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http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20111024/223385/?ST=print 自由貿易とFTAについて考える
TPPは亡国の政策か救国の政策か(上)
2011年10月26日 水曜日
小峰 隆夫
TPP(環太平洋経済連携協定)を巡る議論が盛り上がっている。既に議論は出尽くした感もあり、間もなく一定の結論が出るだろう。したがって、この段階で私が改めてTPPについて論じる意味はそれ程大きくないかもしれない。それでも私がTPPについて、自分の考えをまとめておこうと考えるに至ったのには次のような理由がある。
第1は、当たり前の議論であっても、やはりその議論を基本から確認し、その結論を繰り返し主張していくことは重要だと考えたことだ。
私は、自由貿易を推進する一環としてのTPP加入に賛成であり、それを成長戦略の重要な一環として位置づけていくべきだと考えてきた。しかしこうした考え方は既に多くの人々が主張しており、それはまた多くの経済学者が共通して抱いている常識的な考えでもある。したがって私が改めて議論に加わるまでもないだろうと考えてきた。
しかしある会議の場で、政府の通商政策を担当している人と話していた時「経済学者はもっとTPPの意義を積極的に発言して欲しい。書店には“TPP亡国論”ばかりが並んでいるではないか」と訴えられた。確かに書店に行くと、「TPPなんてとんでもない」という主張の本が並んでおり、数としては反対論の方が多いように見える。そこで、私も、及ばずながら「貧者の一灯」、改めてTPPを巡る議論を整理し、自分の考えを述べておくべきだと考えるに至ったのだ。
白か黒かの二分法で考えるのは悪い癖
第2は、TPPに参加するか否かが一国の命運を左右するかのような議論が行われていることにやや違和感を覚えることだ。
賛成派は、ここでTPPに参加しないと日本の将来はないかのように主張するし、一方では反対派は、TPPなどに参加したら日本が滅びてしまうかのような議論を展開している。このように、白か黒かの二分法で議論してしまうのは日本における政策論議の悪い癖だ。
私は、政策のオプションは縦にも横にも、連続的につながっているのだと考えている。そもそも(後で説明するように)TPPは、FTA(自由貿易協定)またはEPA(経済連携協定)の一つなのだから、FTAやEPAにどう対応するのかという姿勢の違いがある。例えば、韓国のように、TPPには加わらずに(将来加わるかもしれないが)、多方面の国々・地域とFTAを締結しまくるというやり方もある。
どんな姿勢で参加するかの違いもある。私が最も望ましいと考えるのは、グローバル化への積極的な対応を日本の将来への基本戦略として位置づけ、TPPもその一環として参加していく、つまり「自ら進んで参加していく」という道だ。最も望ましくないのは、自国の殻に閉じこもって、グローバル化を通じた経済活性化を拒否し、当然のこととしてTPPに参加しないことだ。そして、この両極端の間には無数の政策オプションがある。「しぶしぶ参加して、いやいや効率化を強いられる」「できるだけ骨抜きにして参加する」「とりあえず参加して、議論の進展次第では調印しない」等々である。
白黒の議論をするのではなく、こうした無数の選択肢の中で、どんな道を選ぶのか、また日本が選ぼうとしている道はどう評価されるのかを考えていく必要がある。
第3は、TPPでも最もホットな話題となっている「日本の農業をどうするのか」という点だ。
この点については、私は農業問題の専門家ではないのであまり貢献はできそうにないのだが、ただ一つ「食料自給率を高めるべきか」という点については、私自身大学の教室内での議論の蓄積がある。
私は、役人時代も含めると既に20年程の間、大学で「日本経済論」を講じてきた。そしてその中で、何度も学生(または院生)諸君と、日本の食料自給率について議論してきた。こうして繰り返されてきた議論の内容を紹介することは、読者のみなさんにとっても多少は参考になるかもしれない。
全体は次のような構成としたい。まず今回は、FTAについて考える。TPPはFTAが進化した形態だから、FTAの評価が基本的なTPPの評価とつながるからだ。そして、次回で、TPPについて考える。そして最後に、食糧自給率についての授業における議論を紹介することにしよう。
