http://www.asyura2.com/11/hasan74/msg/173.html
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2009年2月の原田武夫氏の文章です。「インテリジェンス産業複合体」という言葉が使われているのがとても驚きでした。
http://money.mag2.com/invest/kokusai/2009/02/post_101.html
新たな潮目、“ワシントン・コンセンサスの否定”とは
「大転換」の始まりをめぐる疑問
去る2月13日から翌14日にかけて、イタリアのローマで主要7ヶ国財務大臣・中央銀行総裁会議(G7)が開催された。米国でのオバマ新政権成立後に行われた初のG7だっただけにメディアからの注目度も高く、日本の個人投資家やビジネス・パーソンにとっても、今回の会合でなされた議論をどう読み解くかは喫緊の問題であると言える。もちろん、取り上げられた数々の論点の中心にあったのは依然として金融メルトダウンだ。いや、G7だけではない。現在、あらゆる国際会合において陰に陽に主題となっているのが金融メルトダウンによる金融・経済の惨状であり、またその対処策なのだ。
昨年(08年)9月の「リーマン・ショック」を皮切りに世界は変貌を遂げたと考える向きは多い。そして、そう考えざるを得ないほど事態の変化は深刻かつ急激なものだったのである。
しかし、だからこそ次のように問うてみる価値はある。この「大転換」の始まりは、果たして本当に昨年秋だったのか、と。
というのも、問題を目下の「金融」「経済」といったニュースカテゴリのみに限定せず、より広い視点に立ってマネー情勢を織り成す国内外情勢の推移を振り返ってみると、次のことに気が付くからだ。
それは、実は昨年秋以前の段階において既に、様々な領野で旧来のシステムが音を立てて崩れ、新たなシステムへの転換が始まっていたのではないか、ということである。一介の経営者であるのと同時に、マネーが織り成す「世界の潮目」をベースにしながら、金融インテリジェンスの手法に基づき言論を展開する立場にいる私としては、この「世界システムの大転換」に関する自分なりの考えをまとめ上げずにはいられなかった(その詳細は1月に刊行したばかりの拙著『大転換の時代――10年後に笑う日本人が今するべきこと』において展開されている。ご関心を持たれた皆様にはぜひご一読いただきたく思う)。
ここでは、G7以後においても依然としてその動向が注目される米国に関し、そのビジネスモデルの変貌に改めて注意を促しておきたい。キーワードは「分散化」だ。だが、なぜ「分散化」なのか。何が「分散」するというのか。
「破壊ビジネス」と「ワシントン・コンセンサス」
私たち日本人が大学も含め、学校教育で習わないのが金融史から見た世界の実像である。すなわちマネーが織り成す「世界の潮目」の連続から世界の実態をつかむということなのであるが、こうした立場から1980年代における世界史を見た時、そこに流れていた思想は一言でいうと、“破壊”の思想であったといってよい。
最近、米国の現状について「軍産複合体」ならぬ「インテリジェンス産業複合体(The Intelligence-Industrial Complex)なる呼び名を提唱し、話題を呼んでいる Tim Shorrock の“Spies for Hire” (08年)によれば、80年代初頭より民営化(privatization)という名の“破壊”を米国で推進したレーガン大統領(当時)の発想にまずあったのは、巨大な国家軍事機構を抱え、米国と対立する旧ソ連(および東側世界)だったのだという。その意味で、レーガン大統領にとって「民営化」とはビジネスである以上に、より観念的な思い込みという意味での「イデオロギー」に近いものであったと言った方が良いのかもしれない。
そうしたイデオロギー色の強かったこの流れのバックボーンとなったのが、レーガン大統領によって任命され、まずは米国の政府機関を“効率化”という名目の下、切り売りできないかを検討するための委員会(The Grace Commission)の長となった W.R. Grace and Company のCEO、J. Peter Grace らによる活動であった。たとえば1984年に同委員会が出した報告書には2,500もの勧告が記されており、1960年代より提唱されながら実現に至らなかった民営化プロジェクトの実現が強く求められている。イラン危機の中で政権をもぎ取り、自ら“強いアメリカ”を体現したレーガン大統領の強力なバックアップの下、“破壊ビジネス”が米国に根付いていくこととなる。
