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真壁昭夫 [信州大学教授]
辻褄合わせの「100年安心」をいつまで唱えるのか?
支給開始年齢議論が奏でる“年金制度崩壊”の序曲
経済低迷、人口減少、少子高齢化
早く改革しないと年金制度自体が崩れる
今、ユーロ圏におけるソブリンリスクなどの問題に注目が集まる一方、我々の生活にもっと大きな影響を与える「年金制度改革」について、議論が進もうとしている。
年金制度問題の最も厄介なことは、国内経済の低迷や人口減少、少子高齢化などといった悪条件が重なっているため、早くそれなりの解決策を見つけないと制度自体が崩れてしまうことが懸念されることだ。
一方、年金を受け取る側からすると、アテにしてきた年金がもらえなくなると、老後の人生設計が大きく崩れてしまう。それは、大きな不安要素である。
問題は、国民の不安をできるだけ増幅させずに、制度維持の方策を探らなければならないことだ。それは、口で言うほど容易なことではない。政府が対応を誤ると、制度自体の崩壊を招く一方、国民の不安を増大させて、社会不安を発生させることも考えられる。
現在、厚生年金の支給開始時期を3年に1歳ずつ引き上げて、男性の場合は2015年までに65歳に、女性の場合には2030年までに同65歳まで引き上げることが決まっている。ところがそれでは遅すぎるということで、ここにきて引き上げペースを早めるなどの案が提示されている。
1つ目の案は、3年に1歳ではなく、2年に1歳の引き上げへと前倒しにするものだ。2つ目の案は、引き上げは3年に1歳のペースで維持するものの、支給開始年齢を68歳程度まで遅らせるものである。そして3つ目の案は、引き上げのペースを速めると同時に、支給開始年齢を68歳程度にする考えだ。
いずれの案についても、多くの企業が60歳定年制を維持する下で、年金支給開始年齢を引き上げることは、これから年金を受ける人にとっては大きなマイナスだ。年金制度改革については、今後国民を納得させる議論が必要であることを、政府は充分に理解すべきだ。
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「百年安心な年金制度」の破綻
その場しのぎの“官僚的改革”の限界
振り返れば、2004年に年金法が改正されたとき、厚生労働省が言っていたのは、「これで100年間安心できる制度ができ上がった」ということだった。
だが当時、この言葉を信じる人は、専門家の中にはいなかった。誰もが、「前提となる経済条件が変わったので、そのうち『制度を維持することが難しくなった』と言い出すだろう」と予想していた。
多くの専門家が「100年安心な年金制度」に懐疑的だった理由は、制度の前提となる経済状況の設定が、あまりに現実離れしていたからだ。
当時のシナリオの前提は、物価上昇年率=1.0%、賃金上昇率=2.5%、資金運用利回り=4.1%というものだった。これらの数字を見ると、一見して「非現実的」と言えるほど前提が甘いことがわかる。つまり、都合のいい数字を並べて、「それを前提にすれば制度の維持が可能だ」と主張したに過ぎない。
それは、いかにも賢い官僚が考えつきそうな話だ。適当な前提条件を持ってきて、とりあえずの辻褄を合わせて制度や法律を変える。変えることによって、短期的な破綻を回避することができる。
ただし、もともと非現実的な前提条件によって計算が行なわれているわけだから、いずれ当該制度を維持することが難しくなることは当然だ。制度の破綻が迫った場合には、改正時に前提としていた条件が満たされず、つまり状況が変わったので、新しい制度をつくる必要があると言えばよい。「条件が変わるのは官僚の責任ではない」と主張すればよいのだ。
問題は、「“自分の在任期間”だけ維持できればよい」という発想の官僚には、年金制度の本格的な改革ができないということだ。今まで国民は、本当の意味で改革を行なえない人たちに、改革を任せてきたのである。