自由貿易と経済的福祉の向上
最初に議論を整理しておこう。TPPは地域的な経済統合の一形態である。地域的な経済統合には多くの形態があるが、参加国間で関税などの貿易障壁を撤廃する形態をFTAという。近年では、貿易以外の広範な分野における連携を含めることが多くなってきており、これをEPAと呼ぶようになっている。TPPはこうした意味からすれば、FTAではなくEPAである。つまり、EPAは、その重要な一分野としてFTAを含んでいるのであり、その一形態がTPPである。
そこで今回はFTAについて考えることにする。以下述べるように、FTAを推進する意義は大きいということになれば、ほとんど当然EPAも、またTPPもまた推進すべきだという結論につながりやすい。
基本中の基本から考えよう。FTAは基本的には貿易の自由化を推進しようとするものである。そこで、自由貿易の意義から考えることにしよう。
TPP擁護論を展開する時に、しばしば「グローバル化の流れは避けがたいのだから」という指摘が出る。確かにその通りではあるが、TPPはグローバルの流れが避けられないから推進するというわけではない。最終的には、国民一人ひとりを幸せにするために推進されるものである。なぜ自由貿易を推進すると国民はより幸せになるのか。それは自由貿易の経済的メリットが非常に大きいからである。
自由貿易のメリットを説明する基本的な考え方は「比較優位の原則」である。これは、自国が「相対的に」(絶対的にではない)得意な分野に資源を集中させてこれを輸出し、「相対的に」不得意な分野からは資源を撤退させて輸入する。そうすれば「分業の利益」が発揮されて、各国経済、世界経済全体がより豊かになるはずだ、という考え方である。
この考え方はほとんどの経済学者が支持する考えである(と思う)。すると、各国が、関税などの人為的な輸入障壁をできるだけ撤廃し、「誰もが輸出したいものを輸出し、輸入したものを輸入できるような貿易環境を作ることが望ましい」という考えが導かれる。これが自由貿易を推進しようという基本的な考え方である。
このように説明してくると、多くの人は「そんなことは分かっている」と言うだろう。しかし、意外にそうでもないのだ。上記のような基本原則からは、「輸出」も「輸入」も同じように大切だという結論が導かれるのだが、この点は案外認識されていないからだ。比較優位を貫くためには、輸出を増やすだけでなく、それと合わせて輸入を増やすことが重要なのであり、輸出と輸入が並行して増えていくことこそが自由貿易のメリットなのである。
さらに言わせてもらえば、私は、輸入が増えることこそが国民の福祉を高めるのだから、むしろ輸出より輸入の方が重要だとさえ考えている。この点は、既に本コラムで述べたことがあるので繰り返さない(「『貿易赤字国転落』論の誤解」)が、この考えには有力な同調者が存在することだけ付け加えておこう。
まず、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンは、「輸出ではなく輸入が貿易の目的であることを教えるべきである。国が貿易によって得るのは、求めるものを輸入する能力である。輸出はそれ自体が目的ではない。輸出の必要は国にとって負担である」と述べている(ポール・クルーグマン『良い経済学 悪い経済学』山岡洋一訳)。
また、本年の経済財政白書は、「輸入が増えて空洞化する」という議論に対して、「輸入が増えて『国際競争に負ける』のではなく、輸出と輸入が両建てで増えて『豊かさの競争に勝つ』のである。」(152ページ)と述べている。
なお、日本ではかつて「輸入の促進」が大きな政策目標となっていたことがある。1985 年には、当時の中曽根首相がテレビを通じて、輸入促進のため、国民1人当り100ドルの外国製品購入を呼びかけた。しかしこの時の輸入促進政策は、経済摩擦が強まる中で、何とか海外からの批判を回避しようという、経済理論的には不純な動機に基づくものだった。したがって、一時的なものに終わり、ほとんどの人から忘れ去られることになった。ついでに「輸入を増やすことは経済的福祉を高めるために必要なことだ」という本当に重要なことまで忘れ去られてしまった。このように、日本では経済の論理からすると怪しげな経済政策が登場し、そのせいで政策が将来的にも迷走するということが起きるので注意した方がいい。