しかし、米国がいくら広いとはいえ、国内のみでこうした「破壊ビジネス」を展開していたのでは、やがて限界がやってくる。そこでほぼ同時期より、諸外国に対し、こうした民営化という名の「破壊ビジネス」を強制するための理論武装が行われるに至った。これが総称して「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれるものである。
この「ワシントン・コンセンサス」がアジア、さらには日本へとその触手を決定的な形で伸ばし始める重大な契機となったのが、1997年から98年までに“発生”したアジア通貨経済危機なのであった。そこに至る経緯、さらにはそこで一体何が行われたのかについては拙著『騙すアメリカ 騙される日本』(ちくま新書)に譲ることにしたいが、重要なのはそこで経済危機に陥ったアジア各国に対し、IMF(国際通貨基金)が特定の“処方箋”を提示し、各国は唯々諾々とこれを受け入れなければならなかったという政治的現実である。
そこで飲まされた“処方箋”によってアジア各国は、グローバル・スタンダードという名のアメリカン・スタンダードへと無理やり背丈とサイズを合わさせられたのである。これが結果として、米国をベースとする多国籍企業、あるいはファンドや投資銀行といった“越境する投資主体”たちがいとも簡単にビジネスをしやすくなる環境を整えるための巧妙な仕掛けであったことは、多くの論者がこれまで述べてきたとおりである。
その上に築かれたのが、米国による覇権構造であった。それでは今、過去30年近くにわたり世界を規定してきたこうした枠組みは、一体、どうされようとしているのであろうか。
「分散化する世界」
日本の大手メディアは一切語ろうとしないが、昨年、マーケットの深遠な世界で強い反響を呼んだドキュメントがある。世界銀行(IBRD)がリーマン・ショック以前の08年5月21日にリリースした「成長レポート(“The Growth Report.Strategies for Sustained Growth and Inclusive Development”)」(※PDFファイルが開きます)である。この報告書は、次の時代に向けた成長戦略を世界銀行が探るにあたり、ノーベル経済学賞受賞者であり、現在はスタンフォード大学教授をつとめるマイケル・スペンスを筆頭とする賢人委員会に討議を依頼し、2年半にわたる議論の結果、とりまとめられたものである。
その中に、「成長を必要としている国家は皆全く同じというわけではない」という旨のくだりがある(P8)。一見何気ないメッセージではあるが、その衝撃度ははかりしれないものがある。なぜなら、これをもってワシントン・コンセンサスという1つの処方箋の画一的な適用が否定されてしまっているからである。実際、この報告書では単一の処方箋を提示することなく、戦後世界における経済成長例をサンプルにしつつ(その中には当然、日本も含まれている)、全体で4つの望ましい成長パターンを提示しているのである。
それだけではない。繰り返すが、これまでの米国による世界運営のやり方は「ワシントン・コンセンサス」という1つの処方箋を経済成長のための唯一絶対的なものとして掲げ、これに合致しない全てのものを他国の政府に切り捨てさせ(=民営化させ)るというものであった。しかし驚くべきことに同報告書は、それが「この問題(=経済成長)に対する甚だ不完全な言明」(P30)であると糾弾するのである。これを“潮目”と言わずに何と言おうか。
かつて90年代後半に米国政府の財務長官をつとめ、ワシントン・コンセンサスの旗振り役でもあったロバート・ルービンすら参画しているこの委員会による報告書はさらに、必要なのは「小さな政府」ではなく「効果的な政府(effective government)」であるとし、それは結局のところそこにより集う個人の才能(talent)である以上、「ふさわしい人材を集めることが先決だ」と断言する(P66)。このようにして、米国が書いた画一的な処方箋から解放され、優秀な人材という“頭脳”を抱えた政府を筆頭とする形で、世界の国々は米国によるくびきから解き放たれる。―――つまりこの意味で世界は“分散化”するのである。
こうした「分散化する世界」のなかで、私たち日本の個人投資家やビジネス・パーソンはいかにしてマネー動向を読み解き、時代の展開に先回りして的確なアクションを行っていくべきなのか。「大転換の時代」を生きる私たちの誰もが正面から向き合わねばならないこの問いをめぐって、私は3月7、8日に東京・仙台で、14、15日に福岡・広島でそれぞれ開催するIISIAスタート・セミナーで詳しくお話したいと考えている。ご関心の向きはご来場いただければ幸いである。
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