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従って意図を持って介入する事でいかようにも料理できる。
経済に法則を見出そうとする思考は人間の主体的行動を捨象する為に木を見て森を見ない誤りに陥る。
すなわち部分の法則を見出す事ができてもそれはあくまで部分にしか過ぎず全体は恣意的に動いているのだから全体像を捉える事はできない。
部分的法則をいくらつぎはぎしてもそれは現実とは全く異なるものである。
経済学は箱庭を色々と作ってきたがそれは現実の経済とは全く異なるものであった。
だから、現実の事態に何等有効な手が打てないのである。
通貨発行権を誰が握っているか?
発行した通貨をどのような形で市場に流通させるか?
この2点が決定的に重要である。
通貨発行権を持つ事はこの世の富(交換価値に換算される物)を全て所有する権利を得た事と同じである。
問題はこの絶対的所有権を誰が所有するのかである。
私的に所有する事は絶対に禁止しなければならない。
現状は私的に所有されているから問題が山積するのである。
ではどのような形で公的に通貨発行権を所有するのか?
通貨発行に関する法律を作って発行した通貨は国民に等しく分配すると決めればどうだろうか?
この法律こそが通貨発行権を公的に所有する事を実現するのではないか?
しかも、どのような時にどのぐらいの通貨を発行し国民に等しく分配するかも決めればいい。
例えば、全ての失業者を国が雇用し能力に応じた仕事をしてもらい賃金を印刷した円で支払えばいい。
通貨発行権は政府が独占すればいい。
失業者に社会的意義ある仕事をしていただくぐらい考える事ができなくて国家に価値があるとは思えない。
失業者がいなくなるという事は経済政策の最優先課題であるからまずこれがクリヤーです。
これができれば労働者同士の労働力安売り競争が無くなる。
逆に言えばこれが困るから意図的に失業者を生み出す政策が取られているのである。
我々は意図を持って経済に介入すればいい。
為すべき事は比較的単純である。
貧乏人に金を配るという事である。
貧乏人の線引きが難しければ全国民に一律配ればいい。
なまじ現にある経済学なるものに沿った思考をするとワクがあり過ぎて何をすればいいか分からないという袋小路に陥るのである。
経済学の洗脳から脱却し、目的意識的に思考すべきだ。
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