常に深刻かつ悲惨である。世の中にいさかいが増え、奪い合いが起こり、身近な人同士が憎み合ったり、人が死んだりする。何より他人と社会に対する不信感が蔓延した中での生活は不幸そのものである。
つまり、「生活できない人がいても助けてあげる必要はない」という人が4割にも達しているほどに日本人の心性が人間社会の標準から逸脱してしまっているというのが第1の危機感。それにもかかわらず現状では、国を挙げて何とか改善・改革しようという気運もアクションも本格化していない、というのが、私が感じている第2の危機感である。
金の問題よりも意識の問題
では、どうするのか。
本コラムで提示してきた「国民の誰もが医・食・住を保証される社会」、すなわち、普通に食べることができ、病気になったら医者にかかることができる、寝起きするための住む所の心配もいらないということが保証されていれば、無用ないさかいや奪い合いは大幅に減る。
しかし、このゴールをどのようにして実現するかとなると意外に難しい。もちろん、先のコラムで試算を示したように、日本の現在の経済力をもってすれば財政的には決して不可能ではない。問題は、年金支給を遅らせながら、「TPPだ」「円高だ」といまだに成長論的なイシューばかり追いかけている政治と国民意識を、いかにして社会保障と福祉に向けさせ、分配論重視の政策に転換させるかだ。
問題は悪化の一途をたどっている
格差と貧困が拡大する道に踏み込むきっかけになったのは、長引く不況に追いつめられて、小泉政権が選んでしまったトリクルダウン政策の採用であった。だが、その小泉政治が2006年で終わり、そうしたトレンドに対する見直しの気運もあって2009年には「国民の生活が第一」とうたう民主党政権が誕生した。しかし、それ以降国民の生活が良くなってきているのかというと、全くそうではない。小泉政権以降も格差は拡大し、貧困は増え続け、年金の支給年齢は後ろ倒しにされようとしているのが現実である。
イギリスで起きたような暴動も今のところはまだ発生していないし、ウォールストリートのような占拠デモも起きていない。しかし、貧困や格差や高齢化社会の問題は、イギリスでもアメリカでもなく、日本において深刻かつ喫緊のテーマであることに覚醒すべきである。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111114/223822/
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