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本当に持続可能な年金制度には
企業における雇用維持の方策が不可欠
年金問題の最も大きなポイントは、本当の意味で維持可能な年金制度をつくり、国民の不安を解消することなのだが、それには長い時間がかかる。北欧など年金の先進国と言われる諸国でも、かなりの時間を費やして現在の制度をつくり上げた。一朝一夕に、しっかりした制度を作る上げることは困難だ。
そこで、もう1つ考えなければならないことは、年金を受け取る人たちの事情、特に労働市場の条件や定年制などの仕組みとの組み合わせを検討することだ。
現在、多くの企業の定年は60歳だ。一部企業では、希望者が65歳まで働くことができる仕組みになってはいるものの、その割合は約48%に過ぎない。60歳で定年を迎えた多くの人は、年金を頼りにして老後の生活を考えているはずだ。
ところが、ある日突然、「年金支給開始を65歳、あるいは68歳にする」などと言われたら、老後の生活をどうして過ごしてよいかわからなくなってしまう。今のまま改正が進んでしまうと、そうした事態が起こりかねないのである。
政府は、そうした事態を避けるために、年金制度の改革と同時に、それに合わせて労働市場の改革を行なうことが必要だ。
希望者に対しては、定年を65歳まで延長することを義務付けるなり、裁量労働制などの仕組みを活用して、希望すれば、多少給与は減るかもしれないが、年金支給開始までの間は誰でも働けるようなシステムをつくればよい。
そうした方策を打たなければ、これから年金で生活しようとする人たちの不安を取り除くことは難しいだろう。その場合でも、シニア層のことだけ考えればよいというものではない。若年層の就業にも配慮することが求められる。
次のページ>> 制度改革を官僚に放り投げ、「辻褄合わせ」を続けて来た政治の罪
社会全体に関わる仕組みの調整は困難
「辻褄合わせ」を続けて来た政治の罪
わが国のように1億人を超える人口を抱え、しかも大きな経済規模を誇る国にとっては、年金問題に限らず、何か1つのことを改革しようとすれば、必ず様々な分野での調整が必要になる。社会全体における制度間の整合性の維持や、人々の利害の調整は誰が行なうのだろうか。それは政治の仕事だ。
1980年代まで、わが国は幸運にして高度経済成長を達成してきた。経済的なメリットが毎年大きくなっていた時期は、年金についてはそれほど厳密な調整機能が必要なかった。経済的価値=パイが増えていくわけだから、社会全体が鷹揚でいられたのである。
ところが、90年代初頭にバブルが弾け、わが国が“低成長時代”に入ると、そうはいかなくなった。何せパイが増えないのだから、メリットの分配方法が重要になることは間違いない。あるいは、デメリットを皆で分けなければいけないケースも増えるはずだ。
問題は、調整機能を果たしてこなかったわが国の政治が、今になってそのお粗末さを露呈していることだ。2004年の年金制度改革でも、政治が官僚任せで辻褄合わせをしたことが表面化している。
年金制度については、「間に合わせ」「辻褄合わせ」のスタンスを改めるべきだ。まず北欧諸国がやったように、国民的なレベルでもっとオープンに議論する場をつくるるべきだ。民主党や自民党といった垣根を越え、国民全員が年金制度のあるべき姿を考えればよい。
それには時間がかかるだろう。あるいは、意見がまとまりにくいかもしれない。しかし、それをすることで、国民の関心が高まり、新しい知恵が出てくる可能性もある。少なくとも、「国民自身が議論に参加して、意思決定を行なったという」感覚は残るはずだ。
その場合、制度自体を根本的に時間をかけて変えることも検討すべきだ。今までのように、“任期期間だけの持続可能性”を優先する官僚任せにすると、これからも同じことが起きる。それだけは避けるべきだ。
質問1 年金の支給開始年齢は、さらに引き上げられるべきだと思う?
74.2%
思わない
18.7%
思う
7.1%
どちらとも言えない
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