日本は戦後、まさにこの「輸出と輸入を両建てで増やす」ことによって発展してきた。しばしば、「日本は輸出を伸ばすことを通じて発展してきた」と言われる。確かに、日本が毎年10%程度の高度成長を実現した時期(1956〜72年)の成長の姿を見ると、財貨・サービスの輸出が年平均14.0%も伸びている。しかし、他方では同じ時期に財貨・サービスの輸入もまた14.7%も伸びている。つまり、日本はこの時期、得意な分野での輸出を伸ばし、不得意な分野での輸入を増やすことによって発展してきたのである。
TPPを巡る議論を見ていると、多くの人が「TPPに参加すれば成長著しいアジアへの輸出を増やすことが出来る」とそのメリットを語り、一方で「TPPに参加すると、農産物の輸入が増えて国内農業が衰退してしまう」とそのデメリットを語る。しかし、前述の自由貿易の意義に照らして考えると、このように「輸出が増えるのがメリットで、輸入が増えるのはデメリット」と考えるのは誤りなのである。
かつては盛んに指摘されていたFTAの問題点
では、世界全体で自由貿易を推進するためにはどうすべきか。最も望ましいのは、世界のすべての国々が歩調を揃えて自由化を推進することである。これが「多角的(マルチラテラル)な貿易自由化」である。
この多角的貿易自由化を推進しているのがWTO(世界貿易機構)だ。WTOでは、加盟国が同時に貿易などの自由化を行うよう交渉を進めている。この一連の交渉は「ラウンド」と呼ばれることが多い。これまで「ケネディ・ラウンド」「東京ラウンド」「ウルグアイ・ラウンド」などの貿易交渉が行われ、一定の成果を上げてきた。
これに対して、特定の地域、国の間だけで貿易の自由化を進めようとする動きも昔からあった。これがFTAである。私が大学生の頃(40年以上前ですが)から役所に入ってしばらくの頃までは、日本にとっての基本は多角的自由化であり、地域的な自由化に加わるのはむしろ邪道だと教わってきた。これはFTAには次のような問題があるとされてきたからだ。
第1は、FTAが必ずしも世界的に貿易を促進するかどうかについて疑義があることだ。これについては、特定の地域間で貿易障壁が撤廃されれば、加盟国間だけでも貿易が増加するのだから、世界貿易は促進されるという考えもある。このように貿易が生まれる効果は「貿易創造効果」と呼ばれる。
これに対して、本来の効率的な分業が阻害されるという考えもある。加盟国間だけの障壁がなくなることに伴い、域外の効率的な製品より、域内の非効率的な製品が選択されてしまう場合があるからだ。これは「貿易転換効果」と呼ばれている。つまり、FTAは必ずしも貿易を通じた世界経済の効率化を達成しない可能性があるのだ。
第2は、FTAがブロック化につながるという議論である。特定国間だけで自由化を進めると、世界経済がいくつかのグループに分断されてしまう可能性がある。これは、1929年の世界恐慌発生後に生じたことである。当時は、英国のポンド圏、フランスのフラン圏、米国のドル圏などが、域外に高関税を設定してブロック経済を形成した。これが、世界恐慌からの立ち直りにとっての障害になったという苦い経験がある。
世界を覆うようになったFTA
こうして多くの批判があったにもかかわらず、90年代以降世界のFTAは急増してきた。WTOに通報されたFTAの数は、1990年以前はわずか16件に過ぎなかったのだが、90年代に51件、2000年代に120件が加わり、2011年6月1日現在で199件である。こうしてFTAが増加してきたのには、次のような理由がある。
第1は、WTOの多国間交渉が思うように進まなくなったことだ。WTOは、加入国が増え、また交渉分野も広がっているため、ますます合意が難しくなってきた。また多数国の合意を得ようとすると、どうしても内容的に譲歩せざるを得なくなることが増えてくる。現在進行中の交渉は、2001年から始まった「ドーハ・ラウンド」だが、10年経った今でもなお結論が出ていない。これに対してFTAは、もともと気の合った少数の国同士が話し合うため、交渉がスピーディーに進み、内容的にもWTOよりも先進的なものとなってきた。
第2は、FTAの網の目が張り巡らされるにつれて、各国がその流れに乗り遅れまいとし始めたことだ。周辺にFTAが出来ると、それに加入していない国は、取引条件が不利になるため、ドミノ倒しのようにFTA加入国が増え始めたのである。前述の貿易転換効果の被害者にならないためには、自らがそのFTAに加入してしまうのが最も効果的な回避策となってきたのである。
第3は、FTAの範囲が広がるにつれて、ブロック化の懸念が小さくなってきたことだ。かつてのFTAは、地理的に近接した国々が、その国々だけで自由貿易地域を形成するというタイプが多かった。しかし、近年のFTAは地理的な近接性とは無関係に、一定の条件を受け入れる国々と地域横断的に締結されるようになってきた。
こうしてFTA網が張り巡らされてくるにつれて、世界経済にとっての弊害としての色彩は薄れ、世界貿易の自由化を進める強力な手段としての色彩が強くなってきたのである。もちろん、WTOを通じた多角的な自由化が最善であることは変わらない。しかし、FTAは世界貿易の自由化を進める上での強力な「次善の策」となったのである。
日本はこのFTA網への参加に後れをとってきた。各国がどの程度FTA(またはEPA)に参画しているかを示す指標として、FTA・EPAカバー率というものがある。これは、一国の貿易全体に占めるFTA・EPA締結国(発効済みと署名済みを合わせたもの)との貿易の比率を見たものである。
2011年版の「通商白書」によると、2009年の時点で日本のカバー率(輸出入の合計)は17.6%である。これは、主要国の中でかなり低い方である。ちなみに、米国は38.0%、EUは27.2%(域内を除くベース、域内を踏めると74.8%)、韓国は35.6%である。
結論を言えば、TPPは理想的な自由化貿易推進の道だとは言えない。しかし、自由化を推進する強力な次善の道なのだから、「進めないよりは進めた方がはるかに良い」ということである。TPP反対論の中には「多角的な自由化が基本だから地域限定型のTPPには反対だ」という主張もある。「自由貿易を進めることそのものに反対だ」と言うならまだ分かるが、自由貿易の推進に賛成であるなら、TPPにも賛成すべきだ。自由貿易は賛成だがTPPには反対というのは、「禁煙には賛成だが、タバコの本数を減らすのには反対だ」と言っているようなものだ。禁煙という方向に賛成なのであれば、少しでも禁煙に近付けるよう、タバコの本数を減らすことに賛成すべきなのである。
TPP論議でまず問われていることは、単にTPPに参加するかどうかというではなく、日本が世界貿易の自由化という方向にどうコミットしようとしているかという基本姿勢なのである。
(次回に続きます)
このコラムについて
小峰隆夫のワンクラス上の日本経済論
「ワンクラス上」というタイトルは、少し高飛車なもの言いに聞こえるかもしれません。でもこのタイトルにはこんな著者の思いが込められています。「タイトルの『ワンクラス上』は、私がワンクラス上だという意味ではありません。世の中には経済の入門書がたくさんあり、ネットを調べれば、入門段階の情報を簡単に入手することができます。それはそれで大切だと思います。しかし、経済は『あと一歩踏み込んで考えれば新しい風景が見えてくる』ということが多く、『その一歩はそんなに難しくはない』というのが私の考えなのです。常識的・表面的な知識に満足せず、もう一歩考えを進めてみたい。それがこの連載の狙いであり、私自身がその一歩を踏み出すつもりで書いていきたいと思っています。コメントも歓迎です。どうかよろしくお願いいたします」。日本経済、そして自分自身の視点を「ワンクラス上」にするための経済コラムです。
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著者プロフィール
小峰 隆夫
法政大学大学院政策創造研究科教授。1947年生まれ。69年東京大学経済学部卒業、同年経済企画庁入庁。2003年から同大学に移り、08年4月から現職。著書に『日本経済の構造変動』、『超長期予測 老いるアジア』『女性が変える日本経済』、『最新日本経済入門(第3版)』、『データで斬る世界不況 エコノミストが挑む30問』、『政権交代の経済学』、『人口負荷社会』ほか多数。
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